私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

究極の境地

2024年11月24日 | 意識と悟りの構造

究極の境地とは、「無」「不動」というイメージを持つけれど、「全ての有」「全ての動」でもあります。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不完全性定理と悟り | トップ | 不確定性原理の超越と悟り »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2024-11-27 00:59:48
意識が有と無とを超越していずれにも依拠していない人々は、縁の意味は深遠であり、取捉されないと明らかに知る。
返信する
Unknown ()
2024-11-27 05:26:46
「有と無を超越した状態の人」と表現すると誤解が生じると思います。有と無を超越することは、人を含め対象となる現象は原初の光源に潜在する状態だと正確に書きたいです。
人として不動に至ることは不可能です。不動に近似することは可能だと思います。

人は「太陽・虹・観察者」が別々のものだと認識しています。原初の光源では、一体です。
全知と非全知も分けて捉えることはできません。
人間用に解釈することは不可能です。
返信する

コメントを投稿

意識と悟りの構造」カテゴリの最新記事