鎌倉時代以来の伝統を明治維新まで保った相良氏の城下町,人吉。落ち着いた町並みは「九州の小京都」と称されています。明応元(1492)年領主相良為続が入湯した記録があります。
人吉は晩秋から初春にかけては,朝もやがすっぽりと街を包み,九州の小京都と呼ぶにふさわしい風情をかもしだす,歴史と温泉とせせらぎのある落ち着いた町です。
◆JRの利用
熊本駅 - 人吉駅 1時間30分
鹿児島中央駅 - 人吉駅 2時間11分
博多駅 - 人吉駅 2時間50分
◆九州自動車道の利用
福岡I.C - 人吉I.C 2時間20分
熊本I.C - 人吉I.C 1時間 01分
宮崎I.C - 人吉I.C 1時間20分
鹿児島I.C - 人吉I.C 1時間11分
人吉城は,明治10年の西郷隆盛が決起しての西南戦争では,人吉城は薩摩軍の根拠地となりました。城は1862年の大火事で焼失しましたが,現在は公園として整備され,春は桜,秋は紅葉の名所でもあります。
人吉城は市内中央部を流れる球磨川の南側に位置し,球磨川とその支流胸川の合流点の山に築かれています。北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし,東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として,巧みに自然を利用しています。球磨川沿いに三の丸を配し,その南に二の丸,さらに丘陵上に本丸が配されている梯郭式の平山城です。本丸には天守は築かれず護摩堂があったと伝わっています。
国指定史跡「人吉城跡」は,鎌倉初期から幕末まで約700年にわたって人吉球磨地方を治めた相良家の居城でした。鎌倉時代から数えると実に35代700年の歴史を秘めた城でもあり,日本百名城にも指定されています。
この城は市内中央部を流れる球磨川の南側に位置し,球磨川とその支流胸川の合流点の山に築かれており,北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし,東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として,巧みに自然を利用して築かれています。改修工事の際,敷地内より出土した三日月形の石から別名「繊月(せんげつ)城」とも呼ばれています。
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