ひまわりを見終えたあとは清瀬市内の富士塚を巡りながら散策してみました。
まずはネットで調べるとこちらに富士塚があるというので日枝神社水天宮にやってきました。
富士塚No.80
所在地 : 東京都清瀬市中清戸2-616
日枝神社水天宮は、天正7年(1579)中島筑後守信尚が社殿を造営して山王社として創建、江戸時代には上中下清戸村の鎮守社であったといいます。明治時代に入り水天宮の分霊を勧請して境内に奉斎したといいます。
三猿灯篭
もともとは参道の両側に向かい合って建てられていたそうですが、風化が進み現在は永久保存のため移築されているそうです。
日枝神社
水天宮
水天宮の前の参道は現在、工事中でした。
八雲神社
金毘羅神社
白山社
御霊社
さて、富士塚を探して境内を歩いてみると、本殿向かって左側に塚がありました。
しかしこの塚は境内案内図には「御嶽神社」と記されていました。
25段の石段があります。
登ってみると上には祠が3つありました。
この3つの内の1つが浅間神社なのかと思ったのですがやはり御嶽神社のようです。
上からの見晴らしはこんな感じです。
また麓に戻り、今度は石碑をよく見てみました。
するとそのうちの1つの石碑に「富士山太々講記念碑」の文字がありました。
別の場所にあった碑を読んでみたら、この塚は文化3(1806)年に御嶽講の人々が築山したもの、つまり御嶽塚で、昭和48(1973)年に石段をつくったもののようです。でも、富士講碑がなぜここにあるのでしょうか。太々講とは青梅の御嶽山にまつわる講などにも用いられているので、同じ講で富士登山もした記念碑なのでしょうか。
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