私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

悟りは、とても簡単なこと

2019年01月21日 | 意識と悟りの構造

はじめまして!領です。
思いつくまま、書きたいことを書いていこうと思っています。

不整脈がひどいので、明日の朝、目覚めることなく冷たくなっていても後悔しないように記事を書きます。
やはり、運動しないといけませんね。

さっそく、悟りについて書きます。

悟りとは「自己が存在し、観ている」という志向性そのも、それだけになる状態のことです。
簡単に表現すると、普段使用している、「今、自分が自分と感じている自分」だけになることです。
今、みんなが普通に使っている「私」の感覚のことです。自分に気付いている自分のことです。
「如実知自心」のことです。

悟りの境地について、一部を理解するだけなら20秒で可能です。
目をつぶります。眼球は上を向いているので、無理矢理まぶたを開けると白目になっています。それでも、前方を見ている感覚があります。乾燥してしまうので、まぶたは、閉じておきます。眼球を左右に動かすと視点が左右に動きます。動かし続けていると眼球の動きに伴わない不動の焦点があらわれます。それが「自己が存在し観ている」という意志です。眼球の「見る」ではない「観る」です。この不動の焦点のみの状態が悟りの境地です。第三の眼のことです。

自分としていた、感覚情報、精神作用、身体、そして、対峙する世界、これらの一切が重ね合わさり潜在し、無になる。そこでも残るのが「自己が存在し、観ている」です。

悟って、違う何かにはなりません。悟りとは、この世の一切が消えたとき「私」という情報のみの状態を知ることです。
悟りは、宗教的体験や神秘体験ではなく、普通のよくある物理現象です。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする