シリーズ沖縄。久高島の続きです。
久高島/ハタス
前回の記事の最後に触れた、
久高島の西海岸に点在する井戸=ガーのひとつ、ヤクルガーの近くに、
ハタスと呼ばれる拝所があります。
久高島の最初の記事で触れた五穀が、
最初に植えられた畑として祀られたものです。
ここでも勿論祠等はなどは一切なく、
知らなければ見逃してしまいがちな形は、
島民だけが知る信仰の現れだと思います。
久高島
島内を奥へ進むと、鬱蒼と茂る林がありました。
この林は特になんということはない林だと思いますが、
それでも木立の奥に息をひそめる得体の知れない息吹を感じます。
数々の神聖な御嶽を持つ久高島ですが、
その中でも一番神聖視されている御嶽が、
島のほぼ中央にあるフボー御嶽です。
様々な神事が行なわれるフボー御嶽は勿論男子禁制。
以前は女性なら中を見学出来たそうですが、
近年ではそれも禁止され、
今は道から少し入った所までしか行けません。
それだけ久高の人にとって大事な場所ということだと思います。
最近流行のパワースポットとしても人気が高いらしく、
訪れた人の中には、奇声を発して狂った様に奥へ走って行ったとか、
その場で痙攣を起こして失神した、とか、
都市伝説的な逸話にもこと欠かないようですが、
個人的には何も感じませんでした。
ただ、カメラを構える気持ちが一切起きず、
結局フボー御嶽の画像が1枚もないのは、
神にそうしむけられた結果だったのかもしれません。
久高島
鬱蒼と茂る木立の向こうに、光を浴びて輝いている空間が見えました。
久高島/ウドゥンミャー(久高殿)
その昔から島の繁栄を祈った神聖な場所、ウドゥンミャー。
麦の収穫、大漁、健康祈願など様々な祈りが捧げられたこの場所は、
イザイホーでも重要な場所として使われます。
イザイホーとは、かつて久高島で12年に1度行なわれていた、
31歳以上の既婚女性が神女になるための儀式。
ノロと呼ばれる位の高いシャーマンのしきりのもと、
ナンチュと呼ばれる、その年に神女になる女性が、
様々な洗礼を受けて巫女になる儀式です。
イザイホーは島民だけで行なわれ、
その実体はずっとベールに包まれていましたが、
ノロのはからいで1966年から特別に公開され、
78年の時の貴重な記録映像が残っています。
イザイホー Part1
イザイホー Part2
しかし、
残念ながら最後のノロと言われる久高ノロの西銘シズさんの逝去と、
後継となるナンチュの不在で、
1978年を最後に、イザイホーは行なわれていません。
久高島/イラブーの燻製小屋
ウドゥンミャーに隣接してイラブーの薫製小屋があります。
イラブーとはエラブウミヘビのこと。
かつて王朝に献上されていた最高級の薫製作りの技術が今も伝わり、
現在でも当時の小屋のなかで当時の製法通り作られているそうです。
久高島/ウフグイ(外間殿)
神女には久高家と外間家の2つの流があり、
両方とも久高島の始祖の家系です。
この画像は、ウドゥンミャーから少し離れたところにある、
かつて琉球王朝時代に公事に関わる神事を司った、
外間家の祭場です(画像右)。
「男は海人(ウミンチュ)、女は神人(カミンチュ)」
という沖縄の古来からの言葉をそのまま形にした様なイザイホーは、
女性崇拝という原始的な、逆を言えば人間の根源的な信仰が、
色濃く残った祭祀だと思います。
そんなイザイホーが途絶えてしまったのはとても残念ですが、
最近久高島に、
当然知らない筈の100年以上も昔の言葉を使いながら、
当時の様子を語る若い女性が現れたそうです。
島民の方は、もしかしたらノロが復活し、
イザイホーも復活するのではないかと、
とても期待しているそうです。
久高島/ウプラトゥー(大里家)
ウドゥンミャーからほど近いところにある、
ウプラトゥーと呼ばれるこの小屋は、
祭事を行うための建物ではありません。
琉球王朝には第一尚氏と第二尚氏の2つの王朝の時代がありましたが、
その第一尚氏王朝最後の17代尚徳王が久高島に渡った際、
この家の神女クニチャサと恋に落ち、ずっと入り浸っている隙に、
王朝は第二尚氏に乗っ取られてしまった、
という逸話が残っています。
久高島/ウプラトゥー(大里家)
尚徳王は絶望の果てに、
帰途の船から海に飛び込んで自らの命を絶ってしまったそうです。
またクニチャサも王の死を知り、
家の前にあるガジュマルの木で首を吊って命を絶ってしまったそうです。
琉球王朝の劇的な史実の舞台は、
とても儚く質素な建物でした。
◆
◆ シリーズ 沖縄 ◆
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久高島/ハタス
前回の記事の最後に触れた、
久高島の西海岸に点在する井戸=ガーのひとつ、ヤクルガーの近くに、
ハタスと呼ばれる拝所があります。
久高島の最初の記事で触れた五穀が、
最初に植えられた畑として祀られたものです。
ここでも勿論祠等はなどは一切なく、
知らなければ見逃してしまいがちな形は、
島民だけが知る信仰の現れだと思います。
久高島
島内を奥へ進むと、鬱蒼と茂る林がありました。
この林は特になんということはない林だと思いますが、
それでも木立の奥に息をひそめる得体の知れない息吹を感じます。
数々の神聖な御嶽を持つ久高島ですが、
その中でも一番神聖視されている御嶽が、
島のほぼ中央にあるフボー御嶽です。
様々な神事が行なわれるフボー御嶽は勿論男子禁制。
以前は女性なら中を見学出来たそうですが、
近年ではそれも禁止され、
今は道から少し入った所までしか行けません。
それだけ久高の人にとって大事な場所ということだと思います。
最近流行のパワースポットとしても人気が高いらしく、
訪れた人の中には、奇声を発して狂った様に奥へ走って行ったとか、
その場で痙攣を起こして失神した、とか、
都市伝説的な逸話にもこと欠かないようですが、
個人的には何も感じませんでした。
ただ、カメラを構える気持ちが一切起きず、
結局フボー御嶽の画像が1枚もないのは、
神にそうしむけられた結果だったのかもしれません。
久高島
鬱蒼と茂る木立の向こうに、光を浴びて輝いている空間が見えました。
久高島/ウドゥンミャー(久高殿)
その昔から島の繁栄を祈った神聖な場所、ウドゥンミャー。
麦の収穫、大漁、健康祈願など様々な祈りが捧げられたこの場所は、
イザイホーでも重要な場所として使われます。
イザイホーとは、かつて久高島で12年に1度行なわれていた、
31歳以上の既婚女性が神女になるための儀式。
ノロと呼ばれる位の高いシャーマンのしきりのもと、
ナンチュと呼ばれる、その年に神女になる女性が、
様々な洗礼を受けて巫女になる儀式です。
イザイホーは島民だけで行なわれ、
その実体はずっとベールに包まれていましたが、
ノロのはからいで1966年から特別に公開され、
78年の時の貴重な記録映像が残っています。
イザイホー Part1
イザイホー Part2
しかし、
残念ながら最後のノロと言われる久高ノロの西銘シズさんの逝去と、
後継となるナンチュの不在で、
1978年を最後に、イザイホーは行なわれていません。
久高島/イラブーの燻製小屋
ウドゥンミャーに隣接してイラブーの薫製小屋があります。
イラブーとはエラブウミヘビのこと。
かつて王朝に献上されていた最高級の薫製作りの技術が今も伝わり、
現在でも当時の小屋のなかで当時の製法通り作られているそうです。
久高島/ウフグイ(外間殿)
神女には久高家と外間家の2つの流があり、
両方とも久高島の始祖の家系です。
この画像は、ウドゥンミャーから少し離れたところにある、
かつて琉球王朝時代に公事に関わる神事を司った、
外間家の祭場です(画像右)。
「男は海人(ウミンチュ)、女は神人(カミンチュ)」
という沖縄の古来からの言葉をそのまま形にした様なイザイホーは、
女性崇拝という原始的な、逆を言えば人間の根源的な信仰が、
色濃く残った祭祀だと思います。
そんなイザイホーが途絶えてしまったのはとても残念ですが、
最近久高島に、
当然知らない筈の100年以上も昔の言葉を使いながら、
当時の様子を語る若い女性が現れたそうです。
島民の方は、もしかしたらノロが復活し、
イザイホーも復活するのではないかと、
とても期待しているそうです。
久高島/ウプラトゥー(大里家)
ウドゥンミャーからほど近いところにある、
ウプラトゥーと呼ばれるこの小屋は、
祭事を行うための建物ではありません。
琉球王朝には第一尚氏と第二尚氏の2つの王朝の時代がありましたが、
その第一尚氏王朝最後の17代尚徳王が久高島に渡った際、
この家の神女クニチャサと恋に落ち、ずっと入り浸っている隙に、
王朝は第二尚氏に乗っ取られてしまった、
という逸話が残っています。
久高島/ウプラトゥー(大里家)
尚徳王は絶望の果てに、
帰途の船から海に飛び込んで自らの命を絶ってしまったそうです。
またクニチャサも王の死を知り、
家の前にあるガジュマルの木で首を吊って命を絶ってしまったそうです。
琉球王朝の劇的な史実の舞台は、
とても儚く質素な建物でした。
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