![]() | 幻の宰相 小松帯刀伝(改訂復刻版)瀬野 冨吉宮帯出版社小松帯刀の実像に迫る |
大河ドラマ「篤姫」では,小松帯刀は大久保と西郷の間の調整役,薩長同盟締結時の両藩のパイプ役といった,陰の役回りを演じている。実際のところは,コーデネターにとどまることなく,勝手方掛,軍役掛,琉球掛,産物方掛,唐物取締役掛,製薬方掛,蒸気船掛など,今風にたとえるなら,プレイングマネジャーとして,陣頭に立っていた。
小松帯刀は,幕府の鎖国政策のもとにあっても躊躇することなく,欧州の先進技術や文化を積極的にとり入れた。第11代薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)側近のとして仕え,その西洋指向の影響を受けたこと,生麦事件に端を発した薩英戦争(1863年)で英国の戦力の高さを身をもって知ったことなどが,その背景あったのであろう。
なお,英国との講和成立後は同国との交流を深め,留学生を派遣するなどして先進技術の導入に取り組んでいる。それ以前の1861年,当時の藩主島津成彬の意をうけて小松自身,長崎に出向き,オランダ人から水雷の技術を学んだ。「水雷」とは海中に火薬をしかけた箱を置き,そこを通る船を撃沈させるという武器である。それと併せて砲術の知識,オランダ艦船に搭乗し軍艦の操縦術の習得にも努めている。