PRESSな時間

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PRESSな時間

2013-04-23 21:06:38 | 社会

4/23「
詠む」
今日、久しぶりに喫茶店で本を読む機会があった。
何の本を読んでいたかと言うと
「帰還の坑道」(DAYS刊)と言う本である。
作者は出版元の社長である広河隆一さんで、
小説の舞台はパレスチナなのだが、
日本人が主人公となっている。
言葉のテンポもよく、読み応えのある小説なので
他の人に薦めたいと思ってる。

更に
この小説の舞台のパレスチナの置かれている状態が
今日の福島の状況と酷似している点も見逃せない。

例えばこのような下りがある。

ハッサン老人は硬い木肌のようなつややかな顔をしていたが、その小さな眼は限りない苦悩をたたえていた。
「土地と言うものを離れたとき、人間はすでに思いもよらないようなかけがえのない物を失いはじめているのだよ。もちろん土地といっても境界で囲まれた平面しか思いつかない人間にとって,土地を失くすことは単なる財産の消失に過ぎないだろう。しかし、土地が育む物に驚きや畏敬を感じたことのある人間は決して土地を離れてはいけない。そこからいろんな悲劇が始まる。ほこりや尊厳といったものまで失いはじめる。自分がいったい何なのか、ということまで見えなくなっていくのだ。」
ハッサッン老人は続けた。
「そしてその土地に帰還する闘いをとおして,人間もその土地も意味を獲得し、目に見えるようになってくる。」(原文のまま)

福島では現在、県による帰還促進運動が盛んに行われている。
その一方で、
原発事故によって
土地の多くが「放射能」と言う魔物に覆い尽くされているので
本当の意味での
「帰還」
は何百年もたたなければ出来ない状態にあると言える。

その意味では、
この老人の独白は
私達のような都会に暮らしている者にとって
理解しがたい文かもしれない。

しかし、
それが、たとえ都会であっても
なんだかの理由で一旦居住出来なくなれば
福島県内の人々と同じ思いを強いられるのである。

かくゆう私も、
ある理由があって現在、実家から2k程離れたアパートで生活している。
離れた当時は、
正にその事が自分自身の中で「悲劇」であると認識したため、
かなりのストレスを感じ、1ヶ月程入院してしまった。
その後も、
一時期、実家の傍をバスで通る度に震えが止まらなかった事を記憶している。

最近ではそのような事もなくなり、
落ち着いてはいるものの、
やはり、
今居住しているアパートを
「終の住処」
にしなければならないかもしれないと思うと
一抹の寂しさを感じる。

その意味では
「福島事故」
に遭われた方々と同じ境遇にあるとも言えるのではないかと思うのである。
その点で
広河さんのこの文脈に流れる
「パレスチナ」
への思いは、
福島の人々の思いであり,
もしかしたら
現在首都圏に住む人々への警鐘なのかもしれない。
そう言う思いの中で
あえて、
「読む」事ではなしに
「詠む」
と言う想いでこの本を読み進めたいと
思っている。

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2013-04-23 21:06:38 | 社会

4/23「
詠む」
今日、久しぶりに喫茶店で本を読む機会があった。
何の本を読んでいたかと言うと
「帰還の坑道」(DAYS刊)と言う本である。
作者は出版元の社長である広河隆一さんで、
小説の舞台はパレスチナなのだが、
日本人が主人公となっている。
言葉のテンポもよく、読み応えのある小説なので
他の人に薦めたいと思ってる。

更に
この小説の舞台のパレスチナの置かれている状態が
今日の福島の状況と酷似している点も見逃せない。

例えばこのような下りがある。

ハッサン老人は硬い木肌のようなつややかな顔をしていたが、その小さな眼は限りない苦悩をたたえていた。
「土地と言うものを離れたとき、人間はすでに思いもよらないようなかけがえのない物を失いはじめているのだよ。もちろん土地といっても境界で囲まれた平面しか思いつかない人間にとって,土地を失くすことは単なる財産の消失に過ぎないだろう。しかし、土地が育む物に驚きや畏敬を感じたことのある人間は決して土地を離れてはいけない。そこからいろんな悲劇が始まる。ほこりや尊厳といったものまで失いはじめる。自分がいったい何なのか、ということまで見えなくなっていくのだ。」
ハッサッン老人は続けた。
「そしてその土地に帰還する闘いをとおして,人間もその土地も意味を獲得し、目に見えるようになってくる。」(原文のまま)

福島では現在、県による帰還促進運動が盛んに行われている。
その一方で、
原発事故によって
土地の多くが「放射能」と言う魔物に覆い尽くされているので
本当の意味での
「帰還」
は何百年もたたなければ出来ない状態にあると言える。

その意味では、
この老人の独白は
私達のような都会に暮らしている者にとって
理解しがたい文かもしれない。

しかし、
それが、たとえ都会であっても
なんだかの理由で一旦居住出来なくなれば
福島県内の人々と同じ思いを強いられるのである。

かくゆう私も、
ある理由があって現在、実家から2k程離れたアパートで生活している。
離れた当時は、
正にその事が自分自身の中で「悲劇」であると認識したため、
かなりのストレスを感じ、1ヶ月程入院してしまった。
その後も、
一時期、実家の傍をバスで通る度に震えが止まらなかった事を記憶している。

最近ではそのような事もなくなり、
落ち着いてはいるものの、
やはり、
今居住しているアパートを
「終の住処」
にしなければならないかもしれないと思うと
一抹の寂しさを感じる。

その意味では
「福島事故」
に遭われた方々と同じ境遇にあるとも言えるのではないかと思うのである。
その点で
広河さんのこの文脈に流れる
「パレスチナ」
への思いは、
福島の人々の思いであり,
もしかしたら
現在首都圏に住む人々への警鐘なのかもしれない。
そう言う思いの中で
あえて、
「読む」事ではなしに
「詠む」
と言う想いでこの本を読み進めたいと
思っている。

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2013-04-22 21:28:09 | 社会

4/22「オリーブの木構想」

今日、豊島公会堂では津田大介率いる団体の主催による、
「大同団結するの?しないの?」講演会
(本当はこんな題ではない)会があった。

本来なら、総選挙の前にこんな話をしなければいけなかったが、
野田前首相の陰謀に引っかかってしまったが為に
今の時期になってしまったと言うのが本音であろう。

相変わらず共産党は出席せず、
やはり
唯我独尊
を決め込むと言う事だけが確実に判ったと言うだけで
その他の党は一応仲良しこよしと言う事で終了した。

私は前回の選挙から
「00党に入れる」
と言う事をやめた。
それはある見方をすると
「責任放棄」
なのだが、
違った見方をすると
「00さんに入れる」
と言う方針に転換したという事だ。

しかし、
政治の世界では「00さん」と言うより、
「00党」でないと
活動はおろか、政党助成金がもらえないシステムになってるので、
政治家と言う職業は成り立たなくなるらしい。

また、
本来なら、
「政党助成金」
と言う税金ではなく、
個人の支援金制度をもっと普及させないといけないのだが、
現実的には
「支援金=企業の間接買収」
の構造になってしまっていると思っている。

この構造を企業から人へ変えないと
日本社会全体が政治から離れてしまう感じがしてならない。

しかし、
社民党や民主党は相変わらず
「組合頼み」なので、
確実に衰退してゆくと思う。

本当に「オリーブの木構想」が実現出来るかは判らない。

実現する前に日本は終わるかもしれない。

種すら怪しい。

一体どうすれば良いのか、、、
?である。

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2013-04-21 20:28:39 | 社会

4/21「現実感を持つ」
昔、ピアノを習っていた頃、
調律をして頂いたお店のオーナーのお父さんと言う方がイスラエル在住の写真家であった。
その関係で
日本聖書協会のHPにある
「フォトギャラリー」
をよく見ていた事がある。

青く澄んだ空に茶色い岩肌が見える。
「ここがモーセが十戒を授けられた場所」

と説明書きには書いてある、色とりどりのカラー写真を観ていると
確かにイスラエルは観光立国としても有望な国である様な印象を受けるし、
実際に日本の大手旅行会社の中でも幾つかのツアーが組まれてる。
現地に精通する日本人ガイドも何人か存在しているので
日本人が旅行に行ってもことのほか歓迎されるらしい。

しかし、
やはり本当の意味での
「イスラエル国」に行きたいと願っているのは
やはり「キリスト教徒」なのであろう。

彼らには、
日常生活を切り詰めてでも
「聖地に行きたい」と言う願望があるので
それを狙った
「あやかり商法」の一つが
この
「フォトギャラリー」
なのかもしれない。

しかし、
現実的な問題は
「イスラエル」
と言う国は単なる略奪国家であり、
本来の支配者は
「パレスチナ」なのであると言う事を
この写真を通して認識しなければならないという問題なのだと思う。

実際的に
日本聖書協会の出している
「聖書」は
旧約聖書にも新約聖書にも
「イスラエル」
と書かれている。

「イスラエル」と言う国の成立は
私の認識からすると
「第2次世界大戦」以降であって、
旧約時代にも、新約時代にも成立をしていなかった。

そうすると
聖書に書かれている
「イスラエル」とは
一体どこの国を指しているのかと言う問題に突き当たる。

この期に及んで今更蒸し返したくないのだが、
この問題提起を
いずれ聖書協会側と
「現実感」
と言う問題で議論してみたいと思う。

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2013-04-20 19:58:21 | 社会

4/20「現場感覚」

今日午前中から用事があり、
いわゆる「現場配信」物を途中から観る機会に恵まれた。

そのうち
「あの」堀潤さんと船橋淳監督のトークセッション
それに、
IWJ岩上安身氏の沖縄インタビューを連続してみる事になった。

船橋監督、堀潤さん、岩上氏、、
みな現場感覚を大切にする方々ばかりで
お金のない私にとっては「天井の上」の存在である。

今の私にとって、この
「現場感覚」は
「お金」「コネ」「表現空間」
と言う、
どれをとって
「そりたる壁」
に等しい障害のもとにあり、
常に頭を悩ませている問題だ。

しかし、
3人とも、この「3重の壁」を乗り越えて見事に情報を発信している。
本当にうらやましいと言うしかない。


堀氏もトークの中で発言していたが、
大手マスコミの現状は,
「会見場には来るが、記事にはしない。」
と言うのがいつものパターンで、
その存在感はパソコンを叩く音だけの感じがしてならない。
最近の例では
原子力市民委員会の席上で
時事通信の記者が
「高木仁三郎基金」の運営資金について聞いていたと言う
何ともお粗末な質問だった。
現場にいた私は
このようなお粗末な大手マスコミ界の質問に呆れて物が言えなかった。

しかし、
岩上氏や堀潤氏、船橋監督の発言には
「そこにいて,それを伝える」
と言う素朴だが、
重要な意味が含まれていると思う。

翻って
現状の日本社会は
「テレビ,ラジオ、新聞」の多くが
「そこにいて、それを伝える」
と言う事を忘れ、
又,
多くの人々もその現実すら知らないままであるとも思う。

今日もある生協の懇談会の席上では
TPPや改憲の話など一切出なかった。

私にとってそれは
自分自身への反省であると同時に、
この日本社会全体に、このような重大事実を
「そこにいても、それを伝えない」と言う
大手マスコミ界の
「現場感覚のなさ」
を象徴しているかと言う現実を突きつけられた思いも感じている。

これからもこの3人の様に
「現場感覚」
を大切にするメディアでありたいと思う。