業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:学び直し(リスキリング)の意義

2023年01月30日 19時26分14秒 | 社会全般
昨日、岸田首相が語った”育児休暇中の学び直し”についてのコメントを記載した。世間では「育児で忙しいのに勉強に使る時間があるか!」と云った批判が出ているとの事だが、その様な人は時間が合っても自己研鑽をしない人なのだと思っていて、その事を別の表現で記載した。その後、はたして学び直しがどの程度のメリットがあるのかを考えてみた。想像の粋を脱していないが、取り合えず考えてみた。

学び直しをする目的の殆どは、よりより良い仕事を得て、良い収入を得る事であろう。稀に楽しい仕事をしたいとかは有るだろうが、殆どはより良い収入を得る事を願っているであろう。この価値観を前提に、ユーキャンのホームページを見てみたのだが、この中のカリキュラムを勉強したり、資格を取る事によって、より良い収入を得るチャンスが増えるモノはどれかと想像してみた。

個人的な想像ではあるが、ITとパソコン関係以外で収入が大きく増えそうなモノは見当たらない。増えてもせいぜい平均収入位であろう。そしてITとパソコンと云っても、平均収入よりは少し多い程度ではないだろうか。実際、自分の妻はある資格を取ったのだが、募集されているモノの給料を確認すると、コンビニ定員とそれ程変わりがないので落胆している。

では企業は大学を卒業してくる人間に何故高卒より高い賃金を払っているのだろう。理工系は学校で学んだ事がそのまま活用できる事が多いので理解は出来るが、文系についてはあくまでその人の地頭であり、可能性を期待して採用であろう。そしてその地頭を図る尺度として、学歴、即ち大学の偏差値を参考にしている。

もしこの仮説が半分以上当たっているとしたら、国民は何を「学び直し」すれは良いのだろうか?または別の視点で考えると、社会人にとってどの様な事を学び直す必要が有るのだろうか?確かに、学び直す事で職業選択の幅は広がるだろう。しかしユーキャンで学べる事を習得している人は、世の中には沢山居る。では一体何を学ぶのか、何が社会人に足りないのか、を考えないと、日本の社会に取って良い「学び」は無いのだろう。

そうであれば、政府、特に文科省が日本人に必要な「学び」は何なのかを分析し、それを高等教育に反映する必要がある。そしてそれを教育に取り入れる事が大事である。文科省にはハードルが高い仕事であろうが、他に価値の無い省庁である。是非やってみて欲しい。そして日本人全体のレベルアップを考えて欲しい。どうすれば国民の所得が増え、GDPが上がるのかを。首相が「学び直し」を語るのであれば、ユーキャンで学べる様な個人的な学びのミクロの話しでは無く、国全体としてのマクロの視点で語るベキであろう。だから岸田はダメなのである。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:育児休暇中の学び直し

2023年01月29日 11時13分09秒 | 社会全般
先日の参議院本会議で「育休中の学び直し」について答弁が有ったとの事で、物議をかもしている。その批判の殆どが、「育児してない人の発想」などと云った批判である。

これを言った岸田首相はさっさと辞めて欲しい人であり、そして彼のこの発言にはこれと云った思想や哲学は無いと思うが、あくまで発言を直に受け止めた場合は賛成する。

確かに産休中は子育てで大変である。夜もぐっすり寝られない。しかし、世の中には2~3時間の睡眠時間で仕事をしている人も居るし、どんなに忙しくても、時間を作れる人は居る。

ある調査で、育休中スキルアップに取り組んだ人の割合を調べたらしい。年代別によって若干違うが、約三分の一の人がスキルアップに取り組んだとの回答だった様だ。若い人程多く、年齢が高くなる程低くなる傾向にある様である。

ここからの推測は、若い人程自分の将来のために向上心が強い様である。そしてあくまで想像ではあるが、年齢が高い人は複数の子供が居る事でスキルアップの時間が取り難かったり、またはある程度のスキルを既に習得しているか、またはスキルアップを諦めているのではないだろうか?  あくまで推測ではあるが...。

繰り返すがヒステリーの様に岸田首相の発言に反発している人にはガッカリしている。この日本人のヒステリー的反応を治さないと、日本は良くならない。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#3:100円ショップの社会的価値

2023年01月28日 10時24分15秒 | 経済
先日日経新聞に、とある100円ショップの社長のコメントが載っていた。その記事を見る限り、100円の価格Upにはまだまだ消極的な様である。

100円ショップが消費者に与える恩恵は図りしえないし、大変重宝している。しかし、100円ショップの社会的意義、または価値を考えてみたい。ここでは、ここでは消費者にとっての価値と社会的価値は別物として話しを進めたい。

新聞記事を少し抜粋したい。「経営環境が厳しいから値上げをする、と云うのは消費者を置き去りにした考え方で、見限られるリスクがある。」と...。ビジネスは常に消費者を考えなければならないが、この後に続く言葉にも生産者の事は全く触れておらず、生産者を完全に置き去りにしている。

この経営者は、100円ショップの存在が、日本の物価の上昇を抑制し、そして賃金を抑制して来ている事を認識していないのだろうか?どれだけ、アベノミクスと黒田日銀総裁によって金融緩和をしても、物価が上がらない原因の一つが、この100円ショップの存在である事を分かっていないのであろう。そして気が付いたら、日本の賃金と物価は2流国家以下になっている。

そしてもう一つの100円ショップも問題点を指摘したい。この100円ショップの購入する事に慣れた消費者は、物を大事にしなくなっているのでは無いだろうか。多少品質が悪くても、または買ったが使えないと思っても、100円だから「まぁ~いっかぁ~」と考えてしまっている人も多い。

繰り返すが消費者に取っては有難い100円ショップであるいが、生産者、として結果的には社会としてマイナスもかなり多い。それで今こそ、100円ショップの社会的意義を考えて時では無いだろうか。100円が200円や300円になっても消費者はそれ程困らない。または困らない様な社会にしなくてはならない。そしてモノを大事にする以前の日本人に戻るべきではないだろうか。そして回転寿司も同じである事を最後に付け加えて終わりたい。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その9) - ⑧男性の家事参加

2023年01月22日 14時28分20秒 | 社会全般
最後に、”男性の家事参加”を問題点として挙げたい。子育ての負担の多くが女性に行く様では、殆どの女性は子供を2人以上欲しいと思わないであろう。子供は一人で十分と考えても責める事は出来ない。料理に洗濯と掃除。そして乳幼児の場合は子供の寝付かせやオムツ代えなど、やる事は沢山ある。これらの殆どを女性に任せている男性の一員として、女性には頭が上がらない。昔は、「男子厨房に入るべからず」と云われていた。元々の意味は全く違う様だが、長年日本では男子は料理などの家事を行うべきではないとの教えとして使われている。最近は料理が出来る男性が増えてきてはいるが、男の料理はお金が掛かる。また掃除や選択が好きな男性も多少は居るが、ごく一部であろう。これについては、このままではイケないのだろう。しかし何故こうなっているのだろうかを考えなくてはならない。

解決策:
Ⓐ前出の子供に対するベーシックインカムを支給する条件として、新生児の親に対しての研修会を実施
  研修内容に、産後直後の女性の体力回復に時間がかかる事や、男性の女性に対する思いやりの必要性等を教える。そして、結婚後、そして子どもが出来てからは、自分の時間はある程度配偶者や子供のために使う事の大事さを男性に教える。

Ⓑ親が子供に家事の手伝いをさせる
  そもそも前出のⒶは、本来親が子供に教育すべき事である。何十年もの間、男の家事参加の少なさに対して女性から不平がでているにも関わらず、その女性は自分の子供に家事を手伝わせていない。塾などの習い事、または勉強をする事を優先させてきたため、男の子だけでなく、女の子も料理などの家事が全く出来ない子供が大変多い。これは本来は親の責任であり、社会が肩代わりする事では無い。必要最低限の家事のノウハウを教え、感謝する事を教えるのが家庭の責任であろう。そして日本の文化を伝えるのも親の責任である。前出のⒶは、現状できていない現実への対応策であり、家庭内で出来る様になれば、社会が行う必要がない事であり、将来はそうなる事を願いたい。そして日本人は本当はどうありたいのか、またはどうあるべきなのかを各家庭で考えて欲しい。決して欧米諸国の価値観のモノマネだけはしないで欲しい。

余談だが、自分の父親は自分が知っている限り、家事を行った事は無かった。しかし母親が先に亡くなって一人住まいする事になってから、味噌汁等の簡単な料理は自分でしていた。それも脳卒中にったので半身不随の状態であったにも関わらずである。これには大変驚いた。推測するに、自分の父親の親が、即ち祖母が子供のころの親に料理などを教えていたのだろう。しかし団塊世代の自分の兄は、殆ど料理が出来ない。何故なら、子供の頃に習っていないし、団塊世代の学生時代の下宿は賄いつきが一般的で、料理をする必要がなかった。そして社会人になると寮生活で、ここでも料理をする事は全く無かった。その状態から結婚したため、家事などできるハズもない。一方自分の世代は賄いつきの下宿は殆どなくなり、アパート住まいが殆どであった。当然、食費を削減するためには自炊が欠かせない。但し、自分の場合は海外での学生生活だったので、日本食を食べたければ自炊するしか方法が無かったのが理由ではあるが...。そのお陰もあって、上手かどうか別として家事は全て出来る。

最後に、一つ付け加えたい。年が明けてから、少子化問題に関する議論が増えてきた。その中で、明石市の事例などを評価する必要がある等の意見が出ている様だが、今のところ評価の仕方が間違っている様である。明石市の子供の増加数などの数値データを取り出して論じているが、そのデータで評価しても何の価値もない。ただ単に、子供を生みたい人または子育て中の人が単に近隣から移り住んできただけであって、その分近隣の子供の人口は伸び悩んでいるであろう。
正しい評価方法は、明石市が子供を持つ親に取って有難い政策を始めた以降に、明石市に住んでいる人が子供を設けた女性の出生数と、この政策を始める前や、全国平均と比較する事である。子供を持ちたいと思う人は、何処に住んでいるかなど関係無い。2人目や3人目になると、何処に住んでいるかが影響出ているかの比較が必要である。もし明石市に引っ越す前に子供を一人授かり、明石市に引っ越してから2人の子供さらに授かったとしたら、その女性は3人の子供を授かったとカウントする。この情報での比較が必要なのである。

それから前回(金曜日)にUpした内容に一つ付け加えたい。個人的には子供が居たお陰で人生の楽しさや幅が広がったと思っている。そういった意味で、妻や子供に感謝している。若者に、子供を持つ事で楽しさが増える事を想像できなければ、彼ら・彼女らは結婚して子供を欲しいとは思わないだろう。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その8) - ⑦家庭の良さと子育ての楽しさの醸造

2023年01月20日 19時25分49秒 | 社会全般
少子化の問題の原因として、一番重要と云えるのが、家庭・家族に対する考え方や思い、または家族観だろう。あくまで個人的な印象であるが、日本は家族に対する考え方が外国に比べて違い、家族が良いモノである、または家族を大事にすると云う意識が低い様に感じている。例えばクリスマスだが、欧米諸国では家族と一緒に過ごすのが定番である。そこには家族を大事に思い、家族内の愛情を確かめ合うと云った雰囲気がある。一方日本ではお盆や年末年始に実家に帰る事はしているが、その意味合いは親孝行であったり、休暇を過ごす場所と云った意味合いの方が強く、”家族を大事にする”と云う考えに根ざしていない様に感じている。また若者の多くは正月であっても友達と合って遊んでいる事が多いのではないだろうか。

自分が子供の頃は、TVで家庭の良さや温かさを表現したドラマが少なく無かった、最近はその様なドラマが有る様には見えない。一時期は女性の社会進出や活躍にフォーカスを当てたドラマが多かったし、また社会や企業の様々な組織内での出来事を描写したドラマが殆どではないだろうか。或る独身の女性の作家が独身女性を主体にした本やドラマの脚本を沢山作成していた。この女性作家は独身であり続ける事による社会的な生き難さを解放するために、独身女性をテーマにした沢山の本を執筆し、多くの女性に勇気を与えた事については敬意を表する。しかし、そのために「独身でも良いんだ」と思ってしまった女性も多いのでは無いかと勝手に想像している。その様な女性の多くは一度は結婚に顎かれていたと思うが、結婚または恋愛に対する考え方・ハードルが高く、結果的に独身をつづけてしまったのではないかと想像している。その女性には是非結婚した女性が輝いている事をテーマにした本の執筆やドラマを脚本して欲しいと願っている。

家庭を持つ事が良い事だと思わなければ、そして子供を持つ事が楽しい事だと思わなければ、結婚して子供を持つ事はしないだろう。経済的な負担や社会復帰の難しさ、または極小住宅の問題などが有っても、家庭を持ち子供を持つ事の良さや楽しさを感じていたら、結婚して子供を持つ事をかんがえるであろう。家庭を持ち子供を持つ事の良さや楽しさを共有し、実感できる社会にならなければ、少子化問題は解決しないのではないだろうか。もしかしたら、この問題は「⑥経済を良くする」に匹敵する位に重要なのかもしれない。

現代を生きている人の中で、一体何割の人の親夫婦が仲良く、家族が幸せと思える家庭で育っただろうか。正直、少ないと思う。多くの家庭内で争いが頻発し、その家庭の子供はその争いを見ながら育っている。そして母親が子供の前で夫を誹謗中傷し、父親も子供の前で妻の暴力を振るっているのではないだろうか。そして多くの家庭では子供の高等教育の学費を捻出するのに苦労していて、その事を子供も知っている。その様な家庭に育った子供は、大人になってから積極的に結婚して家庭を持ち、子供を持つ事を選択するだろうか。一部の人は「自分は暖かい家庭を持つのだ」と考える人も居るだろうが、多くの若者は結婚+子育てに躊躇しているのではないだろうか。

この問題についての解決策は敢えて書かない。その理由はこの問題を解決するために為すべき事が余りにも沢山あり、沢山の事柄が積みあがった結果が現状にある。そして自分が見えている事は存在しうる解決策のごく一部であろう。それが余りにも個人的な理念や哲学に基づく考えであるため、反論も沢山有るだろう。
敢えて一つだけ解決策を書くとしたら、それはTVドラマなどで家族の良さや子供を持つ事の楽しさをテーマにした番組を放送する事である。日本人はTVの影響を受けやすいので、その効果は絶大であろう。

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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その7) - ⑥経済を良くする

2023年01月19日 19時25分24秒 | 社会全般
そもそも経済が安定していて、収入がバブル崩壊前の様に十分有れば、ここまで述べた問題は存在するだろうか?因みに1980年代前半の合計特殊出生率は既に2人を割っていて、1,7~1.8人となっている。なのでこの仮説は若干説得力は無いが、今よりは良くなるのではないだろうか。もし1億総中流と云われた時代の収入を確保出来、夫である男性の収入が十分あれば、無理をしてでも働こうとはしない女性が多少は増えるのではないだろうか。その場合、1日の労働時間は4時間または6時間程度で済ませたいと願うだろう。そして先に記載した様に、一般企業で正社員の時短労働を許容する事で、時短労働の要望を満たすべきであろう。勿論、正社員としてバリバリ働きたい女性も沢山居るだろうが、その様な女性(夫婦)の収入きっと安定していて、民設の学童保育に預けられるだろう。
但し、離婚率がバブル期よりは高い状況は変わらないと思われ、産休時の収入減や学童保育の必要性はバブル期よりは高いが、それでも今程ではないだろう。しかし、低収入から結婚を諦める人は確実に減り、その分の効果は確実に上がるだろうし、今の共働きの多さや独身の多さは、経済の劣化が大きく原因していると云っても過言ではないだろう。

そうであれば、経済を良くする事が、少子化対策として一番の特効薬であり、経済を良くするための政策を政治が行うべきである。そして劣化した経営者が変わり、経済を向上する事にある。そのためにも我々日本人が、我々の長所でもあり欠点でもある所を見直す事であろう。その一部を「物価高と自立」の章で記載した。

男性の収入が低ければ、女性から見るとその男性は結婚対象から外されてしまう確率が高くなる。その原因は単に収入が低い事だけではなく、収入が低い事で男性は自信を持つ事が出来ない。そして自分に自信がない男性は、輝けない。その様な男性に、女性は魅力を感じないであろう。
昔から、「一人口は食えぬが、二人口は食える」と云う諺がある。収入が低くても、一人よりは二人の方が暮らしやすくなると云う事ではあるが、ここに子供が増えると流石に無理が出てくる。少子化の原因として一番大事な問題は、収入が低い事であり、国家や企業経済を良くする事を最優先すべきであり、小手先の少子化対策では無い。

解決策:
Ⓐこの問題の解決策は単純な一言であり、「経済を良くする」である。岸田首相が公約した”所得の倍増”を目指して、様々な景気対策及び、日本人の欠点を治すためのリーダーシップを取っていただきたい。マトモな政治と、マトモな経営者が複数出なければ、経済は良くならない。
Ⓑ先にも述べた様に、行き過ぎた”値下げ競争”から脱却する事にある。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その6) - ⑤産休中の収入保障と出産後の社会復帰(働き方改革)

2023年01月15日 11時32分42秒 | 社会全般
今の日本の社会では、大企業であれば産休や、育児休暇も取りやすいが、中小企業やサービス業では産休や育児休暇を取る事がまだまだ難しく、子供を持つ事の障害の一つになっている。そのため、出産前に仕方なく退職する女性も少なく無い。出産後に社会への復帰が簡単であれば問題ないのだが、再就職のハードルはまだまだ高い。また子供がまだ小さい時は、残業をする事は難しく、共働きの場合はパートでの低賃金の職を求める傾向にある。そのため、多くの女性が低賃金の労働に甘んじている。また産休については男性も同じで、最近は多少男性の産休を認める会社も出てきたが、会社の雰囲気としてはまだまだ大変取り難い環境にある。

育児休暇を取れる会社であっても、産休を終えた後の社会復帰の際の労働環境の柔軟性が必要である。子供の事を考えれば、労働時間は短くして、出来るだけ乳幼児の面倒を見る方が良い。そのためにも時短労働を容認する事も重要である。中堅以上の規模の企業であれば、産後に復職しても仕事は有るだろうが、中小規模の企業に勤めている場合は、難しいケースの方が多いであろう。また労働基準法で、産休中や産休直後の従業員を解雇する事を禁じられているが、中小規模の企業では会社を辞める事をお願いされる事も有るだろう。そしてその様な中小規模の企業に時短労働をお願いしても、企業側としては困ってしまう場合の方が多い。産休中や時短労働の穴埋めを考える必要があり、場合によっては臨時に人員を増やす必要がある。その場合、産休から戻ってきた時や時短労働をしなくなった時に、その臨時に雇った人を辞めさせる事になる。これは企業としてはやりたく無い事でもあり、中小規模の企業側の目線に立つと、難しい選択を迫られている。

この問題に対する解決策は至って単純で、ほぼほぼ共通認識がされているが、それが出来ない現状であろう。具体的には、

Ⓐ出産前の産休中の収入保障:出産後はベーシックインカムで対応。産休が取れる企業に勤めている場合は健康保険等から出産手当が支給されるので良いが、仕事を辞める人も沢山居る。その様な仕事を辞める人にも一定額を支給する事で、収入面で安心して出産に向かえる様にする。2022年は少子化の加速傾向が顕著に現れたので、この金銭面に関する何等かの支援は改善していく事を期待したい。

Ⓑ社会復帰後の時短労働の許容:
しかし、これからの企業は時短労働も許容すべきであり、企業側が従業員を大事にする考え方に変えていく必要がある。それに向けて地方自治体や商工会議所などがリーダーシップを取って、啓蒙活動を行う必要があろう。そして一番大事な事として、時短労働をしている期間の人員の穴埋めを、地方自治体が主導して支援する事であろう。社会人の教育も含めて、地域社会で人材の底上げと流動化を推進する事が大事である。またこの場合の臨時従業員の費用を地方自治体で持つ事も考えるべきであろう。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その5) - ④学童保育

2023年01月14日 08時10分38秒 | 社会全般
学童保育の問題は、大変難しい課題である。これは”問題”と云うよりは、親が学童保育に求める要望であり、その要望が親によってはまちまちである事が難しさを増している。その理由は、幼児保育と類似した共働きまたは一人親にとっての子供の預かり場所と云う役割としての要望以外に、幼児教育とは違って学業やスポーツまたは文化的な活動についての支援に関する要望があるからである。
正社員として働く親にとって、通勤時間などを考慮すると18時までの預かり時間ではちょっと早すぎる。それから小学校に上がると多くの子供が塾やスポーツクラブ等に行き始める年齢になるが、公設の学童保育に入ると、塾やスポーツクラブには行き難い状況にある。また最近は待機児童の数も増えている様だ。

整理をすると、公設の学童保育の問題点は、待機児童の増加以外では、主に次の3点であろう。
㋐開所時間が短い
㋑勉強する習慣が付きにくい(宿題をしない)
㋒高学年になると、退屈な場所になってしまう → スポーツや教育&文化活動の不足

これらの問題点を解決している施設として民間の学童保育があるが、その民間の学童保育の内容にもよるが、概ね3万円から高い所では8万円程の費用が掛かる様である。これらは費用面で出費できる家庭はごく僅かであるろう。しかし、ここで考える必要があるものが、子育てに対する理念や哲学の違いである。その理念や哲学によって、学童保育に対する期待が随分違ってくるのではないだろうか。そこでこれらのか問題点について、深堀していきたい。

㋐開所時間が短い:
現在の公設の学童保育では、18時前後までの預かりが一般的である。地方の始業時間が早い会社に勤めている場合は、この18時でも帰宅出来るであろうが、大都会、特に東京近辺では18時までに帰宅する事は難しい人も沢山居る。そのため通勤時間が長い親にとっては18時の終了時間はちょっと早すぎる。また週5日制が普及した事もあり、終末に預けられない所も多くある。土曜日は開所している所も多いが、日曜日に仕事をしている親にとっては不都合な仕組みとなっている。

㋑勉強する習慣が付きにくい(宿題をしない):
殆どの親は、子供の学力が気になり、ちゃんと勉強しているかどうか心配している。それで、事有るごとに”勉強しろ”って言っているのでは無いだろうか。勉強をそれ程しなくても、少なくとも宿題はキチンとやって欲しいと願っている。学童保育では、宿題についてはちゃんと行う様に指導はしているが、強制はできないので、宿題をせずに帰宅する子供も多少は居るだろう。またひどいケースとして、他の子供の勉強の邪魔をする子供も居るだろう。学級崩壊が発生している学校も多くは無いが存在しており、毎年何処かで話題になっている。学校で起こる事は、学童保育で起こっても不思議でないし、それを止める事も学校同様に簡単な事ではない。親にとってはその様な学童保育に自分の子供を預ける事を躊躇するだろうが、他に選択肢がなければ預けるしかない。

しかしここで考えなければならない事は、勉強を習慣付ける事は、誰が責任を持って行うべきなのかと云う事である。ここに子育てに対する理念や哲学の違いが出てくる。勉強を習慣付ける責任は親なのか、それとも学校なのか...。どちらか一方のみの責任ではなく、主は親の責任であり、そして学校にも責任の一端を担ってもらう。学校に頼るのではなく、親が主体的に責任を持しながら、学校と協力し合う形が良いのではないだろうか。そこに、学童保育側に勉強を習慣付ける責任を負わせる事が適切かどうかを考えなければならない。学童保育を家庭の代り、または延長と考えるべきか、それとも学校の延長と考えるべきか...。

そしてもっと大事な事(理念・哲学)として、小学生(特に小学生の低学年)にとって勉強はどれ程大事な事なのか、または勉強以外に大事な事は無いのだろうか...等の考えを整理する事も大事である。毎日の様に子供を勉強塾も含めた何等かの習い事に行かせる親も居れば、子供は自然に触れ伸び伸びと育てる事が大事と考え、塾などには殆ど行かせない親も居る。
また、教育は学校のみで行う事なのだろうか。人数は少ないが、学校で習う事を家庭内で教育している親も居る。食事などのマナーや文化は家庭でも教えるものであり、学校で習う事の一部を家庭でも教えるべきではないだろうか。例えば歴史は家庭でも教えられるし、文化と関連している。当然、算数や国語は家庭でも教えられる。

そうであれば、公設の学童保育で行える事は必要最低限の事であり、宿題をする事を促す程度までであって、勉強を習慣付ける事では無いであろう。

余談だが、”宿題”は何のために有るのだろうか。狭義の意味での”宿題”は、授業で教えた事を復習させる目的で、児童(または生徒)が自宅で学習するために実施している。そして理解度を確認する目的で、テストを行っている。主に国語・算数が中心で、これを学んでいなければ、大人になって困るからである。
しかし、そもそも宿題は必要なのだろうか?もし”復習させる目的”であれば、それを家ではなく学校で行っても良い様に思える。正規の授業が終わった後の放課後に、自主的に学校に残って宿題や復習、または解らない所を先生に聞ける時間を設けても良いのではないだろうか。小学校の子供達には、出来るだけ家に帰ってまで勉強を強要する必要も無かろう。勿論、勉強が好きな子供には勉強してもらえば良い。
大学ではレポートの提出はあるが、宿題はない。
”宿題”「を広義に捉えた場合、調べもの(レポート)的なものもあるが、これは有っても良いであろう。その内容は楽しめるものであったり、親も参加出来るものであったり、様々な工夫ができるであろう。
若干横道にそれたので、本題の少子化対策としての学童保育についのて議論に戻りたい。

㋒高学年になると、退屈な場所になってしまう → スポーツや教育&文化活動の不足:
小学校高学年になってくると、学童保育は退屈な場所になってくるとも云われている。確かに狭い空間で長い時間過ごすのは窮屈だし、またゲームもし飽きているだろう。一部の学童保育は小学生4年生までとの制限を設けている所もある。その理由の一つが学童保育では大きくなった子供のエネルギーの発散場所として不十分である事と、もう一つは一人でも自宅で過ごせると社会が考えているからだろう。
しかし因みにアメリカでは、小学生レベルの子供は保護者が居ない所では子供だけでは居られないと云う法律がある。国によっては小学生高学年と云えども、まだまだ保護者の保護下に置くべきと考えている事を知っておく必要がある。

解決策:
公設の学童保育の在り方として、次の事項について考えたい。私設の学童保育であれば様々な事をできるが、それはそれを望んでいる一部の親または子供のためであり、公設の学童保育では必要最低限のサービスレベルに限定せざるを得ないであろう。

Ⓐ学童保育の終了時間の延長:
一つ目の解決策は至って単純で、最低でも19時迄、地域によっては20時に終了する様にする。そして同時に指導員に対する待遇改善も必要であろう。また、18時以降も対応する保育士などの指導員に対して、残業手当の様な追加の手当を支払う事も必要であろう。但し、子供は出来れば20時、遅くとも21時までには寝させた方が良いとも云われているので、可能であれば遅くとも19時までには親に迎えに来てもらいたいものだ。

Ⓑ勉強する機会の醸成:
勉強できる場所や机などの設備を充実される事は当然だが、学童保育の本質は勉強指導でも勉強をさせる事ではない。但し、小学生レベルの勉強を教えられる人が指導員として居るべきであり、学童が勉強を教えて欲しいと願えば教えるべきであろう。
しかし、本来は小学校が勉強を教える所である。例えば、放課後1時間程を自習の時間として確保し、その時間内で宿題や予習・復習を行わせる事を行っても良いのではないだろうか。但しこれはあくまで任意の時間であり、帰宅したい子供は帰宅すれば良いし、残りたければ残れば良いといった選択肢を与えれば良いのではないだろうか。そうする事で、学童保育での宿題の問題はある程度解決出来るだろう。

Ⓒ塾や習い事との連携:
学習塾や習い事(そろばん、習字)、または水泳などの習い事を子供にさせている親は多い。もし子供を公設の学童保育に入れている場合、授業が終わった後に直接塾などに行き、または学童保育に一旦行ってから塾に行き、そして終了後に学童保育に戻ってくる、等といった行動が取れない場合がある。そのため、塾や習い事に行くばあい、学童保育から出入りできる様にする事は大変重要であろう。
また日本のDX化が遅れているが、塾や習い事と学童保育がデータで連携を取りあう事も、将来は実現して欲しいものである。

Ⓓスポーツや文化活動の支援:
公設の学童保育ではスポーツや文化的な活動を行う必要は無いが、学校の設備を使える範囲内で、子供達が遊びの延長で自由に使える様にしても良いのではないだろうか。体育館を使用できれば、幾つかの室内競技が出来る。例えばバスケットボールはボールさえあれば簡単に出来るし、卓球も体育館でなくても空いている教室があれば、複数台設置できる。またバドミントンはネットを設置しなくても楽しむ事はできる。また運動場が使える様であれば、サッカーもボール一つあれば楽しめる。これらをスポーツクラブの様に有償で指導者を付けて行うのではなく、遊びの延長で行っても良いのではないだろうか。その際指導員を置く代わりに、安全面を見守る程度の監視役を配置する程度で十分だろう。
自分が小学生の時は、運動場は自由に使え、頻繁にソフトボールをして楽しんでいた。まは授業の合間では卓球をする事が多かった。そして勿論、先生または大人の指導や監視は無しである。現代は何かとクレームが多い社会になっているので、何等かの監視は必要であろうが、この場合は指導は必ずしも必要ではない。子供達が楽しむためのモノである限りは。そしてその監視約は学校の先生でも良いのではないだろうか。但し、遊べる時間は17時までとし、学校の先生に”残業”の負担を掛けさせないレベルで対応頂く事で対応して欲しい。



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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その4) - ③幼児保育(教育)

2023年01月13日 19時55分00秒 | 社会全般
次の③~⑤はほぼセットなのだが、先ずは幼児保育に関して個別に考えたい。学童保育に関しては、保育園に預けるための費用負担と云う金銭的な側面以外の問題点もフォーカスを当てたい。金銭面での補填は既に多くの自治体で行っており、また先に述べたベーシックインカムと併せる事で、凡そ解決出来るが、金銭面以外の問題点の解決にはあまりならない。
最近、保育施設での乳幼児虐待の話を良く聞くが、幼い子供を持つ親に取ってはよそ事ではない。何故この様な事件が起こるのか、その本質的な問題点(原因・理由)を掘り下げる必要がある。この分野に関しては素人ではあるが、コンサルタントとして仮説を立てて、話を進めたい。論点のポイントは、子供を預ける親から見て、安心できる幼児保育の整備であろう。そして無抵抗である幼児に対する保育の在り方に関しての問題点とその解決策を考えていきたい。

昔、保育士を辞めたと云う女性と話した事があった。保育士を辞めた理由を聞いた所、女性曰く「このまま保育士を続けると、子供が嫌いになりそうだった...」と。どうも、子供達の自由奔放さ、我儘に翻弄され、精神的に追い詰められたのだと推測する。

国が定める現在の基準は、
・乳児保育では、0歳児であれば子ども3人につき1人の保育士を配置
・1~2歳児であれば子ども6人につき1人の保育士を配置
・幼児保育では子ども20~30人につき、必要な保育士は一人
となっている。子供一人の面倒を見る事だけでも大変であるのに、この基準は果たして適切なのだろうかと云う疑問を感じざるを得ない。子供を持った事が有る大人であれば分かると思うが、子供にも色々あり、育てやすい子供と育て難い子供が居る。育てやすい子供が集まっていれば、この比率でも問題ないだろうが、そうでない場合は大変ではないだろうか。ここに問題点がある様に感じる。また乳幼児の面倒を見る大人も同じ人間であり、精神的に上がり下がるがある。精神的に安定している時であれば、この基準でも対応できそうであるが、精神的にそれ程良くない状況下で沢山の乳幼児を見るのは時には大変である。この辺りの配慮が必要ではないだろうか。

解決策:
保育士の金銭的な待遇改善や子供を預かる施設に対する金銭的な支援は当然必要ではあるが、ここでは保育士への金銭面以外での解決策を考えていきたい。そして親が安心して預けられる保育施設の醸成する事が重要であろう。

Ⓐ乳幼児と保育士の比率の改善:
これは誰にでも考えられる解決策ではあるが、これがいの一番に上げるべき解決策である。比率の面で、やはり保育士の負担が大きいと考えるのが普通であろう。これについてはこれ以上の議論は必要無かろう。

Ⓑ高齢者の保育士(または保育補助)の配置:
20歳代や30歳代は、年齢を重ねた人間からみると、まだまだ子供である。人間的に未熟な人間が、沢山の乳幼児の面倒を見る事で負担になる事は有り得る事である。勿論、高齢者といっても、負担になる事はある。そこで、高齢者を乳幼児の面倒を見るために採用すると云うよりは、20歳代や30歳代の若い保育士の精神的な支柱になってもらう立場を中心に、乳幼児も見てもらるといった役割を担ってもらう。乳幼児の保育は肉体的にも大変だが、精神的な負担の方が大きいハズである。その負担に対する心の支えとして、高齢者にも参加してもらう事で、大きな改善になるのではないだろうか。Ⓐで指摘した保育士の比率の改善をする際に、不足すると思われる保育士を高齢者から募る事で、解決して欲しい。
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壊れたニッポンを治す為の処方箋#2:少子化問題(その3) - ②教育費

2023年01月09日 16時54分36秒 | 社会全般
教育費の高さは子供を複数持つ事を躊躇する大きな要因になっているのは周知の事であろう。ここ30年程サラリーマンの収入が増えていない中、大学の授業料はほぼ倍増している。また50年前と比較すると、国立は50倍以上、私立は10~15倍程に高騰している。1970年頃から授業料は急激に上昇し始め、物価の上昇と比較すると、授業料の上昇は際立っている。教育は将来への投資であるはずなのに、残念ながら国家がその投資をしなくなっている。

サラリーマンの平均収入と比較すると、1970頃は国立大学の授業料はサラリーマンの平均収入の1%程度であり、私立大学でも10%程度であった。それが1990年頃にはそれぞれ7%と11%、現代は、それぞれ15%と20%程度に上昇している(私立は文系の場合)。と云う事は、団塊世代前後までは、親は苦労してでも子供達を大学に通わせる事を考えていたが、現代の親は複数の子供を大学に通わせる事を躊躇してしまっている。そのため、将来の教育費を考えた場合、子供は1人、多くて2人が限界であるのではないだろうか。
また大都市圏に住む親にとっては、子供を国立大学に入れる事はほぼ諦めざるを得ない。東京には東京大学や東京工業大学などの偏差値の高い大学しか無く、そして東京都の人口と比較において国公立大学の定員の絶対数が少なく、また全国から東京に若者が集まってくる事から、都民の多くは国立大学に行く事を諦めている。そのため、都内に沢山ある有名私立大学に行く事を目指す事になり、高校または中学からそれら私立大学の付属高校に進学させる事を考えて親も多は大変多く、全く不公平な話である。そのため、その教育費の負担はかなりの額になっている。

この様に、将来の教育費を考えると、沢山の子供を持つ事を躊躇する事はごく自然な対応であり、仕方が無い事であろう。しかし、この様な状況を作り出した政府には憤りを間ざるを得ない。

この問題の解決策も至って単純だが、ここでは次の三つに関して考えたいきたい。
Ⓐ学費を安くする
Ⓑ国公立大学を増やす
Ⓒベーシックインカム

Ⓐ学費を安くする:
国家の将来を担うのは若者であり、若者への教育は国家を永続的に発展させるためには一番大事な事柄である。その高等教育機関である大学で勉強するための授業料が、サラリーマンの平均給料の2割~3割も掛かると云う事は、親にとってかなり厳しいと云える。一人なら共働きなどで何とか大学に行かせる事ができても、二人はほぼ無理であろう。そのため、一部の学生は奨学金を借りるなどをして、大学に通っているが、大学進学を諦めた高校生も少なからず存在しているだろう。
日本の国家予算の中で、高等教育に割いている割合は先進国の中で最低レベルであり、OECD平均の半分程度である。授業料だけを比較した場合、授業料が日本より高い国もあるが、一人当たりのGDPが二流国以下になり下がった今の日本では、収入との比較において、高い授業料を払っているのではないだろうか。また、ドイツやフランスなどの様に、授業料がほぼ無償となっている国家も少なく無い。このことから国家の意思さえあれば、授業料を低減させる事は十分考慮すべきであり、国家予算に占める教育への支出は少なくとも倍増させ、高等教育の授業料を大幅に削減すべきである。少なくとも30年前の水準、できれば50年前の水準に戻して欲しい。国立大学は平均年収の1~5%程度、私立は10%程度以内に抑えて欲しい。そうすれば、子供を作らない理由に将来の教育費の負担が理由にはならないであろう。

この学費を安くするのは、大学だけでなく私立の高等学校も同じである。大学同様に、日本では私立の高校が多く、当然その授業料も高い。この高い授業料は子を持つ親に取っては大変な負担になっている。現在、高等学校はほぼ義務教育化しており、本来は希望する生徒全員を公立の高校に入学させるべきである。しかし、既に多くの私立高校が存在している状況では、それらの授業料を国が補填する事で対応する事が望まれる。幸い、近年は高等学校の授業料を地方自治体が補填する動きが出ているが、所得制限等の制限がある事と、補填金額はまだまだ不十分である。

Ⓑ国公立大学を増やす:
日本の教育費の問題は、国公立大学が少なく、私立大学が多い事に問題がある。海外との比較においてもアメリカでは7割以上、ドイツでは9割以上、イギリスやフランスも殆どが国公立大学である。日本は高等教育への支出が少ない事もあり、国公立大学の数が極端にすくない。それで日本では、絶対的に少ない国公立大学を増やし、授業料の比較的安価な大学を国民に提供する必要がある。
この場合、考慮すべき点として学生の都会志向をどう対処するかである。元々、対人口比では東京などの大都市圏の国立大学の数を定員はすくないのだが、学生の都会志向で、大都市に住む学生にとって、国公立大学は狭き門になっている。実際、一部の人口が少ない県では、大学進学希望者以上の定員をその県の公立大学は確保している一方、東京などの大都市圏では、進学希望者に対して国公立大学の定員は10%にも達していない都府県がある。これは至って不公平である。
足りない国公立大学を増やすために、沢山在り過ぎる私立大学を国公立大学に変える事で対応するのが良かろう。その場合は主に公立大学となるだろうが、特に都会の少なすぎる公立大学を増やすために、新たな学校を設立するのではなく、必要以上に増えた私立大学を転用するのが得策だと云える。
また都会志向による都会集中の不公平感の問題を解消するために、例えば公立大学では授業料の地域格差を設けたり、または定員の地域枠を設けたりする事も検討しても良いのではないだろうか。

Ⓒベーシックインカム:
現在、維新の会がベーシックインカムを推奨しているが、この考えは傾聴に値するのではないだろうか。維新が考えているベーシックインカムは、成人に対しての支給だが、ここでは子供を持つ親に対しての支給としてはどうかとの提案である。
子育てにお金が掛かる訳であるので、その費用を国が補填する。そうする事で、子供を授かる事に躊躇する人は確実に減るであろう。近年、児童手当が支給される様になっているが、その支給額はまだまだ大変少ない。中学生で1万円で、しかも親の所得制限が有る。金持ちに支給するのはどうなのかな...と云う人も居るだろうが、それは所得税の徴収時に調整すれば良い事であって、支給時に区別する方が手間である。また、現行の仕組みは中学生迄となっているが、それを高校まで延長する事も検討すべきである。
支給金額は現行の1万円(幼児は1.5万円)より大幅に上げて、5万円程度にし、出産後半年ないしは1年程度は割増として10万円程度を支給する。そして支給年齢は18歳の高校卒業まで5万円を支給する。1万円(幼児は1.5万円)の支給額は、家計の足しにはなるが、子供を設ける事を考える事への足しにはならない。これが実現できた場合、私立高校の授業料の補填は少なくなってもも良いのではないだろうか。5万円では大都市圏の私立高校の授業料を全額は賄えないが、十分な足しにはなるだろう。

余談だが、子どに対する医療費の無料化には賛成しない。何故なら、無料にする事で安易に子供を医者に連れて行く事になるからである。減額はOKだが、無償は止めた方が良い。個人的な意見ではあるが、本来であればちょっとした病気は自己免疫力で治すべきであり、そうする事で強い体を作れる。安易に医者に連れて行き、安易に薬をもらって子供に飲ませる事で、子供は免疫力のない人間になってしまうとの危惧がある。勿論、体の弱い子供や外科的な治療が必要な場合には医者に頼る必要があるが、ちょっとした熱が出た程度で医者に行くのはどうかと考える。
因みに、自分は大人になるまで医者に行った事はなく、薬も飲んだ事はない。今まで飲んだ事がある薬は下痢薬、頭痛持ちだったので頭痛薬、そして花粉症が辛い時に飲む鼻炎薬程度であるが、今は下痢薬と頭痛薬は数十年程飲んでいない。後は特定の病気になった時に処方された薬を少々飲んだ程度である。
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