江戸時代、全国の各藩に設けられた藩校の教育精神を学ぶ「第11回全国藩校サミット鹿児島大会」が3月9日、鹿児島市の城山観光ホテルで開かれます。薩摩藩の藩校・造士館(ぞうしかん)の開校240年に合わせて開かれるものです。造士館は、1773(安永2)年、8代藩主島津重豪(しまづ しげひで)が創設。西郷隆盛や大久保利通をはじめ、多くの偉人を輩出しました。
造士館は,1773(安永2)年,鹿児島城二ノ丸御門前(現在の西郷隆盛銅像のななめ前の中央公園のあたり)に武道場の演武館と並んで建てられました。この造士館を創設した島津重豪について,調べてみました。
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┃★┃ 島津藩8代藩主島津重豪
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鹿児島市で一番にぎやかな天文館通りは昔、望遠鏡などの天文観測器具を置き、「薩摩暦」をつくるための天文館(はじめ明時館)が置かれていた所です。電車通りから城山へ向かうアーケード街のはずれに天文館跡の石碑が建っています。この天文館をつくったのが、薩摩藩の政治を大きく変えた島津藩8代藩主島津重豪(しまづ しげひで)です。
重豪は一七四五年(延享二)、鹿児島で生まれたが、母は重豪を生んだ日に亡くなった。五歳の時、加治木島津家をついだ。
重豪は、薩摩藩は日本の最南端にあるので、武士の教育が行き届いていないのではとの思いから,儒学で士気をふるい起こそうと考えました。
そして1773(安永2)年,いまの中央公園あたりに藩の学校造士館を建て、8歳から22歳までの若者に朱子学を中心に学問をすすめました。また、造士館のとなりに武道場として演武館を建て、文武両面のたん練をすすめました。こうして、薩摩藩には学問や教養のある若者が多く輩出しました。
なお,重豪の三女茂姫(於篤 広大院 徳川家斉御台所) は、十一代将軍家斉(1773(安永2)年~1841(天保12))年にとつぐいでいます。後に天璋院が「篤姫」を名乗ったのは広大院にあやかったものです。
重豪は,89歳で生涯を閉じましたが,海外に強い興味を持つなど,その先進的な考え方は曽孫の島津斉彬(なりあきら)に引き継がれました。 島津斉彬(1809-1858)の藩主としての期間はわずか7年に過ぎませんでしたたが,新日本建設の理想をいだき,幕政および藩政を改革し西洋文化の輸入に努めるなづ,先見性豊かな人物であったことから,幕末の名君と敬われています。
殖産興業,開国貿易を促進し,日本初の溶鉱炉を建設するなど,富国強兵にも尽力しました。当時の日本の最先端を行った集成館事業により洋式の軍艦や大船を建造し,紡績,硝子,陶器,などの近代的産業に着目,その製造に当たった。その科学的識見は後世に偉大な影響を残しました。
島津斉彬
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