業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

大阪都構想に対する議論(その2)

2020年10月30日 23時02分52秒 | 社会全般
いよいよ通称の大阪都構想の投票が行われる。反対派はなりふり構わずの反対活動を行っている。その際たるのが毎日新聞は報道した4区に分かれる事による追加のコストに関するウソの報道だ。
この都構想の論点は、二重行政の在り方または是非をどう考えるかと云える。政令指定都市になった事で、府県に近い権限を持つ事になった都市が、府県と類似した各種行政を行う事による弊害をどう解決すべきかが論点なのだが、反対派は単なる損得に論点をすり替えている事に問題がある。
二重行政の最たるモノが、図書館などのハコモノと云われる施設である。大阪府と大阪市が張り合って作っている事の問題点だ。他にも沢山ある。前回の書いたが、大阪市の問題は他の政令指定都市と比べて抜きんでて悪い。維新はこの問題を解決する手段として都構想を持ち上げ、反対派はこれら問題の解決方法を議論せず、”住民サービスが悪くなる”の一点張りの主張を繰り返している。要するに、既得権益者の論理に終始一貫している。

普通の市から政令指定都市になると、様々な権利を得る事ができる。その権利は都道府県に近いモノがある。それで昨今沢山の市が周辺と合併し、政令指定都市になった。行政を実施する側からみると、大きなメリットがある。それは使えるお金が増え、自由度が増すからだ。反対派はその権利を失いたいダケなのだが、気持ちは判らないでもない。
この維新の提案は大変斬新で、マスメディアでは殆ど云っていないが、これは政令指定都市の在り方についての是非を問っている事になる。何故なら政令指定都市を是として場合、二重行政は避けられないからだ。但し、住民にとってはどちらになってもあまり変わりはない。住民税が多少変わる可能性がある事以外は...。
投票まであと二日。大阪市民には是非適切な判断をして頂きたい。
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大阪都構想に対する議論

2020年10月20日 19時40分18秒 | 社会全般
大阪の住民ではないので、大阪都構想についてはあまり関心が無かったが、最近この件についての情報が氾濫しており、目にする機会が多くなってきたので、自分なりに勉強してみた。
大阪都構想が出てきた原因・理由は、政令指定都市に置ける二重行政の問題の様だ。どの政令指定都市でも同じ問題が起こる可能性があるが、大阪ではその問題点が一番如実に表れている事が根本の問題の様である。それを解決する手段として政令指定都市の権限を返納し、代わりに東京都と同じ様な行政区分にする事で解決を図ろうとしている様だ。

それでは先ずは他の政令指定都市と比べて大阪市が抱える問題を整理してみよう。先ずは比較人口が似通っている都市と、役所の職員数と予算を比較したい。尚、下記数値の算出方法が3都市とも同じかどうかまでは把握できていないので、もし万が一違っていた場合はご容赦願いたい。
横浜市:人口(353万人)、職員数(17,273)、予算(3兆6060億円)
大阪市:人口(275万人)、職員数(35,506)、予算(3兆4487億円)
名古屋市:人口(233万人)、職員数(24,825)、予算(2兆7481億円)
この数値を見る限り、大阪市の職員数は朗かに多すぎ、人口が多い横浜の2倍以上となっている。

何故か熊本市を基準とした以下数値は、熊本市の人口(74万人)を基準とした場合の職員数である。政令都市の平均は3310人だが、大阪は断トツに多くて4338人で、関西圏は軒並み多く、2番目は京都の3762人、神戸が3746人。一番少ない都市は福岡で2682人で、横浜は2番目に少ない2777人である。因みに堺市は少なく、2934人である。また2013年度の情報だが、”市民一人当たりの市債現在高”と云う数値があり、これも大阪が断トツで1番多くなっている。
これらの数値を見て明らかなのは、大阪市の職員数は大変多く、改善の余地が沢山あると云え、二重行政の無駄の温床になっていると想像出来る。

大阪都構想を反対する人達の意見を沢山聞いたが、納得いく説明は殆どなかった。彼等の議論は行政サービスを提供する側(既得権益側)の意見にしか聞こえず、住民側からの目線には残念ながら一切立っていない。反対する人達の言い分は、大阪市が無る(または分断される)事で住民へのサービスが低下するの主張だが、その根拠が全く説得力がない。自分自身、社会人になってから東京都23区を含めて4個の自治体に住んだが、自治体による違いは住民税の差と幼児から小中学生への支援に若干の違いがある以外では、全く不便(または違い)を感じた事がない。住民サービスの違いはその自治体の長または議会の能力・意力に依存しており、政令指定都市であるかないかによる違いは全くない。あくまでサービスを提供する側だけの理論・議論である。その証拠に10月19日の日経新聞に”全国市区の介護・高齢化対応のランキング”が掲載されていて、そのトップ10に東京都の三つの区がランクインしている。なので大阪市がなくなる(または4区に分割)する事によってサービスが低下するとの意見には、論理破綻しており全く同意できない。勿論、変わる事による混乱等でのサービスの低下はあり得るだろうが、長い目でみれば全く問題はない筈である。因みに、政令指定都市に移行する事を拒否している自治体もある事を知っておくべきだろう。

二重行政の無駄として良く聞こえてくるのは、公立高校の在り方がある。大阪では府立高校と市立高校の存在である。同じ様な状況は横浜や名古屋などのその他の政令都市でもあるが、東京に住んでいる人にとっては都立高校の1種類で何の弊害も感じない。
またこれは二重行政の無駄とは言い切れないが、大阪市立大学と大阪府立大学の存在にも触れていたと思う。維新の意見として、市立大学と府立大学を合併して、より良い大学を作るとの考えだったと思うが、これは全うな意見だと思うが、市と府が意地を張り合っていて、合併するのが難しいと聞く。今、世界と戦える大学の必要性があるのに、中途半端な大学が2行あるよりは、強い大学を1行にする意見には傾聴すべきだと思う。
この様な例が沢山あるのだろう。府または県と市が良い方向で切磋琢磨しながら競争するのであればいい事であるが、傍から見て大阪の場合は権力闘争と意地の張り合いの為の競争をしていて、住民目線でのあるべきサービスを考慮していない様に見える。その結果が職員の多さに出ているのではないだろうか?

大阪都構想がこれらの課題を解決する唯一の手段とは思わないが、正直現状よりは良い様に見える。そして都構想を反対する人達が連呼している”行政サービスが低下する”の意見は既得権益者側の意見にしか聞こえない。大阪での二重行政の無駄は日本の中では突出し、この二重行政を実施する為に職員数が多い事は事実である。がしかし、これを決めるのは大阪市民である。これらの問題について真剣に考え、ベストまたはベターな結論を大阪市民には出す事を祈りたい。
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「オッサン」は使えない?

2020年10月04日 17時49分53秒 | 社会全般
先日、久しぶりにブックオフに行って適当に本を買ってきた。その中の一冊が、余りにも程度が低い本だったので、自己満足的にココにコメントを書きたくなった。
大まかに云うと、「50歳代と60歳代の社会人が約に立っていない事を、色々な事例な様なモノをだして、説明している」本である。正直、この本は何を読者に伝いたいのかがさっぱり理解できない。否、理解できたが、そんな下らない事を1冊の本にまとめて記載する価値があるのかが理解できない。しかも広義ので同業者(コンサルタント)が書いている本であるので、理解できないのである。コンサルであれば、解決策を提示すべきであり、そして問題の本質を正しく把握する必要がある。それが全くお粗末なので、どうしても書きたくなった。

この本をどう読んでも、バブルを経験できなかった50歳程の人間が、バブルを経験した人間をディスッっているだけの本にしか読めない。バブルを経験できなかった事をヒガミ、またバブル以降に崩れた日本の社会の問題をバブル経験者の所為にしている様に見える。コンサルタントとして大変情けない分析だ。一分に面白い視点も書かれているが、それを掘り下げず、ただ単に50&60歳代をバカにしする為の材料にしている点が頂けない。

本の中で、50&60歳代が受けた教育のレベルの低さが書かれている。団塊の世代より上が受けた今日行くは確かに低く、また学生闘争に明け暮れた世代はマトモな教育を受けていない事は事実である。しかし、教育も年々進化しており、この著者が受けた教育も、現在の教育からみると陳腐化している事を理解しておく必要がある。この本の著者自信も既に50歳代になり、現在の若者から「ダメ印」を押されている年代になっている事を理解しておくべきである。
一方、この世代を含めた過去の教育に良い面も多くある。それを如実に表しているのがノーベル賞の受賞だ。戦後の教育を受けた多くの学者がノーベル賞を受賞しており、また著者が云う”50歳代&60歳代”の受賞者も6名程いる。
また、彼らはベビーブーマー時代を勝ち抜いてきた年代でもあり、その点では逞しさがある。また、海外へも躊躇なく云っていた事は、今の若者をみると尊敬に値するのではないだろうか?

この本が書いている事が100%間違っていると云うのではなく、この本に書かれている問題が、この本が書かれた時の”50歳代&60歳代”に特化しているのではなく、著者そして著者より若い世代の人間も同様にその方向に向かっている事を知る必要がある。企業におけるポジションや権力にしがみ付くのは、なにも”50歳代&60歳代”に限っていないし、ポジションや権力につくまでは”イエスマン”に近い行動を取るのは、年代が違っても同じだ。特に昔より現在の方が強まっている感がある。そして著者の年代も同様に、若者から煙たがられている事を理解する必要がある。
団塊の世代は、問題点もあるが頼もしい点もある。その一つが彼等は海外に積極的に出て行った事だ。彼等及び彼等より上の年代の海外での活躍によって、日本の経済は伸びていた事は疑いの無い事実ではないだろうか?一方、今の若者は旅行でも海外に行く事に抵抗がある世代と聞いている。その様なチャレンジ精神の無い世代に社会を任すのか大変恐ろしく感じている。

日本の社会の問題点は、世代が違うと会話が出来ない事にある。どうしても上下関係を気にする為であろう。自分が若い頃は、早く大人になりたく精一杯背伸びをしていたが、今の若者にはその気質が無い様に見える。なので、多くの人間は自分より年上と仕事を一緒をする事に居心地の悪さを感じているのだろう。その様な人間が管理職レベルになると、自分より年上を上手に使いこなせないでいる。年上の人間を使いこなすマネージメント能力が無い為、年上の意見を嫌々ながら聞くか、または年上を排除するしかない狭い選択肢しか持てない人間に問題がある。コンサルであれば、年上をダメ出しし、排除する本を書く暇があったら、年上も上手にマネージメントできる能力を教育する方が大事である。

コンサルタントであれば、バブル経済を経験できなかった事をひがみ、諸悪の根源を50&60代にするのではなく、全ての年代に共通する日本人が持つ課題を把握し、そして解決方法を考え実戦する事が大事である。そして年代によって違う課題にも気が付き、解決する手段を考える事が大事であって、自分の年代から下の世代には問題が無い様な本を書いている様な愚かな事は慎んで欲しい。
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