PRESSな時間

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

PRESSな時間

2013-04-03 20:35:39 | 社会
4/3
「真夏の夜の夢」


東京の六本木では、
「原子力規制委員会5年猶予」
に反対する集会があった。
これは
「規制委員会を監視する市民の会」
が規制委員会
「田中俊一委員長」の原子炉の安全基準5年猶予案を
「私案」
として突如発表した問題について
抗議をするものだ。

田中委員長の
「私案」
は今ある原発の安全基準を5年間猶予し
、再稼働に向けて早急な指針を示す為の
いわば「言葉のトリック」
に基づく案だと言っても過言ではあるまい。
さらに更田(ふけた)委員も、
「日本をガラパゴスにしてはいけない」
と言う発言(とかで)
早急な指針のとりまとめを考えているらしい。

しかし、今回の原発事故の反省などは全くなされておらず、
むしろ、「何が何でも動かさないと」
と言う、
妙な焦りだけが透けてくる
彼らの思惑は本当に日本の現状を判っているのだろうかと
疑わしくなるなる様な行動だ

。一体あの,福島事故はなんだったのだろうか?

色々な検証書物をまた読みたくなくなって来た。

ところでこの
田中委員長が原子力委員会のホームページに書いた文章がある。
「核融合、、」
「六ヶ所はもっと味付けしなければ、、」
そして最期
に「コーヒーを片手にうたた寝をして、、、」
信じられない言葉が並んでいる。

福島では
「汚染された土砂は「谷に埋めれば良い」
とまで発言したと言う
。谷に埋めて放射能が無くなるとでも思っているのだろうか?

「六ヶ所をもっと味付けして、、」
どのようにすれば心地よい味になるのであろうか、、

そんな言葉が散りばめられた幻想に
私達が何の理由でお付き合いしなければならないのか、
教えてほしいものである。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2013-04-02 21:09:49 | 社会

4/2「フタバを遠く離れて」
今日、衆議院2では福島原発4号基並びに使用済み核燃料の問題に関する政府交渉が行われた。
この交渉は過去に3回行われており、
今日は福井県から中村哲演さんや原子力資料情報室の澤井さん、
そして一般市民の中に前双葉町長の井戸川克隆さんもいらした。

井戸川さんは、ずっと交渉の経緯を見守っていたが
、いたたまれなかったのであろう
、堰を切った様に
「私達の土地は「危険なのですか?危険ではないのですか?」
と悲痛な言葉規制庁等を問いつめた。
が、政府側は全く返答をしなかった。

私はその様子を見ていて、
心の中で
「明日は我が身だ」
と思った。

福島原発が停電をした時もそう思ったが、
もし
、今回の停電が長期にわたると言う事態になったとしたら、
私を含め、東日本の多くの人々が避難を余儀なくされるだろう。
そうなったら、
「フタバから遠くはなれて」
と言う言葉は、
「東日本から遠くはなれて」
と言う題名に変わる。

そして
、関西地区のどこかで今日と同じ様な集会がもたれ
、私達は井戸川さんの様に
「私達の東日本は危険なのですか?そうではないのですか?」
と東電に問いただすのだろう。
それは、もしかしたら、
その事態は明日かもしれないし、
今年中なのかもしれない。

もし、
その事が政府や東電が判っているとすれば、
私達が政府,東電と
「一蓮托生」
の運命にあると言う事を広く世間に知らせるべきだと思う。

PRESSな時間

2013-04-01 21:20:51 | 社会

4/1「黒塗り書面」
今日、スペースタンポポでは前祝衆議院議員の川内博史さんを迎えて
「フクイチ1号機」
の非常用復水器の破損をどのように考えるかの検証集会があった。
川内さんによると
4階部分の破損はかなりひどく、5階での水素爆発が起こるにはそれしか考えられないと言う。
 しかし、東電,政府側では
「、、かも知れない」
と言う見解に留まっている

 川内さんはこの事を重視し、
鹿児島から2度に渡ってフクイチに足を運んだ。
1度目は映像が「真っ暗」と言う悲運(?)
で2度までもヒバクしながらの検証だった。
(映像は「日々雑感」にUP)

 更に東電からの資料が「紙詰まり」で得られなかった事実を暴露し、
やっとの思いでバックアップ用からの資料を引き出した。と言う。

更には
「電気料金のカラクリ」
を水力発電の見地から話した。
最期に川内さんは
「原発事故は(原子力村が考えている)何とかなるだろう」と言うものではない」
と厳しく締めくくった。

「黒塗り書面」は政府側が
「個人情報のため」
と称していつも使う手段だ。

 しかし、情報公開は国民一人一人の
「知る権利」
の一つで、「政府の暴走を抑える」手段の一つでもある。
しかし、
その知る権利が
「個人情報」
と言う国民の側の権利を悪用して行使されるのはいかがなものなのだろうか?
と思う。
当然そこには
「知る権利」
とは違った意味合いがあるのではないか?と思う。

個人情報と知る権利が
違った性格のものである事をはっきりとさせないと
個人情報が体制側に
「悪用」
される可能性はこれからも続くと思う。