4/23「
詠む」
今日、久しぶりに喫茶店で本を読む機会があった。
何の本を読んでいたかと言うと
「帰還の坑道」(DAYS刊)と言う本である。
作者は出版元の社長である広河隆一さんで、
小説の舞台はパレスチナなのだが、
日本人が主人公となっている。
言葉のテンポもよく、読み応えのある小説なので
他の人に薦めたいと思ってる。
更に
この小説の舞台のパレスチナの置かれている状態が
今日の福島の状況と酷似している点も見逃せない。
例えばこのような下りがある。
ハッサン老人は硬い木肌のようなつややかな顔をしていたが、その小さな眼は限りない苦悩をたたえていた。
「土地と言うものを離れたとき、人間はすでに思いもよらないようなかけがえのない物を失いはじめているのだよ。もちろん土地といっても境界で囲まれた平面しか思いつかない人間にとって,土地を失くすことは単なる財産の消失に過ぎないだろう。しかし、土地が育む物に驚きや畏敬を感じたことのある人間は決して土地を離れてはいけない。そこからいろんな悲劇が始まる。ほこりや尊厳といったものまで失いはじめる。自分がいったい何なのか、ということまで見えなくなっていくのだ。」
ハッサッン老人は続けた。
「そしてその土地に帰還する闘いをとおして,人間もその土地も意味を獲得し、目に見えるようになってくる。」(原文のまま)
福島では現在、県による帰還促進運動が盛んに行われている。
その一方で、
原発事故によって
土地の多くが「放射能」と言う魔物に覆い尽くされているので
本当の意味での
「帰還」
は何百年もたたなければ出来ない状態にあると言える。
その意味では、
この老人の独白は
私達のような都会に暮らしている者にとって
理解しがたい文かもしれない。
しかし、
それが、たとえ都会であっても
なんだかの理由で一旦居住出来なくなれば
福島県内の人々と同じ思いを強いられるのである。
かくゆう私も、
ある理由があって現在、実家から2k程離れたアパートで生活している。
離れた当時は、
正にその事が自分自身の中で「悲劇」であると認識したため、
かなりのストレスを感じ、1ヶ月程入院してしまった。
その後も、
一時期、実家の傍をバスで通る度に震えが止まらなかった事を記憶している。
最近ではそのような事もなくなり、
落ち着いてはいるものの、
やはり、
今居住しているアパートを
「終の住処」
にしなければならないかもしれないと思うと
一抹の寂しさを感じる。
その意味では
「福島事故」
に遭われた方々と同じ境遇にあるとも言えるのではないかと思うのである。
その点で
広河さんのこの文脈に流れる
「パレスチナ」
への思いは、
福島の人々の思いであり,
もしかしたら
現在首都圏に住む人々への警鐘なのかもしれない。
そう言う思いの中で
あえて、
「読む」事ではなしに
「詠む」
と言う想いでこの本を読み進めたいと
思っている。