私は祖父の顔を知らず,息子らも祖父の顔を知らずに,余裕なく生きてきました。
今回,ありがたくも初孫を抱き,ふと家系の悲劇を思い出したとき,私が短命か否かの問題ではなく,当の孫に「お前のルーツに,お前のことを愛した人もいたのだ。そして,それは延々と繋がっているのだ」と,いささか理解してもらい,苦難のときの支えにでもしてくれれば良い,そんな気持ちで「自分できること」を探してみました。
第一には,生きがいでもある歌を自分の作曲で,楽譜と音源にして残そうか,というもの。
もう一つは,約30年前に一度だけ彫った,「篆刻」(てんこく)とい,自分の印鑑を作成することを,突然に思い出したのです。
でも,作曲は,歌詞から探し,曲のイメージ,記譜からチェックと,膨大な作業量が必要です。
ということで(安易ですが)今回は,7m角の安い青田石と,やはり安い刻刀セット,そして初心向けの「制作方法」の古本をネットで買い,自分の頭文字「い」と初孫の「よ」を,ひらがなで一文字ずつ彫りました。
鏡(線対称)で良く確認しながら,そろそろ文字が成功か?などと思ったところで「ガーッ」と刻刀があり得ない所まで突き通っていき,台無しになって,またサンドペーパーで石の表面を削りなおし,それでも何度も繰り返し...
結果,小奇麗ではないが「味のある仕上がり」だと爺馬鹿の自分には思えたので「採用」としました。
さて,自分の「い」は全く納得していないですが「またの機会に」ということで,当面は使用を続けたいと思います。
さあて,この子は,この印鑑を使う気になってくれる日がやって来るのでしょうか。
そしてその頃,私はこの世界の人でいられるのでしょうか。
平成25年3月24日(日)の深夜に,この世に生を享けて2ヶ月と2日を経過した初孫へ
爺より