池袋へ仕事で行く事が多くなり、さてどうやって行こうかと考えたあげく、
クライアントがサンシャインシティの近くなので、
最近開通した地下鉄副都心線で雑司ヶ谷まで行き、都営荒川線に乗り継いで、
東池袋4丁目からサンシャインシティへ行くコースを思いつきました。
打ち合わせ前の小1時間、見知らぬ街のぶらり旅。
画像が多いんでサムネ式です。クリックすると拡大します。
副都心線の雑司が谷を降りて地上に出ると、
目の前は東京で唯一の路面電車<都電荒川線>の駅ですが、
駅名は雑司が谷ではなく鬼子母神。
ちなみに馴染みのない人にはどちらも読み違えてしまいそうな駅名ですね。
「ぞーしがや」と「きしもじん」です。
路面電車と言っても一般車道と並走する箇所があまりないんで、
路面電車感は少ないながら、それでもJRや地下鉄よりは遥かにノスタルです。
鬼子母神駅に停まる荒川線越しに見えるサンシャインシティ(画像上左)
駅前駐車場の一角に残る町神さま。祠横の木が凄いですね!(画像上右)
駅から程なく歩くと、鬼子母神の参道商店街が見えて来ます。
大きく育ったケヤキ並木に囲まれる石畳の参道は、
短い距離ながらとても雰囲気があります(画像上左)
参道の途中には凝った看板建築の長屋などもあり、
徐々にノスタルな世界へ惹き込まれて行きます(画像上右)
鬼子母神さまへ到着です。正式には「法明寺鬼子母神堂」
詳しくはオフィシャルサイトをご覧下さい。
「鬼」の上の点がないのが正式な表記だそうです。
江戸時代の姿に復元する昭和の大修理の功あってか、
境内には古刹の風格が漂い、一気にタイムトリップさせてくれます。
本殿鬼子母神堂も厳かな雰囲気で(画像左)
また本堂の両側にある防火用水槽は、
水桶が全部鉄製のレプリカで、これまた不思議(画像右)
そしてこの境内を訪れたかった最大の理由は、
なんといっても駄菓子屋「上川口屋」さんです。
創業1781年!
飴売りから始まって14代目のおかみさんが静かに営む駄菓子屋は、
それだけでも風格です。
店先には今風の駄菓子から懐かしの駄菓子までよりどりみどり。
木箱に入った串カステラが懐かしく1本貰いました。
子供の頃の駄菓子を買う時のクセで右はじの一番奥からとりましたが、
案の定<あたり>!
ここで買う子供達、ごめんなさいね、
せっかくの楽しみを当ててしまって(^.^ゞ)
串カステラは記憶通りの味でした。
境内にある樹齢600年の大銀杏(画像上左)
鎌倉八幡宮の大銀杏のような老醜がなく、
600年とは思えない元気さにびっくり。
その周りを囲む様に赤い鳥居がずら~と並んでいますが、
寺の境内になんで赤鳥居?と思うも、
この一帯が稲荷の森と呼ばれていた頃の名残だそうです。
小一時間はあっという間に過ぎ鬼子母神駅へ向かいます。
途中通りかかったひなびた商店街の一角に残る路地(画像上左)や、
駅前商店街のふとん屋(画像上右)など、
街全体が醸し出すノスタルは、
下町のような派手さはないものの、
他の地域では感じない独特のものがあった雑司が谷。
◆
ノシタルな街を歩いていつも感じるのは、街が暗いことです。
一番の原因は建物の外壁に板壁が多いだからだと思いますが、
その昔赤や紫などの派手な色は神社仏閣のみが使う事を許された、特別な色でした。
それ以外の場所で見える色は、
茶色い建物に緑の植物、そして道砂利の灰色だけだったと思います。
そんなノスタルな町中を歩いていると、
気持ちの色合いが落ち着いて行くのを感じます。
今は街に色々な色が溢れていますが、
果たしてこれが気持ちの欲求からそうなったのか、
それとも街がそうなったから気持ちが変化したのかは、
鶏が先か卵が先か、と同じかもしれない
などと思いながらクライアント先へ向かいました。
■追記■ AUG. 27, 2008
副都心線の「ぞーしがや」は「雑司ヶ谷」ではなく「雑司が谷」なので訂正。
荒川線鬼子母神駅の隣も「そーしがや」だけど、こちらは「雑司ヶ谷」
ちなみに副都心線の完成で「都電雑司ヶ谷」に駅名が変わったとか。。。
クライアントがサンシャインシティの近くなので、
最近開通した地下鉄副都心線で雑司ヶ谷まで行き、都営荒川線に乗り継いで、
東池袋4丁目からサンシャインシティへ行くコースを思いつきました。
打ち合わせ前の小1時間、見知らぬ街のぶらり旅。
画像が多いんでサムネ式です。クリックすると拡大します。
副都心線の雑司が谷を降りて地上に出ると、
目の前は東京で唯一の路面電車<都電荒川線>の駅ですが、
駅名は雑司が谷ではなく鬼子母神。
ちなみに馴染みのない人にはどちらも読み違えてしまいそうな駅名ですね。
「ぞーしがや」と「きしもじん」です。
路面電車と言っても一般車道と並走する箇所があまりないんで、
路面電車感は少ないながら、それでもJRや地下鉄よりは遥かにノスタルです。
鬼子母神駅に停まる荒川線越しに見えるサンシャインシティ(画像上左)
駅前駐車場の一角に残る町神さま。祠横の木が凄いですね!(画像上右)
駅から程なく歩くと、鬼子母神の参道商店街が見えて来ます。
大きく育ったケヤキ並木に囲まれる石畳の参道は、
短い距離ながらとても雰囲気があります(画像上左)
参道の途中には凝った看板建築の長屋などもあり、
徐々にノスタルな世界へ惹き込まれて行きます(画像上右)
鬼子母神さまへ到着です。正式には「法明寺鬼子母神堂」
詳しくはオフィシャルサイトをご覧下さい。
「鬼」の上の点がないのが正式な表記だそうです。
江戸時代の姿に復元する昭和の大修理の功あってか、
境内には古刹の風格が漂い、一気にタイムトリップさせてくれます。
本殿鬼子母神堂も厳かな雰囲気で(画像左)
また本堂の両側にある防火用水槽は、
水桶が全部鉄製のレプリカで、これまた不思議(画像右)
そしてこの境内を訪れたかった最大の理由は、
なんといっても駄菓子屋「上川口屋」さんです。
創業1781年!
飴売りから始まって14代目のおかみさんが静かに営む駄菓子屋は、
それだけでも風格です。
店先には今風の駄菓子から懐かしの駄菓子までよりどりみどり。
木箱に入った串カステラが懐かしく1本貰いました。
子供の頃の駄菓子を買う時のクセで右はじの一番奥からとりましたが、
案の定<あたり>!
ここで買う子供達、ごめんなさいね、
せっかくの楽しみを当ててしまって(^.^ゞ)
串カステラは記憶通りの味でした。
境内にある樹齢600年の大銀杏(画像上左)
鎌倉八幡宮の大銀杏のような老醜がなく、
600年とは思えない元気さにびっくり。
その周りを囲む様に赤い鳥居がずら~と並んでいますが、
寺の境内になんで赤鳥居?と思うも、
この一帯が稲荷の森と呼ばれていた頃の名残だそうです。
小一時間はあっという間に過ぎ鬼子母神駅へ向かいます。
途中通りかかったひなびた商店街の一角に残る路地(画像上左)や、
駅前商店街のふとん屋(画像上右)など、
街全体が醸し出すノスタルは、
下町のような派手さはないものの、
他の地域では感じない独特のものがあった雑司が谷。
◆
ノシタルな街を歩いていつも感じるのは、街が暗いことです。
一番の原因は建物の外壁に板壁が多いだからだと思いますが、
その昔赤や紫などの派手な色は神社仏閣のみが使う事を許された、特別な色でした。
それ以外の場所で見える色は、
茶色い建物に緑の植物、そして道砂利の灰色だけだったと思います。
そんなノスタルな町中を歩いていると、
気持ちの色合いが落ち着いて行くのを感じます。
今は街に色々な色が溢れていますが、
果たしてこれが気持ちの欲求からそうなったのか、
それとも街がそうなったから気持ちが変化したのかは、
鶏が先か卵が先か、と同じかもしれない
などと思いながらクライアント先へ向かいました。
■追記■ AUG. 27, 2008
副都心線の「ぞーしがや」は「雑司ヶ谷」ではなく「雑司が谷」なので訂正。
荒川線鬼子母神駅の隣も「そーしがや」だけど、こちらは「雑司ヶ谷」
ちなみに副都心線の完成で「都電雑司ヶ谷」に駅名が変わったとか。。。
でも、このエントリーを見ていると、またまた行きたくなってきます。
ちなみに、この駄菓子屋さんでは当たったことがありません(^^ゞ
こういう雰囲気僕も大好きです。
しかし「鬼子母神」って凄い地名ですよねw
雑司ヶ谷は不思議なところで、気に入りました!
鬼子母神界隈もそうでうが、
都電の雑司ヶ谷駅界隈も気になる所です。
いずれアップしようと思います。
そういえば副都心線の雑司ヶ谷は
「雑司ヶ谷」ではなく「雑司が谷」でしたね。
いい雰囲気ですよね!
「鬼子母神」に限らず「雑司ヶ谷」も凄い地名だと思いますが、
そもそも「雑司」ってどんな仕事だったんでしょかね。
でも、鬼子母神までノンビリ歩いても30分ちょっと。
ちょうど良い散歩コースだったんです。
「みずの塔」は10分くらいでしょうか。
馬場や目白にも30分ほどと、なかなか良い場所でしたよ。
逆方向だと、中野にも良く散歩に来ていました。
で、今の住まいを見つけたという次第です(^^ゞ
確かに目白、馬場、江古田などの北西東京界隈には、
うってつけの場所ですね!
中落合の近辺は、もう子供の頃以来全然行ってませんが、
時間ができたら行ってみようと思います。