今年も確定申告終了です。
毎年、深夜残業しながらの葛藤で、疲れ果てております。
しかし、今年は思った以上に早く進み、ゆっくりと余裕の中に税理士さんに資料を笑顔で手渡しました。
さて、本日は少し真剣なお話を書き留めたいと思います。
医療に携わり、いろいろな人と出会い、接する中に、これは伝えていかないといけない、人生の中でそう思うことと、自分の心の中で納めていかなければいけないこと、いろいろな思いが交錯するなかで、以前は誰にも言わず、しっかりと心にとどめておいて、それでいい・・・と思っていたことが、年月が過ぎるたびに、これはやはり伝えていかなければならないこと、知ってもらうことを望んでいるものがあるのではないか、とこの歳になって感じるようになってきました。
人とのかかわりの中で、個人情報もあり、ましてや人に知られたくない事実もあり、それを、医療という繋がりだけで、信頼の中に明かしてくれたもの、であるならば、本来は私の心にしっかりとおさめこんで、他言せずに生涯墓場までもっていかなければならない、と固く誓っていたことが、もしかしたら、今はそのことをもっと多くの方に知ってもらいたい・・・というその人の想いが伝わってくるような気がして、このような文面と言った形で残していくことを選択しました。
(プライバシーを考慮して、少し個々の部分や内容はフィクションにしておきます。)
もう10年も前のことになります。
ある患者さんから相談がありました。
一人住まいの姉妹の方が、重い病気とのこと。
5年前に、顔面に腫瘍ができ、切除手術を行ったのですが、本来予定されていた手術とは全く違い、頭蓋骨を削るほどの大手術の結果、手術痕があまりにも大きく痛々しく、ショックでその日を境に殆ど家からでなくなったそうです。
ひっそりと独り毎日を過ごし、誰とも会おうとせず、家族(ご両親はすでに他界し姉妹のみ)もほんの年に数回しか様子を見に行かないけれども、どうしているのかとても気になる思いをしていたそうです。
ほぼ、生活保護での暮らしであり、質素に、その中にも、しっかりとした思いでいたらしいのでしょうか、とても女性らしく着飾ることには気を使っていたらしく、家族や保護司の方がいらした際には、きちんとされているそうです。
しかし、カラダのところどころに痛みがあるらしく、家族も心配して病院に行くことを進めたのですが、手術でのショックと後遺症に対しての不信感が募り、医者は信用できない!と言って、全く診察は受けられませんでした。
痛みは薬局から取り寄せた鎮痛剤や、ネットで調べた様々な健康用品で対処し、その場しのぎで繕っていた状態だそうです。
心配してどうしたらいいか・・と相談を受け、いろいろとお聞きする中に、やはり一度病院で診察を受けないといけないこと、医療は命をつなぐものであり、決して人生を遮断してしまうものでないことを知ってもらうためにも、まずはドクターと会話をしてほしい旨を伝えました。
もちろん、私のことも話されたらしく「信頼できる人のアドバイスだから」と伝えたらしいのですが・・
姉妹に何度も足を運んでも、説得しても云うことを聞かず、半年の月日が経ちました。
ある日、日曜日に電話が鳴りました。
相談してきた方からでした。
姉妹がベットから起きた時に転んで肩を打ち、動けなくなったとのこと。
やっとの思いで電話をしてきて、
肩が脱臼したか、骨折したみたいなので診てもらいたいとのことでした。
本人は承諾しているのかと尋ねたところ、痛みに耐えきれないので、何とかしてほしい・・藁をもつかむ思いだというのです。
本来ならば、こちらから往診という形も取れるのですが、それを伝えると本人は「自宅にはきてほしくない」とのことでしたので、なんとか車で相談者の方が送ってこられました。
初めてお会いした姉妹。(ここからはAさんとお呼びします。)痛々しくも玄関入口から入ってきたときはとても上品な方で、きちんとした身なり、とても素敵な方でした。
でも、正面から会い向かいした時に、心に突き刺さるような思いが脳裏を走りました。
これが今の私です・・ほんとうに、外に出たくない、どうしてこんな姿に・・、といった声が痛切に聞こえてきた気がします。スミマセン、文字では表現できません。
瞬間、美容整形での手立てもあるかもしれない、ただし、その費用はどれだけなものなのか、それに踏み出すことも勇気のいること。それよりも、心の傷のほうが大きく、いっそ、このまま・・そんな考えが聞こえてきそうで・・・わずか一秒の間に。いや、そうであってはいけない、そのような心で見てはいけない、ごく普通に、当たり前の一女性として、しっかりと対応してあげよう。残り一秒で心を立て替えている自分がいました。
まずは、痛めた肩を診よう。
ゆっくりと身体を支えてあげながら、診療ベッドに座らせてあげました。
最初は痛みで抵抗したのかそれともいやだったのか、と思うような仕草をしましたが、ゆっくりと手を握ってつかまらせてあげると、少し安心したのか自らの足で進まれましたが、相談者の方はその動作を見て、驚くような顔をしていました。
まずは、痛めたところを触診しようとしたとき、痛みで触らせてはくれません。
「大丈夫、痛いことはしませんよ。診るだけですよ。」しっかりと目を合わせて、会話する、もうその時には目の前にいる人は患者さん。
とても小さい目をされていました。でも、しっかりと私を見ていました。
Aさんが安心されたのが分かったのは、痛めた肩に触れた時。身動きせず、ちゃんと診れる体制にしてくれたのです。
ああ、任せてくれてるんだな・・。その仕草が、とてもうれしかったことが今でも印象に残っています。
でも、そこでまた愕然としました。
肩が外れても、折れてもいないのです。
そこには、普通の状態とはまったくちがう、左腕の骨の形があったのです。
間違いなく、確信しました。 骨腫瘍であることを。
転移。
この文字が頭に浮かんできました。でも、平静を崩すことはありません。なぜなら、どんなときにも感情や動揺で言葉を伝えるのではなく、医療は心が伝わるものだ、と自負しています。ですから、たとえ危機的なことも、いかに相手に冷静に受け止めてもらえるか、を自然と出せられるようになっている、冷淡ではなく、それが本当のあたたかさだと思うから。
これは、脱臼でも骨折でもないことをゆっくりと伝え、痛みに対して患部を少しさすりながら、一度X-PやMRIで調べることが大切だということを、伝えてあげました。
穏やかに、Aさんは私の話を聞いてくださり、さすってくれたおかげで痛みが和らいだこともおっしゃられました。
初めての方に、こういった行為をできるのは医療従事者しかいません。
自分がそれに携わっていること、そして不思議にも、今まで色々な方と出会っていることが、艱難辛苦全てにおいて、なぜかとてもうれしい出来事となって思い出として刻まれていること。
とてもありがたいこと。
話をしながら、初めてお会いした方のはずなのに、すべてを理解してあげられる、そんな気持ちになれたのは、これまた不思議なものです。
Aさんは、素直に病院に行くことの大切さを分かってくださったみたいで、明日、病院へいくと約束してくださり、私の院を後にしました。
相談者さんは、後日、あのように素直に人の話を聞くAさんを見たのは初めてだ!と話してくださいました。私は初めてお会いしたので、素直な優しい方としか印象には残ってないのですが。
その後、何度も相談者さんは家に来られてAさんの状況をお話しくださりました。
病院では即入院となり、検査の連続で、心が折れそうになっているとのことでした。
「元気になってまた、お話ししましょう。って伝えてください。」
その言葉がとてもうれしかったそうで、Aさんは毎日辛い治療にも臨まれているそうです。
しかし、それから数か月後、Aさんが危篤になってしまっていることを知らされました。
相談者さんから、「先生とまた話がしたい・・」とAさんが病床でうわごとのように云っている・・・と聞かされ、
病院へ飛んで行けるものなら、との思いと、そこまでしたら、尚更、感情を挟んでしまうこれ以上は・・様々な葛藤が私の中に浮かんでは消えているのも事実でした。
医療に携わる者の一番の試練でした。
Aさんは終末医療として、痛みを消す治療に。
そして最後は穏やかな面影を残されて、旅立たれたそうです。
相談者さんも、いずれはこうなってしまうだろうということは感じていたそうです。最後に私に話をしてもらいたかったともおっしゃいました。
でも、それも無理なお願いだと、わかっていたとも打ち明けてくださいました。
私にとっては、この医療従事者としての35年間の中での、一人の患者さんです。
でも、Aさんにとっては、私はどんな存在だったのでしょうか。
それは、ずっと心にとどめておくべきことなのかもしれません。
というか、感情で、心情で、診ること、考えることではいけないのです。
最近、特に、人として、何を知り、伝え、学び、生かしていくか、そして、それは総てに於いて、意味のあることだということを教えてもらった気がします。
様々な場面で、いろいろな人と出会い、そこで教えてもらえたこと、後世につたえていくべきもの、大切なことを、しっかりと残していくこと。
それも私の使命なのだと感じます。
でも、持論で片づけられるものばかりでもないことは事実です。
しっかりとこれからも、精進していかなければならないです。
おそくなってごめんなさい。
最後に、Aさんに、心より哀悼の意を送ります。
毎年、深夜残業しながらの葛藤で、疲れ果てております。
しかし、今年は思った以上に早く進み、ゆっくりと余裕の中に税理士さんに資料を笑顔で手渡しました。
さて、本日は少し真剣なお話を書き留めたいと思います。
医療に携わり、いろいろな人と出会い、接する中に、これは伝えていかないといけない、人生の中でそう思うことと、自分の心の中で納めていかなければいけないこと、いろいろな思いが交錯するなかで、以前は誰にも言わず、しっかりと心にとどめておいて、それでいい・・・と思っていたことが、年月が過ぎるたびに、これはやはり伝えていかなければならないこと、知ってもらうことを望んでいるものがあるのではないか、とこの歳になって感じるようになってきました。
人とのかかわりの中で、個人情報もあり、ましてや人に知られたくない事実もあり、それを、医療という繋がりだけで、信頼の中に明かしてくれたもの、であるならば、本来は私の心にしっかりとおさめこんで、他言せずに生涯墓場までもっていかなければならない、と固く誓っていたことが、もしかしたら、今はそのことをもっと多くの方に知ってもらいたい・・・というその人の想いが伝わってくるような気がして、このような文面と言った形で残していくことを選択しました。
(プライバシーを考慮して、少し個々の部分や内容はフィクションにしておきます。)
もう10年も前のことになります。
ある患者さんから相談がありました。
一人住まいの姉妹の方が、重い病気とのこと。
5年前に、顔面に腫瘍ができ、切除手術を行ったのですが、本来予定されていた手術とは全く違い、頭蓋骨を削るほどの大手術の結果、手術痕があまりにも大きく痛々しく、ショックでその日を境に殆ど家からでなくなったそうです。
ひっそりと独り毎日を過ごし、誰とも会おうとせず、家族(ご両親はすでに他界し姉妹のみ)もほんの年に数回しか様子を見に行かないけれども、どうしているのかとても気になる思いをしていたそうです。
ほぼ、生活保護での暮らしであり、質素に、その中にも、しっかりとした思いでいたらしいのでしょうか、とても女性らしく着飾ることには気を使っていたらしく、家族や保護司の方がいらした際には、きちんとされているそうです。
しかし、カラダのところどころに痛みがあるらしく、家族も心配して病院に行くことを進めたのですが、手術でのショックと後遺症に対しての不信感が募り、医者は信用できない!と言って、全く診察は受けられませんでした。
痛みは薬局から取り寄せた鎮痛剤や、ネットで調べた様々な健康用品で対処し、その場しのぎで繕っていた状態だそうです。
心配してどうしたらいいか・・と相談を受け、いろいろとお聞きする中に、やはり一度病院で診察を受けないといけないこと、医療は命をつなぐものであり、決して人生を遮断してしまうものでないことを知ってもらうためにも、まずはドクターと会話をしてほしい旨を伝えました。
もちろん、私のことも話されたらしく「信頼できる人のアドバイスだから」と伝えたらしいのですが・・
姉妹に何度も足を運んでも、説得しても云うことを聞かず、半年の月日が経ちました。
ある日、日曜日に電話が鳴りました。
相談してきた方からでした。
姉妹がベットから起きた時に転んで肩を打ち、動けなくなったとのこと。
やっとの思いで電話をしてきて、
肩が脱臼したか、骨折したみたいなので診てもらいたいとのことでした。
本人は承諾しているのかと尋ねたところ、痛みに耐えきれないので、何とかしてほしい・・藁をもつかむ思いだというのです。
本来ならば、こちらから往診という形も取れるのですが、それを伝えると本人は「自宅にはきてほしくない」とのことでしたので、なんとか車で相談者の方が送ってこられました。
初めてお会いした姉妹。(ここからはAさんとお呼びします。)痛々しくも玄関入口から入ってきたときはとても上品な方で、きちんとした身なり、とても素敵な方でした。
でも、正面から会い向かいした時に、心に突き刺さるような思いが脳裏を走りました。
これが今の私です・・ほんとうに、外に出たくない、どうしてこんな姿に・・、といった声が痛切に聞こえてきた気がします。スミマセン、文字では表現できません。
瞬間、美容整形での手立てもあるかもしれない、ただし、その費用はどれだけなものなのか、それに踏み出すことも勇気のいること。それよりも、心の傷のほうが大きく、いっそ、このまま・・そんな考えが聞こえてきそうで・・・わずか一秒の間に。いや、そうであってはいけない、そのような心で見てはいけない、ごく普通に、当たり前の一女性として、しっかりと対応してあげよう。残り一秒で心を立て替えている自分がいました。
まずは、痛めた肩を診よう。
ゆっくりと身体を支えてあげながら、診療ベッドに座らせてあげました。
最初は痛みで抵抗したのかそれともいやだったのか、と思うような仕草をしましたが、ゆっくりと手を握ってつかまらせてあげると、少し安心したのか自らの足で進まれましたが、相談者の方はその動作を見て、驚くような顔をしていました。
まずは、痛めたところを触診しようとしたとき、痛みで触らせてはくれません。
「大丈夫、痛いことはしませんよ。診るだけですよ。」しっかりと目を合わせて、会話する、もうその時には目の前にいる人は患者さん。
とても小さい目をされていました。でも、しっかりと私を見ていました。
Aさんが安心されたのが分かったのは、痛めた肩に触れた時。身動きせず、ちゃんと診れる体制にしてくれたのです。
ああ、任せてくれてるんだな・・。その仕草が、とてもうれしかったことが今でも印象に残っています。
でも、そこでまた愕然としました。
肩が外れても、折れてもいないのです。
そこには、普通の状態とはまったくちがう、左腕の骨の形があったのです。
間違いなく、確信しました。 骨腫瘍であることを。
転移。
この文字が頭に浮かんできました。でも、平静を崩すことはありません。なぜなら、どんなときにも感情や動揺で言葉を伝えるのではなく、医療は心が伝わるものだ、と自負しています。ですから、たとえ危機的なことも、いかに相手に冷静に受け止めてもらえるか、を自然と出せられるようになっている、冷淡ではなく、それが本当のあたたかさだと思うから。
これは、脱臼でも骨折でもないことをゆっくりと伝え、痛みに対して患部を少しさすりながら、一度X-PやMRIで調べることが大切だということを、伝えてあげました。
穏やかに、Aさんは私の話を聞いてくださり、さすってくれたおかげで痛みが和らいだこともおっしゃられました。
初めての方に、こういった行為をできるのは医療従事者しかいません。
自分がそれに携わっていること、そして不思議にも、今まで色々な方と出会っていることが、艱難辛苦全てにおいて、なぜかとてもうれしい出来事となって思い出として刻まれていること。
とてもありがたいこと。
話をしながら、初めてお会いした方のはずなのに、すべてを理解してあげられる、そんな気持ちになれたのは、これまた不思議なものです。
Aさんは、素直に病院に行くことの大切さを分かってくださったみたいで、明日、病院へいくと約束してくださり、私の院を後にしました。
相談者さんは、後日、あのように素直に人の話を聞くAさんを見たのは初めてだ!と話してくださいました。私は初めてお会いしたので、素直な優しい方としか印象には残ってないのですが。
その後、何度も相談者さんは家に来られてAさんの状況をお話しくださりました。
病院では即入院となり、検査の連続で、心が折れそうになっているとのことでした。
「元気になってまた、お話ししましょう。って伝えてください。」
その言葉がとてもうれしかったそうで、Aさんは毎日辛い治療にも臨まれているそうです。
しかし、それから数か月後、Aさんが危篤になってしまっていることを知らされました。
相談者さんから、「先生とまた話がしたい・・」とAさんが病床でうわごとのように云っている・・・と聞かされ、
病院へ飛んで行けるものなら、との思いと、そこまでしたら、尚更、感情を挟んでしまうこれ以上は・・様々な葛藤が私の中に浮かんでは消えているのも事実でした。
医療に携わる者の一番の試練でした。
Aさんは終末医療として、痛みを消す治療に。
そして最後は穏やかな面影を残されて、旅立たれたそうです。
相談者さんも、いずれはこうなってしまうだろうということは感じていたそうです。最後に私に話をしてもらいたかったともおっしゃいました。
でも、それも無理なお願いだと、わかっていたとも打ち明けてくださいました。
私にとっては、この医療従事者としての35年間の中での、一人の患者さんです。
でも、Aさんにとっては、私はどんな存在だったのでしょうか。
それは、ずっと心にとどめておくべきことなのかもしれません。
というか、感情で、心情で、診ること、考えることではいけないのです。
最近、特に、人として、何を知り、伝え、学び、生かしていくか、そして、それは総てに於いて、意味のあることだということを教えてもらった気がします。
様々な場面で、いろいろな人と出会い、そこで教えてもらえたこと、後世につたえていくべきもの、大切なことを、しっかりと残していくこと。
それも私の使命なのだと感じます。
でも、持論で片づけられるものばかりでもないことは事実です。
しっかりとこれからも、精進していかなければならないです。
おそくなってごめんなさい。
最後に、Aさんに、心より哀悼の意を送ります。