以前のフィルム撮影した写真を整理していたら、
そのなかに野方給水塔の写真がありました。
野方給水塔とは、東京中野区の北寄りにある、巨大な給水タンク跡です。
淀橋浄水場も造った中島鋭治設計で、昭和5年(1930)完成。
昭和41年(1966)の閉鎖まで東京の西多摩地区の人々に水を供給しました。
いまでは綺麗に塗り直されて、災害用給水槽として復活しているようですが、
写真を撮影した時は、完全に放置された廃墟でした。
自転車で街を散歩していた時に突然現れた、奇妙な形をした巨大な建造物に
しばし呆然としたのを憶えています。
▼
そして自然とその中へ入りたい欲望に逆らえなくなってしまいました。
当時は入口の扉のガラスが割れ、有刺鉄線もそれほど頑丈でなかったので、
難なく中へ入る事ができました。
歩くたびに鉄片がぱらぱらと階下に落ちてゆく、
かなりの急勾配な鉄階段を、
一歩一歩確認しながら上まで昇って行ったのを憶えています。
▼
階段の最上部までたどり着くと、硝子が割れてなくなった扉があり
▼
そしてその奥には、この塔を外から見た時に無意識に抱いていた欲望・・・
(この塔の中はどうなっているんだろう)という欲望の答えがありました。
そこは全く何もない巨大な空間でした!
ただ内壁に画像のような構造物が2つあるだけで。
▼
要は筒状の建物の内部が完全に空洞だったということですね。
かつて稼働していた時代や、災害時の貯水槽として使われる現在は、
恐らくこの空洞が満々とした水で満たされるのでしょう。
最後に塔の上の方を一周するテラスに出て、
ドーム形の屋根に沿って設置された鉄梯子を昇って、
一番上の櫓まで行ってみましたが、
ここからの眺めは気持ちよくもあり、かなり怖くもあり・・・
▼
今思えばよく見つからなかったと思います。
全景画像の上部ドームの丁度左側のラインあたりに鉄梯子があったと思うので、
どう見ても丸見えですよね。
さらに、よく落ちなかったとも思います。
野方給水塔は、昭和52年(1977)に塗り直されているので、
恐らくその頃、災害時の貯水槽に生まれ変わったのだと思いますが、
アップした写真は昭和51年のものなので、
もう少し行くのが遅かったら、昇る事は出来なかったと思います。
思えばこの探索によって、廃墟を知り、廃墟を丸ごと感じ、
そしてその後の人生が廃墟に支配されてしまうようになってしまった(笑)のかもしれません
オープロジェクトでは、おそらく今後も所謂メジャーな産業廃墟を扱っていくとは思いますが、
このblogでは、ミドルからマイナーなものもアップしていければと思ってます。
※追記
先日江古田へ行った際に、今はどうなっているのかと思い、ついでに見に行きました。
一度は綺麗に塗り直された給水塔でしたが、また壁面などの剥落が始まっていました。
画像はすぐ近くの取り壊し待ち水道局施設。夜だったので、少し怖いですね。
▼
そのなかに野方給水塔の写真がありました。
野方給水塔とは、東京中野区の北寄りにある、巨大な給水タンク跡です。
淀橋浄水場も造った中島鋭治設計で、昭和5年(1930)完成。
昭和41年(1966)の閉鎖まで東京の西多摩地区の人々に水を供給しました。
いまでは綺麗に塗り直されて、災害用給水槽として復活しているようですが、
写真を撮影した時は、完全に放置された廃墟でした。
自転車で街を散歩していた時に突然現れた、奇妙な形をした巨大な建造物に
しばし呆然としたのを憶えています。
▼
そして自然とその中へ入りたい欲望に逆らえなくなってしまいました。
当時は入口の扉のガラスが割れ、有刺鉄線もそれほど頑丈でなかったので、
難なく中へ入る事ができました。
歩くたびに鉄片がぱらぱらと階下に落ちてゆく、
かなりの急勾配な鉄階段を、
一歩一歩確認しながら上まで昇って行ったのを憶えています。
▼
階段の最上部までたどり着くと、硝子が割れてなくなった扉があり
▼
そしてその奥には、この塔を外から見た時に無意識に抱いていた欲望・・・
(この塔の中はどうなっているんだろう)という欲望の答えがありました。
そこは全く何もない巨大な空間でした!
ただ内壁に画像のような構造物が2つあるだけで。
▼
要は筒状の建物の内部が完全に空洞だったということですね。
かつて稼働していた時代や、災害時の貯水槽として使われる現在は、
恐らくこの空洞が満々とした水で満たされるのでしょう。
最後に塔の上の方を一周するテラスに出て、
ドーム形の屋根に沿って設置された鉄梯子を昇って、
一番上の櫓まで行ってみましたが、
ここからの眺めは気持ちよくもあり、かなり怖くもあり・・・
▼
今思えばよく見つからなかったと思います。
全景画像の上部ドームの丁度左側のラインあたりに鉄梯子があったと思うので、
どう見ても丸見えですよね。
さらに、よく落ちなかったとも思います。
野方給水塔は、昭和52年(1977)に塗り直されているので、
恐らくその頃、災害時の貯水槽に生まれ変わったのだと思いますが、
アップした写真は昭和51年のものなので、
もう少し行くのが遅かったら、昇る事は出来なかったと思います。
思えばこの探索によって、廃墟を知り、廃墟を丸ごと感じ、
そしてその後の人生が廃墟に支配されてしまうようになってしまった(笑)のかもしれません
オープロジェクトでは、おそらく今後も所謂メジャーな産業廃墟を扱っていくとは思いますが、
このblogでは、ミドルからマイナーなものもアップしていければと思ってます。
※追記
先日江古田へ行った際に、今はどうなっているのかと思い、ついでに見に行きました。
一度は綺麗に塗り直された給水塔でしたが、また壁面などの剥落が始まっていました。
画像はすぐ近くの取り壊し待ち水道局施設。夜だったので、少し怖いですね。
▼
▼タケさんへ
この写真は1976年の撮影です。
1977年から災害貯水拠点になったというお話なので、
もう一年遅かったら見ることはできませんでしたね。
先日江古田へ用があって出かけたついでに、
今はどうなってるのかと思い見に行きましたが、
再び壁面が剥がれ出し、だいぶ汚れていました。
すぐ近くにある水道局施設は、
近々取り壊しか改装かされるみたいです。
その時の画像を追加しておきました。
いや~、感激です。まさか見ることができるとは思っていなかったので。
やはり内部は空洞になっているんですね。
ガラスの落ちた扉からの眺めは本当にぞくぞくしました。
そして圧巻は最上部のハシゴですね。
自分には絶対に無理そうな場所です(汗)
貴重なお写真、どうもありがとうございました!
(TBどうもありがとうございます)
あの頃は警備とかが今程厳しくなかったので、
入れたのだと思います。
それよりなにより子供だったので。
それでも帝銀事件とかがあったので、
水施設への警備は厳しい方だったと思います。
事実板橋の大谷口に入った時は捕まってますから(汗
フィルムも没収されたので、
板橋の写真はないんです(涙
塔頂のドームも、
当然今だったら昇れないですね(笑
内部空間の底の方は暗くて写せませんでしたが、
お椀のように丸いすり鉢状になっていました。
TBさせていただきました。
ありがとうございます。
1976年というとみずのとう公園ができてからですね。
さらに1年ちょっと前までは公園の部分も子供の背丈くらいの草木に覆われた文字通りの廃墟でした。
たぶん1960年代生まれのこのあたりの人なら、子供の頃ここを遊び場にしていた記憶があるかと。
ha-sukeさんも上まで行かれましたか!
私が行った時は、
既にみずのとう公園になってました。
その前は、荒れ地だったんですね。
私は江古田に住んでいたわけではありませんが、
野方給水塔と哲学堂(特に哲理門の幽霊)は、
いまでも忘れない思い出の場所です。
池袋に住んでいたころは、散歩がてらによく、給水塔を眺めに行ったものです。ほんとうにがっかりしました。調べると、去年の夏には解体工事がはじまっていたそうですね。まったく、知りませんでした。
あの塔は自分にとって、なにかの象徴のような気がしてなりませんでした。神秘的で美しいのですが、それ以上にいつも怖い気持ちになるのです。なのに、わざわざ出かけていって、見上げずにはいられない、実に不思議な造形でした。
ああ、それにしても前々から渇望していた「給水塔の内部」(江古田のほうですが)が見られるなんてっ! その昔に戻って、上から覗きこんだなら、底もわからないほど深く、黒々とした水を湛えていたのでしょうね。
魂まで震えるほど気味悪いのですが、どうしても目をそらすことのできない、ぞくぞくっとした気持ちでいっぱいです。
そうですか、大谷口へ行かれた時は、既に解体後でしたか。
残念でしたね(涙
コメントの上の方でも書きましたが、
大谷口の写真は没収されてしまったのでないんです。
当時はカメラもろくなものがなく、
よくここまで写ってたなという思いです。
今思えば底の方も写しておけばよかったと思いますが、
たぶん暗くてブレブレだったかもしれません。
廃墟だった当時は塔内には全く水はなく、
底までしっかり見えました。
コンクリのかけらを蹴落としてドーム内に響いた乾いた音を、
今でもよく覚えています。
それと落ちたら確実に逝けるとも思いました(笑
言われてみると、この塔の存在は、
きみわるくもあり聖域でもあり、っていう感じですね。
本来窓やドーム型の天井はなくてもいんじゃないかと思います
が、
それがないとまったくつまらない建物だったかもしれませんね。
「震えるほど気味悪い」けど「どうしても目をそらすことのできない」魅力は、
ただの給水塔に魔力を封じ込めた、
中島鋭治氏の力量ではないかと思います。
この塔は国の登録有形文化財に登録されました。中野区報に書かれておりました。
私もあと半年とか遅くに行っていたら、
中は観られなかったと思います。
登録有形文化財になったのなら、
階段を整備して、中を見学できる様にすればいと思いますが、
別の野方給水塔の記事
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/75bb2e10306bef0326673abe4cc91189
にもアップしたように、
中野区って、そのへん疎めだと思うんで、
あんまり期待できないとは思いますが。。。