何千年も長い年月を生きてきて、その積み重ねから、人間を一番幸せにする基本のようなものが出来上がってきてそれから今日まで続いているものなら、それは、人間という動物の本質的なものだといえるのではないでしょうか。「いつまでも古くならないもの」-それこそがむしろ最も「新しい」ものだとはいえないでしょうか。
これは「トラディショナリストの思いがここにある」に書いたとおり心地よい緊張感の積み重ねがあって、着こなしの基本をしっかりと持ったトラディショナリストだから理解できる言葉だと改めて思うものだ。だから変化の中にあっても「新しい着こなしを楽しむことができる」
きちんと掃除ができた後の清々しさ。それだけでも明るい気持ちになれるものだ。掃除の行き届く人は身なりもきちんと整って清潔だろうし、きっと洗濯も好きに違いない。つぎものをする時、とも糸でつぎをする人、ボタンの取れたままのブラウスなど着ない人、靴を朝家を出る前にピカピカ光らせている人、そういう人は自分の生活から、常に乱雑さや汚らしさを除いているわけで、そうしたところから幸福を広げてゆくに相違ない。
部屋の模様替えが適宜にうまくできる人も、いつも生活に清新な明るい雰囲気を保てる幸福な人だろう。家具の位置が右から左に移っただけで、また隅にあったものを真ん中に移動させる事で、もうその部屋に昨日までの生活とは違った角度を創り出す事ができるものだ。三ヶ月に一度くらいの割合で部屋の空気を一新させてみたらいいだろう。ちょっとした工夫と心遣いによって、室内をたえず新しい心持ちで生活出来るようにしていれば、どんな小さな部屋でも明るい幸福感を抱くことが出来る。
整理・整頓・清潔・清掃は僕の好きな言葉の一つで長いこと建設現場に対しての営業の仕事がそうさせたのか、もともときれい好きではあったのでよけいこの姿勢をスローガンとしているゼネコンの取り組みに対して共感するところが大いにあった。だから車の中、机が散らかっていたりするのは「その人の心がそこにも表れるんだよ」ということをよく営業マンに言ったものだ。
模様替えについても思いついたら夜中からでもよくやったものだ。これは今でも突然はじめたりするので奥さんがびっくりしている。でもこれは本当に部屋も心もすっきりしていいんだよ!
嫁いだ娘もこれはよくやっていた。もう寝ようかというころからゴソゴソやりだして朝になったらごみがいっぱい出してあって・・・。定期的に気分転換していたのだろう。部屋も心もすっきりして一石二鳥である。こういうところは僕とよく似ていて親子だなあとつくづく思うものである。
”中原淳一”1913年生。もうすぐ生誕100年を迎えようとしている。これらの言葉は1950年「それいゆ」に書かれたものだが古さをまったく感じない。今改めてというより、初めて言葉に触れて先人の偉大さをかみしめている。
中原ワールドにはまっていくようだ。アマゾンで本を頼んでしまった。
一度ワードローブを覗いてみたい!今見てもきっと新鮮だろうし抱きしめたくなるだろう。
体重の若干?の変動はあるものの何とか着れます。コートパーティーのコートはおよそ30年前の物です。
この調子でダンマスが幕を閉じるまで購入したものでいっぱいです。
暑くなる前に少し整理をしましたが、デザイン・品質が高いものが多くなかなか整理が大変です。
でもこの秋にはがんばって整理をします。
年齢を考えると今のワードローブのデザインや品質で十分いけそうに思いますが
人生を楽しくするため整理をして新しい物
を取り入れた着こなしで気分一新です。
やさしみ、可憐、けなげさ、あたたかさ、はにかみ、・・・およそ戦時の荒々しい気風と正反対の少女のすがたがそこにあって、少女たちの乾いた心を潤し続けてくれたのだった。
これは第一法規出版より出された「日本の童画」No6に書かれた田辺聖子さんの言葉。