富士塚No.75
所在地:東京都東村山市本町1-15-1
曼珠沙華が咲いています。
蝶がとまっていました。
西武国分寺線と西武新宿線の線路の間にあります。
東村山指定史跡 浅間塚
江戸時代の末、文化文政の頃(十九世紀後半)から富士信仰が盛んになり、各地に冨士講がつくられ、また富士山を模した富士塚も築かれました。
この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰の浅間神社が祀られており浅間塚と呼ばれています。浅間神社の小祠は西宿(現在の諏訪町一、二丁目あたり)の人々が天保十三年(一八四二)に建てたものです。
現在の形は円形でなく長辺二十七m短編二十四mの長方形をしており、高さは五m程です。
このような方形の塚は武蔵野地域には数多く残されており、多くは江戸時代の塚と考えられていますが、何のために築かれたものなのかははっきりしていません。
この塚も後に浅間神社を祀ったもので、富士信仰のために築かれたものではないようです。
かつては府中海道から参道が続いており、山上からは富士山も良く眺められたものと思います。
平成四年三月 東村山教育委員会
概要には富士塚でないと書かれていますがこちらは浅間神社の祠があります。
という訳でとりあえず富士塚としてご紹介しました。
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