地元酒田市出身の詩人で大先輩に吉野弘さんがおられるが,高校で故・高田三郎氏の作曲した「心の四季」を歌わせていただいて以来,いくつかの詩や合唱曲でお世話になってきた。
吉野さんは,地元で就職された後,転居されており「知り合いだけれど,今の連絡先は知らない」という人はいたが,ご家族とかまでは存じ上げなかった。
今回,病気と格闘した結果として,好きな合唱を作曲・編曲などするようになったため,ぜひ吉野さんのに詩に曲をつけたくなり,連絡先を探し始めた。
で,思い出したのが,地元の出版物に寄稿されていたことだった。
そして,その「編集部」に連絡したところ(ファン・レターと同じ扱いだと思うが)「そのまま転送させてもらいます。ただし,返事は期待しないでください」とのこと。
「とりあえず転送してもらえるだけでも,ありがたい」と思い「詩をお借りして作曲させていただきたい」とのお願いを手紙にしたため,編集部に持参した。
そして,しばらく経ったので「やはり返事は期待しない方が良いかな」などと思っていたら...突然に電話を頂戴した。
で,受信した愚妻は「吉野先生から電話だよ!保留にしてあるから」と言うので受け取ると,何と電話は「ツーツーツー」。
「あっ,切っちゃった!」
おいおい,切っちゃったって,失礼すぎるだろ!
しかも電話番号わかんないんだよ!
で,サーーッと血の気が引く(ほとんど無の境地というか貧血っぽいかも)
で数分後,また電話いただきました。
もちろん自分で取ったぜ(笑)
ひたすらおわびした後,趣旨を説明したところ「良い詩がありましたか」「具体化したら,電話ください」とのお優しい言葉をいただき,電話番号も教えていただいた。
いやはや,肝を冷やす大事件だった。
さすが,うちの嫁は超大物というか,相変わらず任せられね~ぜ(泣)
んなことどうでも良いのだが,ともかく,いずれきちんと曲を書いて,吉野さんの広いお心に応えねば!
と言いつつ,日常的なコーラスやら何やらで時間をつぶしているOyaji。だった。
吉野さんは,地元で就職された後,転居されており「知り合いだけれど,今の連絡先は知らない」という人はいたが,ご家族とかまでは存じ上げなかった。
今回,病気と格闘した結果として,好きな合唱を作曲・編曲などするようになったため,ぜひ吉野さんのに詩に曲をつけたくなり,連絡先を探し始めた。
で,思い出したのが,地元の出版物に寄稿されていたことだった。
そして,その「編集部」に連絡したところ(ファン・レターと同じ扱いだと思うが)「そのまま転送させてもらいます。ただし,返事は期待しないでください」とのこと。
「とりあえず転送してもらえるだけでも,ありがたい」と思い「詩をお借りして作曲させていただきたい」とのお願いを手紙にしたため,編集部に持参した。
そして,しばらく経ったので「やはり返事は期待しない方が良いかな」などと思っていたら...突然に電話を頂戴した。
で,受信した愚妻は「吉野先生から電話だよ!保留にしてあるから」と言うので受け取ると,何と電話は「ツーツーツー」。
「あっ,切っちゃった!」
おいおい,切っちゃったって,失礼すぎるだろ!
しかも電話番号わかんないんだよ!
で,サーーッと血の気が引く(ほとんど無の境地というか貧血っぽいかも)
で数分後,また電話いただきました。
もちろん自分で取ったぜ(笑)
ひたすらおわびした後,趣旨を説明したところ「良い詩がありましたか」「具体化したら,電話ください」とのお優しい言葉をいただき,電話番号も教えていただいた。
いやはや,肝を冷やす大事件だった。
さすが,うちの嫁は超大物というか,相変わらず任せられね~ぜ(泣)
んなことどうでも良いのだが,ともかく,いずれきちんと曲を書いて,吉野さんの広いお心に応えねば!
と言いつつ,日常的なコーラスやら何やらで時間をつぶしているOyaji。だった。