Blaze Button down Boy Always TRAD

「楽装喜服」
服を着る、装うことは自分を表現する芸術だ。

ボタンダウンのシャツに袖を通し僕の一日が始まる。

STAP細胞~理研という組織の不思議さ

2014-06-14 09:59:11 | 投稿
Stap

今朝の中日新聞発言欄に投稿が掲載される。

6/6に送ったものだがタイミングよく掲載されることになった。

昨日、中日新聞から連絡があり、明日の朝刊に載せますから・・・多少の訂正は御了解くださいと。
うまい具合に編集されて感謝です。

この問題については何故この世に発表される前に理研内部でチェック議論がなされなかったということ。
民間の会社ではありえないことばかりが起きている。メクラ判的に送り出しておいて、大騒ぎになり指摘され、すぐさま捏造と
見苦しい姿は監督不行き届きであることは言うまでもない。「見栄と虚栄の結末だ」

ノーベル賞受賞者を抱えながらもこの不始末だ。研究と経営とは違うが組織に変わりは無い。異質である、普通人の私には理研の組織が不思議でならない。

小保方さん一人悪者にして・・・もっと厳しく管理者責任を追及すべきだ。


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石津さんへの思いが届く

2013-12-23 12:35:11 | 投稿

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グループ展が終わり、ふと思ったことを12/4に中日新聞『発言』欄へ送った。今までの経緯からすると2週間くらいで掲載されるので”没”かなと思っていたところ”イブイブ”の今日掲載され”嬉しい!!”と声を上げて喜んだ。

トリエンナーレの年は本当に嬉しいこと、楽しいことが次々とやってくる。何か、石津謙介さんへの思いもこうして文字になり感慨深いものがある。

このお皿は昨日、高校生の時VANコーナーでお世話になって今も変わらぬ元気さで兄貴のような存在のishidaさんにいただいたもの。楽しいときを過ごした。この記事が載るにはもってこいのプレートだ。

今年を締めくくる僕の作品だ。

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正心誠意~本気で取組め震災復興。気概、姿勢が伝わってこない

2011-09-17 09:01:35 | 投稿

新しい内閣が動き出し、野田首相の所信表明がなされた。

会社で例えれば「今年の目標はいくらだ。社員の君たちにもノルマがある。全員一丸となって達成しよう」と思いも新たにする。そして東北の責任者に任命されればその地に家族で引っ越すか、単身赴任で現地へ乗り込む。まずは現場からというではないか。私も40歳を過ぎてから京都、大阪、東京と単身赴任を経験した。

政治家に現地に乗り込んでやろうという姿勢、気概が見えない。何か人事のようでその使命が何であるのか国民に伝わってこない。「数日でも被災地で暮らす覚悟があるのか!」という現地の人々の声が届いていないのだろうか。そこに入り込んで初めて解かることがあるのだ。

震災復興会議もそこでやり、各首長とひざを交え真剣に話を聞くことからだ。自分の家や家族、会社を元に戻さねばという思いを肌で感じながら行うことが本当の政治ではないか。所信表明で「正心誠意」と言われた。「心が誠」であることを祈る。

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ぎふ清流マラソン~投稿・中日新聞発言欄5/24

2011-05-25 15:01:04 | 投稿

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マラソンの気持ちよさを文章に・・・なんともいえない爽快感、走れる喜び、感謝だ。自分の思いが活字となって紙面に踊る。

マラソンとトラッドそしてジャズが不思議と僕の中で融合する。

いつもはtrad.kazuで登録をするのだが今回はBlazeとした。

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Fun to write & Fun to drive~中日新聞発言欄に掲載

2010-08-09 11:16:47 | 投稿

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投稿も僕の楽しみの一つだ。常々思っている事を決められた字数に収める作業は緊張感と集中力が同時に体感でき、充実した時間の流れを感じる。また掲載された紙面を見ることも嬉しい事だ。

今回はあまりに自動化された車作りについて。窓の開閉は手動がいい、三角窓も復活してほしい、そしてマニュアル車であること。

作り手の自動化は使い手の望んでいない自動化であり、使い手の不便さが作り手に伝わっていないから元に戻そうという発想が出来ないでいる。

運転は、動く、曲がる、止まるを両手両足、五感で感じ取る。これが基本で楽しみであったはず、「まかせっきり」にせず自ら操ることを楽しみたいものだ。

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