お彼岸の3/20はそれぞれのお墓へ、娘夫婦も着てくれたし、妹も「私も行くわ」と久しぶりに一緒に出かけた。まずは覚王山の日泰寺へ、妻の両親のお墓がある。ここは半地下にお墓が並んでいる。スロープを降りていくとちょっとひんやりとした空気が流れてくる。ここから平和公園の我が家の墓へ移動。今日はちょっと道路が混んでいる。墓参りの人が多い。最近は若い人もよく見かけるようになった。春、お盆、秋、年末と我が家の年中行事だ。震災がありよけい手を合わせる方も多いのか?
今、クラス会で顔を合わせたりすると決まって介護の話題となるが、早くに亡くしていてその当時は母が大変であったが今は本当に感謝である。こうして娘夫婦、妹と一緒に墓参りができることがありがたい。今日はおふくろ、親父も喜んでくれたかな。
東北、関東を襲った地震、そして津波の激しさに自然の恐ろしさを隠しきれない。一日も早く収まってほしい。
娘の友人のカミヤッチ、仙台へ転勤して子供が生まれたばかりだけど大丈夫か?昨夜やっと連絡が取れたと知らされ安堵する。電気とガスが復旧したけれど食料が不足していておにぎり一個の配給だけとのこと。被害の大きな若林区のすぐ隣だ。
トラッドの菊さんも大丈夫か?
僕は1995.1.17の阪神大震災に単身赴任先の京都にいた。起き上がる事もできない程の揺れは忘れることができない。仕事の関係で直後の三宮に入り惨状を目の当たりにした。復興、再開発の仕事に携わり短期間に復活したことは喜びであった。
このとき各地から建設機械、建設会社の人たちが関西にに集結した。どうぞまたみなの力で東北を復活、一日も早い安全、安心の暮らしができることを望む。
仙台空港の南、名取という町はこの夏のトリエンナーレ、志賀理恵子さんの作品で知った。写真撮影のために2年間近く移り住み住民たちとの出会いを基に作りこんだ作品だ。名取は減勢集落・過疎の村。写真に写っていたおじいちゃん、おばあちゃん、あの人たちは・・・あの津波の様子を見ると心配である。