黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

軍艦島:草に埋もれる謎の遺構

2005-11-10 23:10:29 | 軍艦島(端島)


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

軍艦島オデッセイの掲示板では既にお伝えしていましたが、
このblogではまだだったので、アップしようと思います。

画像は島内最大の建物(65号棟)と島内で最後に建てられた建物(71号棟)の、
ちょうど交わるあたりに残存する旧ボイラー室の煙突と思われる遺構です。
手前に移る円筒形のコンクリの塊が煙突の基礎、
奥に写る四角いコンクリは壁状になっていて、
さらに右奥に手前と同じ円筒形のコンクリの塊があります。
壁状のコンクリ越しに中をのぞくと、
円筒形の構造物の、ちょうど画像の裏面には、
かつて中へ入れるようになっていた構造が確認できます。

当初この遺構がなんなのかさっぱりわかりませんでしたが、
軍艦島に関して凄く詳しいサイト『想像と記憶(端島・軍艦島)』の掲示板に質問をだしてみたところ、
管理人さんからお答えを頂きました。
そのサイトの中にまだ煙突があった頃の写真(ペーロン大会の写真上)が掲載されています。
色々な時代の写真を見てみると、
どうやら65号棟の内海側の棟が建設された時に、
以前このblogで取り上げた大煙突に交代したようです。
65号棟の内海側の屋上には保育園があり、
2本の旧煙突は65号棟より低かったために、廃止されたのでしょう。
屋上に保育園が完成した頃の写真には、既に2本の煙突は写っていません。
つまりこの遺構は昭和30年(1955)頃から閉山まで、ずっとここに有ったことになります。

さて上記の大煙突ですが、
閉山間近の鉱業所の図面をみると、この付近に「ボイラー室」の記述がありません。
まだ煙突が2本だった当時の図面には、ボイラー室の記述がありますが、
その後こつ然と消えてしまっています。
果たして65号棟の角にたつ大煙突は、本当にボイラー室の煙突だったのか、
まだまだわからないことが沢山あります。
 

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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
url変更 (超問です。)
2006-02-12 18:34:11
管理人 様



「まだ煙突があった頃の写真(ペーロン大会の写真上)」は、下記urlのページに移動になりましたので、変更頂ければ幸いです。



http://www1.cncm.ne.jp/~m8512215/hasima/65goutou.html



お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。
返信する
ありがとうございます (廃墟徒然草)
2006-02-12 20:40:41
▼超問さんへ



わざわざご連絡を頂き、ありがとうございます!

早速変更いたしました。

URLを変更されたということは、

内容が大幅に更新されたということでしょうか。

また各ページ、拝見させて頂きます。

 

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