最近よく書き込みを頂くさっちゃんさんのお話から、
わが故郷、中野の事をいろいろと思い出しました。
確か去年の春頃、駅の高架下で行なわれていた、
「中野駅開業120年 写真にみる中野駅の変遷」
を撮影した画像があったのでご覧下さい。
(著作権は中野区とかが管理してるのかもしれないけど、
まあ撮禁表示無しのものをガラス越しに撮影した物だからいっか)
展示されていた写真の中で一番古かったもの。
明治40(1907)年の中野駅南口。なんと百年以上前!
これだけ見る分には全く面影なーし。
古すぎて感慨もなーし。
それもそのはず。
この当時は今の位置とは別の位置で、
西に100mのところにあったということなんで、
現在の駐輪場の横あたりになるんでしょうか。
大正12(1923)年。この当時もまだ開業時の位置ですが、
駅舎の形が少し変わった様にみえます。
それにしてもボヤ~っとした駅前ですね。
そして昭和4(1929)年、現在の位置に移転して、
新しい駅舎が完成したそうです。
南口ですが、これなら中野駅だと納得です。
タクシーの形もさることながら、人力車が並んでますね!
ちょこんと乗っかった駅名プレートも、サッポロビールの旗も、
全部右書き文字です。
昭和5(1930)年の中野駅前。
解説には中野北口仲通りと書かれていましたが、
現在の北口サンモール商店街。
奥の方の右側に、辻屋ハキモノ店の看板が見えますが、
このお店は現在もサンモールの中で営業しています。
新しい中野駅の開業の翌年。
やはり人力車が写ってるし、
奥にうつる女性は着物姿のよですが、
真ん中に写る子供が妙に戦後っぽいのが気になります。
昭和7(1932)年の中野駅前。
今度は中野北口商店街と書かれていましたが、
これも現在のサンモール。
現在のブロードウェイ付近から駅方面を眺めた光景です。
視点の高さから言って、3階建て位の建物からでしょうか。
道行く人を見る限り、
一つ前の写真よりは昭和初期に納得です。
昭和22 (1947) 年。北口駅前。
戦後の光景ですね。
商店街はまだアーケードになっていないようです。
おそらく闇市の臭いを十分に漂わせていた時代ではないでしょうか。
昭和34 (1959) 年の南口。
ボンネットバス、三輪自動車、
観音開きクラウンのタクシーなど、
オールウェイズど真ん中の光景ですね。
まだ歩道にガードレールがありません。
昭和41 (1966) 年の北口駅前。
商店街はアーケードになっているようですが、
サンモール以前の美観街の時代ですね。
この年ブロードウェイが完成しています。
昭和41 (1966) 年の北口美観街。
右上に、昭和5年の写真にも写っていた、
辻屋はきもの店が写っています。
美観街……漢字で見ればよくわかりますが、
当時は「ビカンガイ」という発音でしか聞いてなかったので、
ずいぶん妙な名前だな~、などと思っていました。
昭和47 (1972) 年
最後は新しく建て変わった中野駅。
後ろには間もなく完成する中野サンプラザが写っています。
サンプラザの開幕式の時には、
当時の総理大臣、田中角栄氏が訪れましたが、
テープカットのテープを切らずにくぐろうとして、
周囲から失笑を買っていました。
「お金で買えない物が一つある。それは品格だ」
という角栄氏の言葉が思い出されます。
わが故郷、中野の事をいろいろと思い出しました。
確か去年の春頃、駅の高架下で行なわれていた、
「中野駅開業120年 写真にみる中野駅の変遷」
を撮影した画像があったのでご覧下さい。
(著作権は中野区とかが管理してるのかもしれないけど、
まあ撮禁表示無しのものをガラス越しに撮影した物だからいっか)
展示されていた写真の中で一番古かったもの。
明治40(1907)年の中野駅南口。なんと百年以上前!
これだけ見る分には全く面影なーし。
古すぎて感慨もなーし。
それもそのはず。
この当時は今の位置とは別の位置で、
西に100mのところにあったということなんで、
現在の駐輪場の横あたりになるんでしょうか。
大正12(1923)年。この当時もまだ開業時の位置ですが、
駅舎の形が少し変わった様にみえます。
それにしてもボヤ~っとした駅前ですね。
そして昭和4(1929)年、現在の位置に移転して、
新しい駅舎が完成したそうです。
南口ですが、これなら中野駅だと納得です。
タクシーの形もさることながら、人力車が並んでますね!
ちょこんと乗っかった駅名プレートも、サッポロビールの旗も、
全部右書き文字です。
昭和5(1930)年の中野駅前。
解説には中野北口仲通りと書かれていましたが、
現在の北口サンモール商店街。
奥の方の右側に、辻屋ハキモノ店の看板が見えますが、
このお店は現在もサンモールの中で営業しています。
新しい中野駅の開業の翌年。
やはり人力車が写ってるし、
奥にうつる女性は着物姿のよですが、
真ん中に写る子供が妙に戦後っぽいのが気になります。
昭和7(1932)年の中野駅前。
今度は中野北口商店街と書かれていましたが、
これも現在のサンモール。
現在のブロードウェイ付近から駅方面を眺めた光景です。
視点の高さから言って、3階建て位の建物からでしょうか。
道行く人を見る限り、
一つ前の写真よりは昭和初期に納得です。
昭和22 (1947) 年。北口駅前。
戦後の光景ですね。
商店街はまだアーケードになっていないようです。
おそらく闇市の臭いを十分に漂わせていた時代ではないでしょうか。
昭和34 (1959) 年の南口。
ボンネットバス、三輪自動車、
観音開きクラウンのタクシーなど、
オールウェイズど真ん中の光景ですね。
まだ歩道にガードレールがありません。
昭和41 (1966) 年の北口駅前。
商店街はアーケードになっているようですが、
サンモール以前の美観街の時代ですね。
この年ブロードウェイが完成しています。
昭和41 (1966) 年の北口美観街。
右上に、昭和5年の写真にも写っていた、
辻屋はきもの店が写っています。
美観街……漢字で見ればよくわかりますが、
当時は「ビカンガイ」という発音でしか聞いてなかったので、
ずいぶん妙な名前だな~、などと思っていました。
昭和47 (1972) 年
最後は新しく建て変わった中野駅。
後ろには間もなく完成する中野サンプラザが写っています。
サンプラザの開幕式の時には、
当時の総理大臣、田中角栄氏が訪れましたが、
テープカットのテープを切らずにくぐろうとして、
周囲から失笑を買っていました。
「お金で買えない物が一つある。それは品格だ」
という角栄氏の言葉が思い出されます。
同じ中央沿線でも荻窪まで行くと、既にさびれの色が強くなってきますね。
おもに2階あたりの店の事でしょうか。
中央線沿線は、
荻窪まで行くと、というより、
荻窪だけなぜか、遅れ気味な印象ですね。
西荻から吉祥寺になると、また時代に合わせて、
変化しているようです。
南口駅前にも昭和20年代かとも思われる古い低層ビルが残っていますね。
中野と吉祥寺に挟まれ個性を出し切れない状態なのでしょうか。
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/5db4abfd913d4ace1a09081cffc96c78
確かに他の駅前に比べて、
エアポケット的に古い街並が残っていると思います。
中野から吉祥寺までの駅で考えると、
中野と荻窪は群を抜いて古い駅ですが、
開発が遅れた理由はなんでしょうか。
これらの駅の中で荻窪が唯一違う点は、
駅が高架じゃないということでしょうか。
北と南が寸断されている事が、
開発の遅れに繋がっているような気もいたします。