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鹿児島の旧集成館=世界文化遺産登録が決定 & 集成館事業にとり組んだ島津斉彬

2015-07-06 01:36:02 | 鹿児島の見どころ

鹿児島市の機械工場や反射炉の遺構で構成する「旧集成館」,通称「軍艦島」で知られる「端島(はしま)炭坑」や福岡県の八幡製鐵所など九州の5つの県,山口,静岡と岩手の8県のあわせて23の資産で構成される「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の世界文化遺産登録が決定した。

幕末から明治にかけ重工業の近代化を成し遂げた日本の歩みを示す資産の歴史的価値が認められた。国内からの登録は一昨年の富士山,昨年の富岡製糸場に続き3年連続。日本の世界文化遺産は15件目,自然遺産を含めると19件目となる。

 

 

>>> 「明治日本の産業革命遺産」に登録決定の集成館事業

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 薩摩藩主・島津斉彬が取り組んだ集成館事業は,「明治日本の産業革命遺産 「九州・山口と関連地域」の一つとして,国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録が決定した。

 

集成館事業(しゅうせいかんじぎょう)
  幕末の1851(嘉永4)年に第28代薩摩藩主に就いた島津斉彬(しまづなりあきら)は,欧米列強による植民地化を防ぐべく富国強兵を実践し,大砲鋳造や 造船を核とした様々な産業を興した。これが集成館事業であり,その事業の核が,1865(慶応元)年竣工の集成館機械工場(現尚古集成館)である。ここ に大砲鋳造のための反射炉や,ガラス工場,鍛冶工場などが建造され,最盛期には1,200人もの人が働いていた。
なお,集成館事業は大砲製造や洋式帆船の建造,武器弾薬といった軍備分野だけでなく,食品製造,ガス灯の実験など,社会インフラの整備など幅広い分野に及んだ。

斉彬の死後,その遺志を引き継いだ,藩主島津忠義(しまづただよし)によって,1867(慶応3)年に集成館の西隣に日本初の洋式機械紡績工場である鹿児島紡績所が建設された。併せて,イギリス人技術者の宿舎として,鹿児島紡績所技師館が建設された。

集成館機械工場は,現在国の重要文化財に指定され,その内部は島津家に伝わる資料を展示する博物館「尚古集成館」(しょうこしゅうせいかん)として公開されている。いま集成館の跡地一帯は,国の史跡に指定されており,敷地内にある尚古集成館には斉彬を撮影した銀板写真(国重要文化財)を含む,集成館事業 に関する資料などが展示されている。

斉彬や忠義が取り組んだ集成館事業は,「明治日本の産業革命遺産 「九州・山口と関連地域」の一つとして,国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録が決定した。

 

尚古集成館(しょうこしゅうせいかん 旧集成館機械工場)

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   鹿児島市吉野町9698-1 
  ・TEL 099-247-1511 
  ・入館料 大人 1,000円,子供 500円(仙巌園と共通券)
  ・開館時間 8時30分~17時30分(3/16~10/31) 8時30分~17時20分(11/1~3/15) 
  ・休館日 年中無休 
  ・アクセス  鹿児島から宮崎に走る国道10号沿い左側
  ・JR鹿児島中央駅から車20分  鹿児島空港から 車40分  
   バス:鹿児島シティービュー 仙巌園前(磯庭園前)下車徒歩1分

鹿児島紡績所技師館

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  鹿児島市吉野町9685-15
 ・入館料:一般200円,小中学生100円 
 ・開館時間:8時30分~17時30分
 ・休館日:年中無休

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  photeの出所: 明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域
            http://www.kyuyama.jp/index.html
                  http://www.kyuyama.jp/kyushuyamaguchi/ky_kagoshima_03.html

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  第11代薩摩藩藩主 島津斉彬(しまづ なりあきら)

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篤姫の養父でもある第11代薩摩藩藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)。斉彬は,文化6(1809)年9月28日,薩摩藩主島津斉興の長男として生まれた。

斉彬は曾祖父島津重豪(しまづ しげひさ)の影響を受け,西洋文化に強い関心を持ち,洋学にも造詣が深く,新日本建設の理想をいだき,幕政および藩政の改革,西洋文化の輸入に努めた。
藩主としての期間はわずか7年に過ぎなかが,洋式の軍艦や大船の建造,紡績,硝子,陶器,その他の近代的産業に着目,その製造に当たった。

明治維新の志士の一人,西郷隆盛は,成彬を心酔酔してやまなかったという。また,日章旗を国旗に制定した功労者でもあり,鹿児島市内の照国神社に祀られている。

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◆島津氏ゆかりの場


鶴丸城(つるまるじょう)-鹿児島城
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いまも城壁に西南戦争の銃弾跡が残る鶴丸城。今も石垣や堀,石橋などが残る。島津氏は薩摩入部以来,居城を何度か移転し,島津家18代家久が築いた鶴丸城(鹿児島城,府城ともいう)に移ったのは慶長7(1602)年だといわれている。
それ以前,まず島津氏の5代貞久までは北薩・山門院(やまどのいん)の木牟礼(きのむれ)城(現・出水市高尾野町)に居城があった(当主は在城せず)。
 「人をもって城と成す」という精神に基づいてつくった天守閣のない質素な屋形であった。天然の要塞で,その地形から鶴丸城と呼ばれた。
 いま,鶴丸城城趾には,鹿児島県歴史資料センター黎明館,県立図書館が建つ。

・アクセス:JR鹿児島中央駅から市電鹿児島駅前行き10分市役所前下車徒歩5分

 ▼鹿児島県歴史資料センター黎明館(れいめいかん) 
 鶴丸城跡に建つ鹿児島県歴史資料センター黎明館。県の歴史資料センターとして,明治百年を記念し鶴丸城本丸跡に造られ,昭和58年十月に開館した。建物 は,昔ここにあった屋形造りの鶴丸城によく似る。ここでは,鹿児島の歴史の流れを,原始古代から中世・近世・近現代までわかりやすく展示。西郷隆盛や大久 保利通など,歴史上大きな役割を果たした鹿児島出身の人々についての紹介や,絵画・薩摩焼・薩摩刀など美術工芸品の展示もあり,さまざまな視点から鹿児島を知ることができる。

・〒892-0853 鹿児島市城山町7番2号 電話:099-222-5100
・開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
・休館日:毎週月曜(休日のときは翌日),毎月25日(土日除く),年末12月31~1月2日


 ▼仙巌園-桜島を築山に,錦江湾を池にみたてる
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桜島を築山に錦江湾を池にみたてた雄大な借景をもつ仙巌園は,万治元年(1658),19代島津光久がこの他に別邸を構えたのを始まりとする。

  園内には永い歴史を物語る史跡が数多くのこされている。仙巌園の正門として作られた錫門,明治時代には島津家の本邸としても使用された御殿,日本で初めてガス灯を灯した鶴灯龍,琉球の国王から献上されたと伝えられる望嶽楼。

そのほか,千尋巌や曲水の庭,江南竹林など随所に中国風の造園を感じさせるものがある。また,園内には数多くの植物が栽培され,四季折々の景観をみせてくれる。

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〒892-0871:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1  TEL 099-247-1551 
ホームページ: http://www.senganen.jp/

 ▼福昌寺跡(島津家墓地)  

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玉竜山福昌寺(ふくしょうじ)は,島津元久が島津家の菩提寺として創建。いまは,島津家歴代の墓地のみが保存されている。この寺の十五世忍室文勝和尚と ザビエルは深く親交を結び,宗教について大いに語り合ったと伝わる。最盛期には1500人の修行僧が修行を行うの南九州屈指の曹洞宗の大寺であった。1869年(明治2年)の廃仏毀釈により廃寺。

・所在地 鹿児島市池之上町48 (旧鹿児島市北部
・アクセス:JR鹿児島中央駅から市営バス22番葛山行き20分玉龍ぎょくりゅう)高校前下車徒歩3分,上之原行バス25分 玉龍(ぎょくりゅう)高校前下車,徒歩8分 







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