こんにちは、領です。
『クオリアと人工知能 茂木健一郎』
「私にとっては、このテーマで本当に久しぶりに書下ろす本である。筆をとることをためらっているうちに、この分野の本の最後の出版からいつの間にか十数年という驚くべき時間がたってしまった。」と書かれています。16年の沈黙と帯に書かれています!
「一人ひとりの人間が、「私」という意識を持って、この宇宙の歴史の中でたった一回だけ生まれて、それから死んでいくというのは、おそらく勘違いだ。
それどころか、「私」の意識が唯一のものだということも、きっと間違っている。
サユリの意識と、タケシの意識は、実は同じだ。
この世界には、たった一つの意識しかない。」
科学者の茂木先生が、この文章を書くなんて・・・。
『意識は科学で解き明かせるか』という本で、天外さんが語る唯心論に対して、「おそらくふつうの科学者が天外さんの話を聞いたら、「何言ってるんだ、このやろう」と思うと思うんですよ。(笑)」と言っていました。私は、これって茂木先生の本音では?と思っていました。(笑)に隠れて(怒)だと感じましたが、違ったようです。唯心論の話が出たとき、「たった一つの意識しか存在しない」という考えは話されいません。
『人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答』という、茂木さんと南直哉さんの対談の本があります以下引用
茂木 今から約十年前、研究所からの帰り道です。ちょうど電車の車両をつなぐ連結器の上に立っていてノートに何やら一生懸命書きつけていたら、突然ガタンゴトンという音が生々しい質感として聞こえてきたんです。それまでは、まさに周波数を測定して、スペクトラムを見れば、音なんてわかると思っていたのが、その生々しいガタンゴトンという音の質感自体はそういうアプローチをいくら積み重ねても到達できないということが、なぜかそのときサッとわかってしまって、とにかく自分でもびっくりしたんです。生涯最大の驚異というか。
南 ははあ。悟ったのかもしれませんな。
引用終わり
ここで南さんが使う「悟り」という言葉は、「座禅をしていると音を聞いた瞬間に、自分の存在の全領域がぱっとわかってしまうときがある。」「自己と他者というフレームはつくりものだということが一遍にわかっちゃう。」という意味です。
私としては、これこそ「悟り」だと思います。この世に本当に顔を出す体験です。音を聞いている自分を「観る」経験です。「自己を観る」を積み重ねると五蘊皆空に至ります。それは究極の悟りです。夢の中で夢と気付く明晰夢の30倍ぐらいの衝撃があります。100倍かも・・・。
『生きて死ぬ私』には、「私は、少し顔が青ざめた」とガタンゴトンという電車の音について書かれているところにありました。意識の構造を認識するとき人は青ざめるのかもしれません。
本の帯に書いてある「「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?」が重要な問いとして扱われていると思いました。
また続きを書きます。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます