コロニア・グエルを出た後はモンジェックの丘に行きました。見晴らしがよくて緑が多い、また1992年バルセロナ・オリンピックのメイン会場となった施設や美術館なども点在しているので、市民の憩いの場になっているようです。この日は天気がよかったのでバルセロナの市街地がよく見渡せました。サクラダファミリアもわかります。家族連れや若者たちがたくさん来ていました。小一時間ほどいてサクラダ・ファミリアに向かいました。予約時間ぴったりでないと入れないので時間調整の意味もあったのでしょう。
バスを降りて外観が視線に入ってくると一挙にテンションが上りました。なんとすごい建物なのでしょう。どうやってこんな巨大なものを建築できたのでしょう。1882年の着工です。ガウディは二代目の建築家で1983年から1926年までライフワークとして取り組みました。現在もなお建設が継続されていることは広く知られていますが、現在担当している建築家の方は九代目にあたるそうです。
出入口はたくさんの観光客で溢れていました。この出入口がある西側ファサード(建築の正面・デザイン)はイエスの受難を表し、東側のファサードはイエスの誕生を表しているとのことです。近づくと壁面を飾る夥しい数の様々な彫刻が間近に見えてきます。そして教会の中では、中央の立派で厳かな祭壇、上部の大きなステンドグラス、天井の装飾、様々な彫刻に目が奪われます。
ガウディは、このサクラダ・ファミリアをキリストの誕生と死を伝える「聖書」として人々に「読んで」ほしいと考えた、と聞きました。またこの教会がブルジョワのための教会であってはならず、貧しい人々のためのものでなければならないと考えていたということです。
もともとガウディは宗教に関心が薄かったのですが、この建築に携わるなかで信仰心に目覚めていったと言われています。晩年は教会内の仕事場に寝泊まりして夜遅くまで仕事をする苦行僧のような暮らしだったといいます。そして路面電車に轢かれて死ぬのですが、その姿はとてもみすぼらしいものだったと言われています。このようなガウディの深い宗教心、執念、生き様がこうして見ているぼくらの心を激しく揺さぶるのではないか。そんなことを思いました。
集合時間が近づいたので出入口をくぐって外にでました。夕食のあとまた戻ってライトアップされたサクラダ・ファミリアを眺めることになっています。