業務&ITコンサルタントのひとり言

コンサルティング活動を通じて感じることを勝手気ままに記載

自由経済って何?

2016年11月13日 09時52分28秒 | 日記
”自由経済”って一体何だろう?自由に物品の売買ができ、その上関税も掛からない(または殆ど掛からない)...がそれにあたるのかな?

これを実現する為には、商取引に関するルール(法律)を同じにする必要がある。TPPでは、ルールの統一化を目指している様でもあるが、この”ルール”の考え方に様々な問題がある様に感じる。またルールとは、企業活動を行う上でので環境や条件とも云える。

例えば、公害を撒き散らしてもOkとする地域や国と、公害に対する厳しい法律(制約)を課している地域(国)とで、同じ条件で企業活動・競争をするべきできない。

また、賃金格差も問題ではないだろう。例えば、10分の1の賃金で雇える地域(国)とは、まともな競争は出来ない。労働集約型の産業では、低賃金の地域(国)に仕事が移動してきているのは周知の事だが、これは企業や消費者の目線での「理論」であって、それは「経済学」として在るべき姿だろうか?

この様な考えに至った理由は、マイケルサンデル氏の話をTVで聞いたのがキッカケだ。その番組では、企業のコスト削減を目的としてアウトソーシングの事例を論じていた。このケースでは、いわゆる非正規社員のの対応と殆ど同じで、社内の正社員と同じ仕事をしている外注に委託された社員とで、給料がかなり違っている事が正しい事なのかどうかを論じていた。

あくまで自分の解釈だが、マイケルサンデル氏は、世界規模でも同一労働は同一賃金であるべきと考えているのではないだろうか?

ではこのアウトソーシングが、非正規社員に様に、同じ職場で働くのではなく、他場所からインターネットを活用して様々なサービスを行う場合はどうなんだろう。そしてその他の場所が海外であったらどうなるのか?自分が昔勤めていた会社では、既に10年ほど前から、経費清算等の事務処理は海外にアウトソーシングされていた。勿論、経費削減が目的だ。(*注:予断だが、今はこれらの事務処理的な仕事はアウトソーシングを吹っ飛ばして、AI化に向かいつつあり、”職”が他地域(国)に移動するのではなく、無くなってしまう事象が始まっている。)

今世界で問題になっているのは、低賃金を求めて、仕事が移動している事である。これは企業にとって”得”であり、そして賃金が低い国にとってメリットがある。しかし、低賃金が何時までも続く訳ではなく、段々賃金があがり、何れ経済的に問題が沢山出てくる。これは殆ど全ての先進国は勿論の事、中進国にも起こっている問題で、中国でも問題が顕著化している。

インドのIT業界では、一昔前までは低賃金で、高度な技術を持った人材を確保できたが、今は一部の企業では、日本のIT技術者よりも高い給料をもらっている。IT業界ではもう既にヨーロッパ基準の給与レベルになっており、同一労働同一賃金が達成できている。

何日か前に書いた「企業の価値」で述べたが、企業はその地域への貢献無しには存在すべきでなない。企業のみの利益の追求は害が多すぎる。では、どうすべきか?

基本は、ルールの共通化であり、ルールが違う場合は、関税て補正すべきではないだろうか?例えば、賃金の格差が多い地域(国)からの輸入には、後進国の経済をダメにしない程度に、多少の関税を掛ける。

そして、農産物ほどではないが、工業品やサービスにおいても、多少は地産地消を心がけるべきだ。この場合の”地”の定義は、アメリカの様に市場が大きい国は国単位で考え、ヨーロッパや東南アジアなどは、隣国を含めた地域で捕らえるべきだろう。それによって、社会貢献ができるのではないだろうか...。
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参議院の在り方

2016年11月06日 10時09分25秒 | 日記
日本には、衆議員と参議院と云う二つの議員があるが、この二つの議員の選び方が似ている事と、参議院の役割の違いが見えにくい状況である事は周知の事である。

では、参議院がもう少し価値のある存在になるにはどうなれば良いだろうか?一つの案として、米国の上院みたいな存在が考えられる。まぁ、これも良いだろう。

もう一つ考えてみたい案がある。それは昔の貴族院に近いのだが、社会的にそれなりの責任や実績を持った人のみが議員になれる仕組みだ。政治家の中に、余りにも社会経験の乏しい人が多い。そして社会人としてたいした実績や経験も持っていない人が余りにも多い。哲学や理念が幼稚な人達。こんな事を考え始めた理由は、現在の政治家の不甲斐なさや幼稚さにある。

政治家の不甲斐なさの例として、以下を挙げてみた。
・経済に疎い
・国際感覚がない
・交渉力がない(特に外交において)
・判断力や実行力がない
・コスト意識がない(費用対効果)
・そもそも良識に欠ける

これらを持ち合わせている人を探そうとすると、事業を行っている人や、企業または社会で活躍している人しか見当たらない。それが、「社会的にそれなりの責任や実績を持った人のみが議員になれる仕組み」を考えるに至った。

誰でもなれる衆議員と、社会での実績がないとなれない参議院。参議院は言ってみれば、社外取締役みたいな存在。形式的な存在ではなく、本当にちゃんと意見を言える存在として...。

参議院改革、この考えを実現する価値はないだろうか?
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少子化の問題と子育ての難しさ

2016年11月03日 17時41分06秒 | 日記
ちょっと前になるが、Youtubeをネットサーフィンしていたら、国会討論に辿り着いた。議論の内容は、何年か前に議論されていた俗称「女性手帳」であった。

論点と云うよりは、”苦情”の様な野党の意見の中に、「子供を生みたくない女性の選択肢...」や「男性にな何故配らないのか...」などの話題がでてきたが、相変わらずの甚だクダラナイ論点笑ってしまった。

この「女性手帳」なるものを肯定も否定もする積りはないが、仮にこの手帳を配ったとしたら、「子供を生みたくない女性の選択肢...」を奪い取る事になるのだろうか?そして「男性に配らない...」に関しては、男性にも”子供を持ちたくない”と云う選択肢もある事について、どう考えているのだろうか?

そもそもの問題点は、”少子化”であり、この問題を解決する為に、色々な意見をだして、より良い対策を検討すべきなのに、人の揚げ足を取る様な議論に終始しているので、本当にガッカリである。

実際に自分自身が子育てをして、”子育て”に関する自分の無知さを痛感した。ここで云う”無知さ”とは、オムツを替えるやミルクの作り方などの様な、単純なHow-toの話ではなく、子供を育てる為の「心構え」、「姿勢」、「子供の食育のしかた」、「社会に役立つ人間になる為の育て方、または親の振る舞い方」、など、親としての生き方も含めたHow-toを分かっていなかった、または考えてこなかった点にある。

自分が反省した例をひとつ上げよう。子供にミルクを上げていた時の事なのだが、その時自分はTVを見ていた。自分は子供にミルクを上げている間、子供の顔を見ていなかったのだ。即ち、子供とのコミュニケーションを取っていなかったのだ。

後で義親からこの事を注意された。子供はこんな時から、自分以外の人間とコミュニケーションをとる訓練(経験)を積み重ねる必要があるそうで、ミルクを上げている時に、顔をみてコミュニケーションする必要があると知らされた。その時点までミルクをあげる時にもコミュうにケーションが大事だとの事を知らなかったのだ。

少子化対策には、勿論子供の絶対数を増やす(またはこれ以上減らさない)事だけではなく、社会に役立つ人に育てる、または少なくとも社会の一員として生活できる人間に育てる為の方策の検討も必要ではないだろうか?勿論、その責任は国ではなく”親”にあるのだが、その”親”への子育てに関する教育が不十分な様に感じる(または殆どおこなわれていない)。どうだろうか?

近年、人間として信じられない様な人格を持った人による犯罪が目に付く。昔から在ったのかもかもしれないが、この人達は子供の頃に十分な愛情やコミュニケーションをとれずにそだってきたのだはないだろうかと感じている。

子育てしながら、親子共々幸せになれる様に、マズは親から教育する必要はないだろうか...。
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少子化の問題と子育ての難しさ

2016年11月03日 17時38分23秒 | 日記
ちょっと前になるが、Youtubeをネットサーフィンしていたら、国会討論に辿り着いた。議論の内容は、何年か前に議論されていた俗称「女性手帳」であった。

論点と云うよりは、”苦情”の様な野党の意見の中に、「子供を生みたくない女性の選択肢...」や「男性にな何故配らないのか...」などの話題がでてきたが、相変わらずの甚だクダラナイ論点笑ってしまった。

この「女性手帳」なるものを肯定も否定もする積りはないが、仮にこの手帳を配ったとしたら、「子供を生みたくない女性の選択肢...」を奪い取る事になるのだろうか?そして「男性に配らない...」に関しては、男性にも”子供を持ちたくない”と云う選択肢もある事について、どう考えているのだろうか?

そもそもの問題点は、”少子化”であり、この問題を解決する為に、色々な意見をだして、より良い対策を検討すべきなのに、人の揚げ足を取る様な議論に終始しているので、本当にガッカリである。

実際に自分自身が子育てをして、”子育て”に関する自分の無知さを痛感した。ここで云う”無知さ”とは、オムツを替えるやミルクの作り方などの様な、単純なHow-toの話ではなく、子供を育てる為の「心構え」、「姿勢」、「子供の食育のしかた」、「社会に役立つ人間になる為の育て方、または親の振る舞い方」、など、親としての生き方も含めたHow-toを分かっていなかった、または考えてこなかった点にある。

自分が反省した例をひとつ上げよう。子供にミルクを上げていた時の事なのだが、その時自分はTVを見ていた。自分は子供にミルクを上げている間、子供の顔を見ていなかったのだ。即ち、子供とのコミュニケーションを取っていなかったのだ。

後で義親からこの事を注意された。子供はこんな時から、自分以外の人間とコミュニケーションをとる訓練(経験)を積み重ねる必要があるそうで、ミルクを上げている時に、顔をみてコミュニケーションする必要があると知らされた。その時点までミルクをあげる時にもコミュうにケーションが大事だとの事を知らなかったのだ。

少子化対策には、勿論子供の絶対数を増やす(またはこれ以上減らさない)事だけではなく、社会に役立つ人に育てる、または少なくとも社会の一員として生活できる人間に育てる為の方策の検討も必要ではないだろうか?勿論、その責任は国ではなく”親”にあるのだが、その”親”への子育てに関する教育が不十分な様に感じる(または殆どおこなわれていない)。どうだろうか?

近年、人間として信じられない様な人格を持った人による犯罪が目に付く。昔から在ったのかもかもしれないが、この人達は子供の頃に十分な愛情やコミュニケーションをとれずにそだってきたのだはないだろうかと感じている。

子育てしながら、親子共々幸せになれる様に、マズは親から教育する必要はないだろうか...。
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