周平の『コトノハノハコ』

作詞家・周平の作詞作品や歌詞提供作品の告知、オリジナル曲、小説、制作日誌などを公開しております☆

3rd distribution 『それでも生きてゆこう』

2012年03月11日 | オリジナル楽曲
ちょうど1年前に起きてしまった東日本大震災。
その直後、誰もが自分には何ができるだろうと考えたと思う。
もちろん音楽家のほとんどは「音楽で被災地に元気を!」と考えたであろう。
俺はちょっと違った。
すぐにはそうは思えなかった。
もうちょっと待った方が良いんじゃないか?、節電が最優先ではないか?
そう考えた。
もちろん音楽の力を信じてなかったわけではない。
信じないで続けられるわけがない。
ただ、自分の親戚の安否すら分かっていないのに、自分の生まれ故郷があんな状況なのに、そういう気にはなれなかった。

Twitter上のjibunlabelでもすぐに企画が立ち上げられた。
最初は参加するか少し迷った。
でも結局自分にできる事はそれしかなかった。

もちろん節電を意識して、曲は頭に叩き込み、歌詞を書いた。
何十回と書き直した。
最終的に自分の納得いく形にまでは持っていけたが、これで終わりじゃダメだと思った。

そこで、「来年(つまり今年)の3月11日に作詞も作曲も演奏も自分でした曲をアップしよう」と決めた。
最初はやはり「被災地へのメッセージ」と考えていたのだが、月日の流れと共に趣旨が変わってきた。

震災で多くの方が親、夫、妻、子供を亡くしてしまい悲しんでいるというのに、
相変わらず自殺、自分の子供への虐待、自分の親を殺す、といったニュースが絶えない。

震災後も生き続けさせていただける我々は、亡くなってしまった方々に顔向けできるような生き方できてんのかい?と思う。

そういうわけで震災後の1年後の今日にアップはするのだが、「被災地へのメッセージ」ではなく、「これからも生きてゆく我々自身へのメッセージ」になりました。

賛否両論ある歌詞だと思います。
でも最初から正解も、もちろん不正解も求めていない。
そもそもそんなものはない。
ただ、それぞれが考えて悩んで、そして答えを、自分の意思を表示する事が大切なんだと思う。
なので、今回は譜割りよりも、本当に言いたい言葉、使いたい言葉を優先しました。
歌も上手く録れても魂が篭ってなければ録り直ししました。
OKテイクは歌はあまり上手くないけど、魂が乗っかったものにしました。

俺の答えはこう。誰が何て言おうと。誰に何て言われようとも。
皆さんの答えはどんな感じですか?

オリジナルの楽曲をアップしている音楽配信サイトmuzieの周平のページです↓
ここで今回の新曲『それでも生きてゆこう』も聴けます♪
歌詞は1つ前の記事の#120をご参照ください。
http://www.muzie.ne.jp/artist/r016691/

#120 『それでも生きてゆこう』

2012年03月11日 | 作詞作品集
生まれてこなければ
楽だったとか
思いたくないけど
「生きる」って大変で

神様は時々
意地悪もする
僕らの大切なもの
奪ったりもする

それでも明日へ向かって
生きようとする理由(わけ)は
涙の数より笑顔が
多くあると信じるから

生きて 生きて 生き抜こうよ
星になった人の分まで
この地に生き残された
その意味を噛み締めて
明日がやって来る事は
決して当たり前じゃないさ
感謝しよう 此処にこうして
立っていられる事を


守りたい愛や夢
信じる正義
踏み躙られる日も
時にはあるだろう

一人で生きてる世界じゃないから
もどかしく
一人で生きてる世界じゃないから
心強くて

僕らの目で見に行こうよ
明日の世界の姿を
意地悪なんかに負けない
強さを握り締め
忘れたくない思い出も
忘れたい記憶も背負い
生きてゆこう 生きなきゃいけない
どんな事があっても


挫けて下を向いてたら
天国から いつも
見守ってくれてる誰かに
顔向けできないだろう

生きて 生きて 生き抜こうよ
時に辛くもなるけれど
この地に生き残された
その意味を噛み締めて
生きて 生きて 生き抜こうよ
星になった人の分まで
僕らは
まだ生きなきゃいけない
まだ生きてゆきたい

藤村智史インストアライヴ@東京・三井アウトレットパーク多摩南大沢

2012年03月09日 | 日誌
先日2012年3月7日、東京の三井アウトレットパーク多摩南大沢にて、藤村智史さんの47都道府県インストアライヴツアーの記念すべき1本目が行われました。

しつこくてすみませんが、この日は周平が上京してからちょうど10年の日。
そんな日に自分が歌詞を書いた曲を初めてたくさんの方の耳に届けていただけました♪

この日は予報よりも肌寒くて、今にも雨が降り出しそうな曇り空でした。
それでもたくさんの友人、仲間、その他普段からお世話になってる方が遠くから足を運んでくださいました。
結局、周平の「知人や、そのまた知人」だけで15名もの方がお越しくださいました。

藤村さんに「周平さんの人脈はすごいですね~!」って言われちゃいました。
いや、俺は本当に何もしてないんです。
ただツイッターとかでリムられるぐらいしつこく宣伝しただけなんです(笑)

友達が、そのまたお友達に声をかけてくれて。
バイト先でお世話になってる方が、俺も会った事のない恋人さんを連れてきてくれたり。

なんとその15名のうち3分の1以上が初対面の方でした。

正直泣くかと思いました。
本当に生きてて良かった。あきらめないで続けてきて良かった。
10年分の制作やバイトや生活での苦労が全部報われた気がします。

正直、「結果」だけを求め続けたこの10年でした。
(もちろん歌詞の内容は他に求めるものや信じるものがあって書いてますが)

でもこれからの周平第2章はもっと幅を拡げていきたいなぁと思います。

なんて言ったら良いんだろう?
「音楽」を「仕事」や「夢」としてだけでなく、支えてくださっている皆様への「恩返し」にも使いたいなぁ、と。
伝わってますかね?これで(笑)

っていうか、もうライヴのレポじゃなくなってきてるぞ(笑)

話は戻って… 
ライヴでは、当日になって音出しも任されました。
すごく簡単な事なんだけど、責任重大なので大緊張!!
曲の途中で撮影もしました。(あまりうまく撮れてませんが、、、)

やはり1ステージ目よりも2ステージ目の方が藤村さん自身も、お客様も良い感じになってきて、最後の「夢花」で皆で手を左右に振る所では大感激でした!

皆様からも感想やご意見などいただければ幸いです。
今後の参考にさせていただきます!

ちなみに写真は「夢花」を歌う藤村さんです。

また1ヵ月後の4月8日(日)には我が故郷福島でのインストアライヴがあるので、足を引っ張らないように頑張ってきます!

改めまして、今回のライヴに足をお運びいただいた皆様、残念ながらライヴには来られませんでしたがCDを購入してくださった皆様、応援メッセージをくださった皆様に感謝いたします。

「ありがとう」もうこれしかないです!

これからも藤村さんのインストアライヴツアーは続いて行きますので、皆様よろしくお願いします!
特に周平が同行できない箇所でのライヴに行かれた方はレポートなど書いていただけたら大変嬉しいです☆

それではまた!

小説第2弾『上京テトラロジー』~10、エピローグ~

2012年03月07日 | 小説
東京の某所にとても人手に困っているコンビニエンスストアがあった。
それまで学生のアルバイトがたくさんにいたのだが、たまたまそのほとんどが大学4年生など卒業を控えた人たちで、みんな就職も決まり、この春に一気に何人も辞めてしまったのだ。

そんなコンビ二のアルバイトの募集に2人の若者が応募してきた。
この春から俳優の養成所に通うレンと、美容の専門学校に通うアオイだ。

でもレンとアオイがそのコンビ二で働ける時間は限られている。
それぞれ養成所や専門学校に通いながらなのだから当然だ。
まだまだ人手は足りない。

2人はよくシフトも重なり、歳が同じな事もあり、大きな夢を追いかける者同士すぐに仲良くなった。
そして、恋人と遠距離恋愛中のレンと、親たちと離れて暮らし始めて心細いアオイが互いに惹かれ合ってしまうのには、そんなに時間はかからなかった。

「やっぱり私たち、付き合い続けるのは難しいのかな?」
「うーん… 大丈夫だと思ってたけど、やっぱり難しいのかもなぁ…」
「友達に戻った方が良いのかな? 私たち。」
「うん…」

九州に住むマイと東京に住むレンが電話でそんな会話を交わしたのは梅雨入りの頃だった。


それから1ヶ月半が経ち、未だ人手不足のコンビニに、梅雨明けと共に1人の救世主がやって来た!!

上京してから4ヶ月経つというのに、まだアルバイトが決まらず、結局母親からの仕送りで生活していたカズだ。

カズは特に学校などに通っているわけではないので、24時間いつでも働けるのだ。
それでもこの4ヶ月の間で10回以上も他の所の面接で不採用になったというのだから不思議だ。

店長はカズを即採用した。

カズは翌日からさっそく働き始め、カズの母と同じくらいの歳だと思われる女性に仕事を一から教えてもらうことになった。

「よろしくね。"原"といいます。」

その女性から先に挨拶してくれた。

「よ、よろしくお願いします! 僕… "二瓶"と申します!」

"カズ"こと"二瓶一之"は慌てて挨拶を返した。

<完>

(※ カズだけは小説第1弾『草食系貧乏』へ続く)