所在地:文京区関口2-11-3
関口芭蕉庵の概要
この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝五年(1677)から延宝八年(1680)まで、神 田川改修工事参画し、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉 庵」と 呼んだ。 享保十一年(1726)、芭蕉三十三回忌に当たり、芭蕉を祀る芭蕉堂が建てられた。その後、 去来・其角・嵐雪・丈草の像も堂に安置された。 芭蕉は、早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛したと言われている。そこで寛延三年 (1750)宗瑞・馬光らの俳人が、芭蕉の真筆「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の短冊をう めて墓とした。この墓を「さみだれ塚」と称した。塚は芭蕉堂の近くにある。 芭蕉庵の建物は昭和十三年(1938)三月、近火で類焼したが、同年八月再建された。しか し、昭和二十年(1945)五月の戦災で焼失した。 敷地内には、芭蕉堂・さみだれ塚・朱楽管江歌碑・伊東松宇の句碑などがあり、往時をしのぶことができる。 (文京区教育委員会)
関口芭蕉庵正門
一度開いていてここから入ったことがありますが普段は閉まっていてここからは入れません。
胸突坂下に小さな入口があります。入場は無料で月曜日が休館日だそうです。
ちょっと見にくいですが関口芭蕉庵 案内図
門をくぐるとしだれ桜が満開でした。というか、風に花びらが少し舞っていました。
しだれ桜の向かいには李が花を咲かせていました。
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少し小さいですが山桜に似ているような気がします。かわいいお花ですね。
現在の庵は概要にもあるように戦後に建てられたものだそうです。
資料なども展示されています。
庭の石鉢に注ぐ湧水。量はかなり少なかったです。
左の排水溝から瓢箪池に注いでいるのでしょうか?
ちなみにこちらは東京の名水57選に選ばれています。
瓢箪池 土橋がかかっています。
芭蕉句碑
古池や 蛙飛こむ 水の音
土橋を渡ります。
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伊藤松宇句碑
松宇は明治初期俳壇の先覚五人衆の ひとり。晩年はここに住む。 「真中に富士聳えたり國の春」
地下水をポンプアップしているのでしょうか?結構な量の水です。
池には鯉も泳いでいますが水の透明度は低いです。
結構な登りです。崖線は15mの段差があるそうです。
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さみだれ塚
素堂の弟子 馬光が中心となり
五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋
の芭蕉の短冊を埋めて墓とした。 寛延三年(1750年)
江戸後期の戯作者、狂歌師朱楽菅江(あけらかんこ う)狂歌辞世碑。
執着の心や娑婆に残るらん吉野の桜更科の月
芭蕉堂
芭蕉翁の三十三回忌に木像ができここに祀らる。 享保十一年(1726年)
手前はいちょうの木。かなりの太さです。
竹林があります。この上は行き止まりなのでここで下ります。
神田川歩道沿いに生えているバショウ
夜寒碑
二夜鳴く 一夜はさむし きりぎりす
宝暦三年(1753年)
正門内部。
正門の横
に「范石湖の詩碑」
元宮内大臣田中光顕が建てる。 山荘八景に欠けた帰帆を補うために建てる。
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ボケの花でしょうか?なんという鳥かわかりませんが花をまるごと啄んでいました。
狭いながらも非常に趣のあるお庭です。