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荒神山へ再び行って来ました

2014年08月04日 | Weblog
三重県の鈴鹿の荒神山観音寺へ行って来ました。



春日の局(1579-1643)は、戦国時代から江戸初期に活躍した人です。

明智光秀の家臣斎藤利三の娘で、稲葉正成の妻となりましたが、

のちに離別して慶長9(1604)年、川家光の乳母となり、家光の将軍継嗣に尽力しました。

家光が将軍となってのちは、大奥にて権勢をふるいました。

春日局は上洛した際に参拝し、鐘桜の梵鐘と仏像5体をこの寺に寄進している。












 慶応2年(1866)4月8日、当寺裏山で起こった神戸長吉と安濃徳との縄張り争いは、

清水の次郎長がらみの話として「血煙荒神山」というのがあります。

博徒の桑名の穴太(あのう)の徳次郎に縄張りを奪われた神戸(かんべ)の長吉が、

吉良仁吉や清水の次郎長一家の支援を得て観音寺の裏山で死力を尽くして闘いました。

浪曲師・広沢虎造は喧嘩で憤死した吉良の仁吉の碑をここ建立している。

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