大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

講座のお知らせ 東大阪アリーナ

2010-09-08 17:00:00 | 講座関係
秋からあちこちで講座を行います。

まずは東大阪で行われる講座のご案内です。

場所:東大阪アリーナ 東大阪市中小阪4-7-60
   講座の申し込み方法はこちらです
日程:10月8日から毎週金曜日で11月5日までの5回
費用:5000円(5回分 別途教材費500円)
時間:10時00分~11時30分
内容:大河ドラマ最終回までに坂本龍馬を知りつくす!龍馬の生涯を全5回にわけて学べます。

10/8 龍馬の生涯その1 龍馬伝説と家族
10/15 龍馬の生涯その2 龍馬の恋と脱藩 かおと佐那
10/22 龍馬の生涯その3 勝海舟との出会い 薩長同盟
10/29 龍馬の生涯その4 寺田屋騒動から新婚旅行 お竜の姿は…
11/5 龍馬の生涯その5 海援隊創立から大政奉還

申し込み締め切りは9/12です。

近隣にお住まいの方、一度のぞいてみてください。


仙台藩士幕末渡米記 150年後子孫が現代語訳出版西洋文明克明に記録

2010-09-08 00:01:00 | 書籍紹介
 幕末の動乱期、幕府使節団の一員として渡米した仙台藩士・玉蟲(たまむし)左太夫が記録した、「航米日録」の全文を現代語訳した「仙台藩士幕末世界一周」が出版された。翻訳したのは玉蟲から5代目の子孫にあたる仙台市の山本三郎さん(74)。玉蟲は武士の常識にとらわれず、民主主義の理念をくみ取り、西洋文明を詳細に記録。今年は渡米から150年後にあたり、山本さんは「幕府使節団や玉蟲のことを若い人にも知ってほしい」と話している。

◆咸臨丸が随行

 玉蟲は1860年1月に日本を立ち、日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府正使が乗ったポーハタン号の一員として渡米。勝海舟らが乗った随行艦が咸臨丸だった。一行はニューヨークで10万人の市民から大歓迎を受けるなどして、アフリカ、インド洋を巡り、同年9月に帰国した。

 航米日録は全8巻あり、出発から帰国までを記録した7巻までは、正式な記録として仙台藩に献上された。8巻は個人的な感想が記され、当時の体制を批判する意見も書かれている。

 翻訳本は1~7巻を巻ごとに章立てし、時系列で紹介。8巻は「三郎のひと言」として、関連個所に山本さんの解説付きで挿入した。

 玉蟲は太平洋を渡る途上、アメリカ人の艦長が水夫と一緒に嵐に立ち向かい、すぐに全員に報奨金を出したことに感銘を受け、「このようであるから、一旦(いったん)緩急の時には全員が身を忘れて力を尽くすのだ。この国が盛んな理由も、こんなところにあるのであろう」と記した。病死した水夫のため涙を流す艦長に対し、自国は「上下の情は誠に薄く、彼らに対して恥ずかしい」と封建体制に批判的な意見も明かしている。

 西洋文明への関心は高く、蒸気機関や汽車には特に興味を示した。水洗トイレやシャワー、洗濯機などについても使用法や仕組みを観察、克明に記録。料理にも触れ、ビールは「苦味なれども口を湿するに足る」と感想を残した。

◆列強に警戒感

 一方、当時、アジア進出を目指す列強への警戒感もにじむ。ハワイで会った中国人の薬商からは、英国人について「野蛮人で虎やオオカミに等しく、心は残忍で聖道とは全く相反している」と聞かされた。サンフランシスコでは友人が現地の中国人から聞いた話として「米国は最初は親切だが、用心しなければいけない」との助言が紹介されている。

 「玉蟲は武士階級を超えたやわらかい頭で客観的に物事をとらえ、幕府や薩長ではなく日本ということを意識していた。坂本龍馬と同時代に、そういう傑物が仙台にいたことを知ってほしい」と山本さんは話す。

 四六判520ページで2100円(税別)。問い合わせは出版社「荒蝦夷(あらえみし)」(022・298・8455)。

◇玉蟲左太夫 

 1823年に仙台藩士の家に生まれたが、脱藩して江戸に。57年蝦夷(えぞ)地と呼ばれた北海道や樺太を巡行、気候や風土、アイヌの生活様式などを「入北記」にまとめた。渡米後は再び仙台藩士に取り立てられ、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の結成に尽力し、その後、責任を問われて69年、切腹した。

9/7 読売新聞


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