10月 6日(日) 阿久根市の名物行事 華の50歳組
1951(昭和26)年に阿久根小学校で始まった『華の50歳組』は,いまでは市内全小学校で取り組まれ,市をあげての一大イベントとして阿久根の秋の風物詩になっています。
今年も,全国各地から満50歳になる市内小学校の卒業生が阿久根に帰省し,それぞれの小学校の運動会に参加します。
・運動会「華の50歳組」競技: 2019年10月6日(日) 市内各小学校
◆『華の50歳組』の歴史-その始まりから今日まで
50歳組が始まった昭和20年代の中頃は,ようやく終戦の混乱も納まり,人々は精神的には落ち着きを取り戻しつつありました。その一方で,物質面では衣食住は欠乏し,特に食糧事情は深刻を極めていました。
そんな時勢にあって,古橋・橋爪の両選手が水泳の世界記録を次々に書き換え,国民に明るい希望を与え,日本復興に向けての兆しがようやく見えてきた時期でもありました。
当時の阿久根は,イワシの豊漁景気に沸き,経済的にも活気を呈していました。また,昭和27年には,鹿児島県内6番目の市制を施行と,隆盛の一途にありました。
・昭和26年 阿久根小学校で華の50組誕生!!(第5回運動会)
・昭和28年 大川小学校で始まる ※昭和32年からという説もあります
・昭和35年 西目小学校で始まる
・昭和50年代 山下小学校で始まる
・ 〃 尾崎小学校で始まる
・〃 鶴川内小学校で始まる
・昭和60年 折多小学校で始まる
・ 〃 脇本小学校で始まる
・平成6年 田代小学校で始まる
〃 隼人小学校で始まる
◆誕生のいきさつ
昭和26年に阿久根小学校の体育主任であった岩切亀彦氏(故人)によると,当時50歳であった数名の間で血気盛んであった青年時代の競争話がもちあがり,それに同調する人々がお互いの挑戦論をエスカレートさせ,さらに数名が加わり「今,競争して決着をつけよう」という話になり,当時の阿久根小の竹下利男校長(故人)に秋季運動会で50歳の競争種目を入れてくれるよう相談に行ったのがきっかけと言われています。
また,一説によると,この年に天皇陛下が50歳を迎えられたので,これを機会に同じ年の50歳の人達が率先して何かスポーツでもやってみようということになり,竹下校長に相談して事が運ばれたとも言われています。
呼び方についても,なぜ「華の50歳組」となったかは定かではありませんが,平成2年までは「花」の字であったものを阿久根小学校29年卒の方々の50歳組のときに『人生の折り返しとなるこれからを華やかに生きよう』ということで「華」に変更されています。
◆目的の発展
当初,50歳組の目的は,中年層の体力保持,健康増進であったと思われますが,現在は,50歳という節目の歳に,母校の運動会へ参加するのを機会に同級生が一堂に会し,お互いの無事を喜び, 亡師・亡友の慰霊を行うとともに,童心にかえって競技に参加して旧交を温め,連帯感を深める同窓会として阿久根市特有の慣習になっています。
◆商標登録が認可されました
市では,このように全国的にも珍しい心温まる伝統を市の財産と位置づけ,後世まで守り・育んでいく為に,平成17年2月に特許庁に対して,『華の50歳組』の商標登録を出願しました。平成18年3月に認可されました。今後も他に類を見ない阿久根市の固有の伝統行事として受け継がれ,さらなる発展が期待されます。
参考資料・出典:阿久根市ホームページ http://www.city.akune.kagoshima.jp/osirase/50.html#8