オープロジェクト運営の軍艦島ポータル・サイト
軍艦島オデッセイの掲示板に、
軍艦島の幻のエレベーターのお話を頂いたので、
拙blogでもアップしておこうと思いました。
画像は島内最大の建物、65号棟の屋上に残る、
エレベーター用の屋上機械室跡です。
この建物は第二次世界大戦の真っ最中に建設された、
本格的な大規模鉄筋コンクリートのアパートで、
ここまでしっかりとした建物が建てられたのは、
戦時下では唯一の事例だそうです。
そしてこの建物にはエレベーターの設置計画がありましたが、
結局最後まで実現はしませんでした。
軍艦島のアパート群を詳しく解説した『軍艦島実測調査資料集』には、
戦時下で「器材が手には入らなかったため」と説明していますが、
戦後この建物は建て増しされ、
その時に造られた屋上機械室が画像のものです。
貴重な燃料源を供給する炭鉱は、
戦時下、手厚く保護されていたと聞きます。
ただでさえ物資のない敗戦間際に建てられた<報国寮>といわれるこの建物が、
軍の資金援助によって建設されたことは充分想像できるので、
戦後軍の手を放れた軍艦島にエレベーターが設置されなかったのは、
器材不足というよりは、
資金面の問題が大きき関わっていたのではないかとも思います。
もし完成していれば、
<当時極めて珍しい高層アパートに設置されたエレベーター>
になっていた幻の跡は、
今も報国寮の屋上にひっそりと残っています。
■訂正■ 17.MAR.2006
当初エレベーターの特徴として、
<日本初のアパートに設置されたエレベーター>
とアップしていましたが、
tksさんからのご指摘を頂き、訂正しました。
◆シリーズ:あまり知られていない軍艦島 INDEX◆
軍艦島オデッセイの掲示板に、
軍艦島の幻のエレベーターのお話を頂いたので、
拙blogでもアップしておこうと思いました。
画像は島内最大の建物、65号棟の屋上に残る、
エレベーター用の屋上機械室跡です。
この建物は第二次世界大戦の真っ最中に建設された、
本格的な大規模鉄筋コンクリートのアパートで、
ここまでしっかりとした建物が建てられたのは、
戦時下では唯一の事例だそうです。
そしてこの建物にはエレベーターの設置計画がありましたが、
結局最後まで実現はしませんでした。
軍艦島のアパート群を詳しく解説した『軍艦島実測調査資料集』には、
戦時下で「器材が手には入らなかったため」と説明していますが、
戦後この建物は建て増しされ、
その時に造られた屋上機械室が画像のものです。
貴重な燃料源を供給する炭鉱は、
戦時下、手厚く保護されていたと聞きます。
ただでさえ物資のない敗戦間際に建てられた<報国寮>といわれるこの建物が、
軍の資金援助によって建設されたことは充分想像できるので、
戦後軍の手を放れた軍艦島にエレベーターが設置されなかったのは、
器材不足というよりは、
資金面の問題が大きき関わっていたのではないかとも思います。
もし完成していれば、
<当時極めて珍しい高層アパートに設置されたエレベーター>
になっていた幻の跡は、
今も報国寮の屋上にひっそりと残っています。
■訂正■ 17.MAR.2006
当初エレベーターの特徴として、
<日本初のアパートに設置されたエレベーター>
とアップしていましたが、
tksさんからのご指摘を頂き、訂正しました。
◆シリーズ:あまり知られていない軍艦島 INDEX◆
><日本初のアパートに設置されたエレベーター>
>になっていた幻の跡は、
集合住宅にエレベーターが設置された日本で最初の事例は、たぶん同潤会アパートメントだと思います。虎ノ門(昭和4)・大塚女子(昭和5)・江戸川(昭和9)アパートメントにありました(カッコ内は竣工年)。よってこれら3カ所のうち最初に竣工した虎ノ門アパートメントがエレベーター設置第一号といえるでしょう。ただし、ここは低層階がオフィス(同潤会の事務所)、高層階が住宅という併用型です。大塚女子は女性専用、江戸川は一般的な集合住宅でした。すべて解体済み。
【関連サイト】
文化アパートメントの生活
http://www.tokyobunka.ac.jp/dataroom/apart/index.html
日本のマンションのルーツを探る
http://mspsite.cool.ne.jp/ms-roots.html
「文化アパートメントの生活」の「(二)便利な生活」の項に「オチス自動エレベーター」とありますが、これはエレベーターメーカー世界最大手のオーチス社のことでしょう。
日本オーチス・エレベータ(株)の沿革
http://www.otis.com/cp/categorydetails/1,2239,CLI57_CPI1_RES1,00.html
的確なご指摘、たいへんありがとうございます!
まず<軍艦島に日本初のアパート設置のエレベーター計画>
ということを、どこからそう思ったのかを思い出してみました。
おそらく軍艦島実測調査資料集あたりではないかと思い読み返してみると、
「 一方昭和32年、晴海公団アパート(RC10階建て、前川国
男設計)の出現までエレベーターをもつ高層アパートは、
戦後の事例に関する限り日本にはなかったが、65号棟(
昭和20年、RC地下1階、地上9階+屋上幼稚園)にはエレベ
ーターシャフトと機械室、階段室のペントハウスが屋上に
突出している。(中略)設計としてはこれも戦前の日本の
アパート用エレベーターとして希有のものであると考えら
れる。」(『軍艦島実測調査資料集』p633より)
という箇所をみつけました。
おそらくこのくだりから、
まず高層アパートで始めて設置されそうになったのが軍艦島のアパートだったと勘違いし、
更に時間の経過とともに「アパート設置の」に
なってしまったんだと思います。(汗
今改めてこのテキストを読んでみると、
まず高層アパートでの設置も
「戦後の事例に関する限り」と断っているので、
戦前にはあったことも示唆する文章ですね。
また「希有のものであると~」とも書いてあるので、
これがご指摘のお茶の水文化アパートや同潤会アパートのことだと思います。
思えば先日コメント上でお話させて頂いた、
『集合住宅物語』の同潤会大塚女子アパートの項にも、
エレベーターがあったというくだりがありますし、
大塚アパートを撮影した写真に、エレベーターが写っているものも、
過去に見た記憶があります。
さっそく訂正させて頂きます。
改めて、ご指摘、ありがとうございました。
>男設計)の出現までエレベーターをもつ高層アパートは、
>戦後の事例に関する限り日本にはなかったが、
何度もコメントして恐縮です。実は「戦後初のエレベーター付き集合住宅」は晴海公団アパート(昭和32)ではなく、東京都が建てた宮益坂アパート(昭和28)なんです。宮益坂アパートは日本初の分譲マンションとして知られており、渋谷区上通り2丁目に今もあるはずです。当初は何とエレベーターガールがいたそうですよ。『軍艦島実測調査資料集』の記述は、晴海アパートの存在感が大きいがために宮益坂アパートのことは失念していたのでしょう。
【参考リンク】
http://www.housing-museum.com/japan20_tokyo_central2.htm#53-1
http://sumai.nikkei.co.jp/mansion/kanri/serial_20040405p4000p4.html
それから、炭鉱住宅にエレベーターがない理由の考察を私のブログに記しております。TBをご参照下さい。トラブルに即応できないことがネックだったのではないか、というのが私の考えです。
いつも色々な情報を頂き、ありがとうございます。
> 何度もコメントして恐縮です。
全然そんなことありません。
こちらこそ、公開無料講義を聴かせて頂いているようで、
感謝しています。
NIKKEIのマンション・サテライトNo.51を読むと、
「東京の新名所としてマスコミにも取りあげられるほど」
とあったので、完成時は結構話題になったのかなと思いました
が、
やはり阿久井先生は忘れていたのでしょうか。
ともあれまたひとつ集合住宅に関する時間的な流れを知ることができました。
ありがとうございます。
それにしても、集合住宅って、なんで魅力があるんでしょうかね。
もともとは産業廃墟に興味があり、
住宅にはそれ程興味はなかったのですが、
軍艦島の集合住宅を見て以来、
とても興味の沸く対象になりました。