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旧岩崎邸の三階菱について

2008年02月24日 | 旅遊記
26 歳で脱藩した坂本竜馬は勝海舟に出会い、日本の改革を決意する。
薩摩藩の西郷隆盛の支持を得て長崎に亀山社中を結成、
薩摩を始め諸藩の貨物輸送にあたる傍ら薩長同盟を演出をした。
その坂本竜馬が土佐藩参政である後藤象二郎と意気投合、
竜馬と中岡慎太郎は脱藩赦免状を得、亀山社中の船隊は海援隊となる。
慶応3年(明治維新の前年)に長崎商会に赴任した弥太郎は後藤象二郎を助け、
土佐藩のために金策に奔走し、蒸気船や武器弾薬を買付け、
海援隊の活動をも支えた。
岩崎家は甲斐武田の末裔だといわれる。
家紋も武田菱に由来する「三階菱」。
岩崎家は、山内家が入国後には山野に隠れていたが、
江戸中期から郷士として山内家に仕えるようになった。

土佐藩士たちにより、「九十九商会」が設立された。
九十九は土佐湾の別名。
海援隊で操船経験のある土居市太郎と、
長崎商会で貿易実務を経験している中川亀之助の二人が代表になった。
藩の立場から事業を監督するのが弥太郎だった。
藩船も土佐藩から数隻「九十九商会」に払い下げられた。
弥太郎は人材育成にも気を遣い、藩邸に学ぶ若者たちに英語の修得を奨励した。
弥太郎が大阪で取り仕切るのを嫌う者が土佐藩には多かった。
石川七財が内偵のために土佐藩から派遣されてきた。
弥太郎は、石川に帳簿など一切を見せ、これからの日本は海運と貿易だ。
石川は弥太郎に共鳴し、九十九商会に入ることになった。
石川は大局を誤らない豪胆な男で、後に川田小一郎とともに、
弥太郎の事業を支える二本柱となった。
九十九商社は、三方に長い菱形が伸びる船旗号が付いている。
今の三菱の原点を示す。
旧岩崎邸の袖塀には家紋の「三階菱」が埋め込まれている。
その近くの掲示板には、写真に写したように
三菱マークへの変化が示されていた。

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2 コメント

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えらいことに…… (真二)
2008-02-27 23:42:00
や~、えらいことになりました
妻の骨折10日目にして近くの整形医がギブアップ
骨が上手くつながらないとの事で、大慌てで即日、大きな病院で緊急手術となりました。
なんでも10日を過ぎると、もうどうにもならなくなってしまうんだそうです。
近頃の手術は凄いことをやるんですね
麻酔科のDrの説明を聴くことになったのですが、全身麻酔をすると肺も動かなくなるので、そのあいだ人工呼吸をします……なんて事もなげに言うではありませんか!
ま、こんなのは病院にしては序の口なんでしょうね
返信する
それはたいへんですね! (M.H)
2008-02-28 12:34:04
真二さん

それはたいへんですね。手術とは、やっぱり松井選手と似たような骨折ですね。お大事に。

今月最終の出張を終え、これから戻ります。東京の天気はいいのですが、寒いですね!風邪引いちゃいました。雪はどうかなぁ?
返信する

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