やっとのことで、仕事の先月の事務処理作業が終わって一息ついているうちに、ブログしとこうと、ページ開いてみて、文字を打ち込んでいるうち、なんか文章の現実味が本当に正しいように伝わっているのか、と、ふと考えてしまうことがよくあります。
最近の事件で、出会い系で知り合い、お金をどんどん貢がせて最終的に不審な死に・・が連続していることとか、
一度も会ったことのない見えない相手とチャットとかブログ(これもそうだけど。)で面と向かって言えないような内容の会話してたり・・・・・、
相手が知り合いで、どんな人なのか解っている場合の文章のやり取りは、ちゃんとわきまえた内容、気持ちが伝わることがそれなりに理解し、納得した上でのものと受け取っているけど、実際確実ともいえない部分もあるし・・・。
私たちの世代は、確実に文章だけ、ってものに信頼をもっているわけではないから、見えない相手の言葉が文章化されてても、絶対!とは考えないけど、インターネットに依存してたり、人との接点が少なかったりすると、文字に対する依存度、信頼性が異常に強くなっていくのかもしれないです。
悪い人がたくさん嘘書き並べてても、文章力が優れていて、人が興味をそそる言葉遣いをたくさん使っていたりしただけで、信用してしまったり、言葉のキャッチボール、メールやチャットのやり取りしているうちに、相手の範疇にハマってしまったら、そんなつもりじゃないのに、自制心が利かなくなって、思いもよらない行動しても、変だと感じなくなったりしてしまうんじゃないんでしょうか。
ホントにインターネットの世界は、自由すぎて、ルールもしっかりできていないうちに、どんどん大きくなりすぎて、ブレーキが利かなくなってしまった世界になっているのも、現実なんだから、ひとりひとりが、道徳心を持って価値のあるものにしていかないと。
ほんとうに犯罪や道徳心のない乱れたものが氾濫してしまう世界にほぼなりつつあることを、否めないと感じているのは私だけでないと思います。
特に、情報処理能力の経験の少ない、もっと人同士の付き合いをこれから経験していかなきゃならない今の子どもたちが、あまりにも、無防備にインターネットの世界に入りすぎてしまっていること、すごく気がかりです。
このあいだも、チャットでうちの娘が、本人も全く知らない相手とイヤホンマイク使ってしゃべりながらするのを、家族そろっているリビングでやっていて、(うちでは、パソコンは皆がくつろぐリビングでしかさせないルールです)会話しているのが聞こえたもんできいているうち、制服姿の写真を送れだの、今から会いたいだの、あったこともないのに、ずうずうしいどころか、間違いなく異常な相手らしいのが聞いてててわかり、「ちょっと待て!」とあわてて途中で止めさせて、ともかく回線切断させて、インターネットの怖さをこんこんと叱りつけてしまったのでしたが、本人も、いやな相手で困ってしまったと思っていたらしいけど、中断して切る勇気がなく、相手に失礼かも・・・とか変な優しさが出てしまって、悪い奴らはそんなところに付け込んでくるんだから、しっかりと見極める判断しないといけないぞ!!と、厳しく怒りました。
たまたま、家族が聞いてたから、ストップ掛けれたからいいようなものを、もちろん自分の娘だから、信用しているけれど、まだまだ世間知らずの子供、夜道を一人で歩くくらい、インターネットは危険なものだと実感しました。
私自身、ブログしているのも、不特定多数の人が見ているのかもしれないし、あまり個人的なことを載せていることで、変な情報として利用されてしまう可能性・・もあると思うと、ちょっと怖い部分もあります。
よく、トラックバックで変な情報が勝手に入ってきたり、たまに開くと危険なメールがあったりと、ちょっとなんだこりゃと困ることも多々あるし。
一応、ブログにロック掛けて、パスワード入れないと見れない方法も使えるのも、考えていくべきなのかなぁと思いつつ、それではあまりに、特定の人しか見れない、でも、同窓会ブログだから、同窓生だけでいいんだし、とも考えています。
もうしばらく、そんな方向性を考慮しながら、いまのままでいこうか、どうしようか思案中であります。