徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

Records of L'Opera Rock Mozart (4)

2013年11月24日 | 舞台
【アーカイブ】

山本サリエリが「語り部」としての衣装を脱ぎ捨て、「対極者」として中川モーツァルトに対峙し始める第二幕後半。モーツァルトの後半生とウィーン宮廷の光と影を描き出すシナリオはより深みを増すとともに、怒涛の勢いで終末に向けて疾走していく。
脚本は割とあっさり目に「有名エピソードの場面」をつないでいく作りだが、そのくらいのシンプルさで良いかな?とも思う。だって「ロックオペラ」でも「ミュージカル」でも、映画やTVドラマと違って台詞や演技で説明できることなんか、本当に限られているのだから(後述)。

「皇帝陛下の命により、モーツァルトは『後宮からの逃走』のリハーサルを始めた。この新作オペラはウィーンの観客から大いに支持されることであろう…」モーツァルトを理解し支える優しい姉、ナンネール(演:菊池美香)の読み上げる新聞記事がいみじくも示すように、モーツァルトを取り巻く思惑もまた、本人の望むところとは別に大きくうねり、関わる人々を『運命』の名のもとに激しくぶつかり合わせる。

『ロックオペラ モーツァルト』第二幕、後半スタート。


*       *       *


≪モーツァルトとサリエリ、そしてローゼンベルグ伯爵≫
モーツァルトが「ドイツ語のオペラを作りたい」「自分が好きで作った音楽を人々に楽しんでほしい」という革命的な思想の持ち主なら、保守派の筆頭、重鎮として「音楽は貴族の特権」「音楽家は雇い主の意に沿う作品を作るのが仕事」「オペラはイタリア語でなければならず、ドイツ語のオペラなんてありえない」という当時の音楽界の常識を体現するのがサリエリとローゼンベルグ伯爵である。

『アマデウス』的世界観を多少なりと持ち合わせていれば、目まぐるしく入れ替わっていくシーンでも「この二人がどうモーツァルトの人生に影響を及ぼしたか」は理解できると思う。そもそもそれほど深い知識がなくても楽しめるエンターティンメント的作品なのだ。twitterのTLで見かける感想の中には「フランスのミュージカルは人物造形が浅い」とか「楽曲先行でキャラにストーリーを付与しない」とか、ニワカ批評家がずいぶん色々なことを言っていたが、私は正直に言えば「それでも十分に楽しかった」。

また赤版のモーツァルト、サリエリ、それにセシリアやローゼンベルグに代表される、役者が「書かれたシナリオ」以上にイキイキとしたキャラクター造形を観客に提示する、という奇跡もあるわけで、そういうハプニングも楽しむのが舞台ではないかと思う。

さて。ローゼンベルグ伯爵。舞台に出ている間は(皇帝の御前以外)終始ハイテンション・ハイトーンでしゃべりまくる強烈なキャラクターである。 ウィーン宮廷のシーンでは登場するのがサリエリと「対」となっているので、シリアスでニコリともしない堅物のサリエリと並べると、衣装の色(赤/黒)といい、声の芝居(9割が意図的にひっくり返った声/ほとんどが低く抑制のきいた声)といい、非常に見ていて楽しい、ステキなコンビw…というと山本サリエリに問答無用でシュクセイされそうだがw ※ナイミツニナ!!

『後宮からの逃走』初日開演前。宮廷でローゼンベルグがひとり愚痴るシーン…これが最高に面白い!

「私の言った通りだ!あいつの好きなようになど、やらせるべきではなかったのだ!…ウィーン中の人々が、まるで今年最大のイベントみたいに、あの若造がタクトを振り下ろすのを待っている…!」

ハイトーンで(これも耳障りになる半歩手前で抑えた絶妙の声のコントロール!)ヒステリックに叫ぶ。イメージとしては白塗りの貴族がキャンキャン吠えている、といった感じだろうか。通りがかったサリエリがそっと様子を窺いに後ろに忍び寄るwのにも気づかず、観客に向かってローゼンベルグ伯爵は文句を言い続け、八つ当たり気味の矛先はサリエリに向かう。

「だいたい!サリエリにはま~~ったく分かっていない!」

もちろん観客には上手から現れたサリエリが伯爵の愚痴りを真後ろで「ぜ~~んぶ聞いている」のが丸分かりだ。客席からこらえきれないクスクス笑いが起きる…そして赤版の山本サリエリは、例の「観客席をじっくり観察する」あの目つき、そして謹直な表情は崩さないが――おそらく観客の反応を見て――その瞳だけに実に楽しげな気配を漂わせて佇んでいる。そのギャップに客席のクスクス笑いが次第に大きくなるが、ローゼンベルグの勢いは止まらない。

「まあ、見ていなさいローゼンベルグ… 」

あれ?――今の声、何だ?
一瞬山本サリエリが台詞を発したのかと思ったが、当の本人は無言。涼しい顔で立ったままだ。

「皇帝陛下の宮廷が…」

ちょ!これって… サリエリのモノマネだ!(爆)
物真似巧者の山本耕史、というのは某番組で一躍有名になったネタ、もとい事実だが、まさかここで本人の物真似を返すツワモノがいたとは!観客はもちろん大喜びであるwww

「あの混沌とした音楽を、気に入るはずがないでしょう……だとぉ?!」

最後で力いっぱいひっくり返るハイトーンボイス。もう涙が出るほど笑わせていただいた。これもコンビ(いうなw)組むサリエリがクソの付くほど真面目なキャラクターだからこそ活きるコメディーだ。
さすがに山本サリエリが後ろで吹き出すことは無かったが、藍版では堪えきれなくなったアッキー・サリエリがとうとう笑ってしまい、続くセリフで涙目になっていたのもかわいくて、大好きなシーンだった。

そして「もぉど~にも止まらないッ!」状態の伯爵の文句たれはヒートアップw「もし…!気に入られたら…どぉーするんだッ!?誰にそれが分かるって言うんだッ!?」…いいから落ち着け伯爵w しかもだんだんオーバーヒートして「壊れてくる」のだw

「そーれーにーだッ!注意深く聞くと…悪くないフレーズの二つ三つはある、というところが…むしろ、よく出来ているところもある…」

↑後ろで黙って聞いているサリエリの顔を「直視する」のがだんだん怖くなってくる観客一同…ドキドキハラハラw

ちなみに…藍版のアッキー・サリエリは「ふむふむ」と冷静に聞いていて、むしろ超保守派のローゼンベルグ伯爵の口からモーツァルトの作品に対する、好意的とも取れるコメントが出ることに「素直に驚いている」素振りすら見せるのだが、赤版の山本サリエリは「ひたすら無言、表情筋はノー・リアクション」…ただ瞳のキラキラ感が絶妙のタイミングで変化するので、サリエリというよりも中の人が心底このシーンを楽しんでいる様子が伝わってきて、それがまたイイ。

これだけなら「何だ、伯爵はただのコメディー要員か」と思われるかもしれない。だが…次のシーンが圧巻!

「例えば序曲…!導入部は、こんな感じ♪」

ここでローゼンベルグ伯爵は突然w見事と言うべきほかないアカペラで朗々と歌いだす。最初の数小節はアカペラ、そしてその声にオーケストレーションが重なるあたりは、まさに職人芸…これまでのキャラクターイメージとの落差も巧妙に使った、キャスティングと演出の作り出した傑作シーンだと思う。(バウムクーヘンの歌も見事なんだけど、こっちのほうが衝撃的w)

「パッパッパ~パララッパッパッパッパッパ~♪
 パッパッパ~パララッパッパッパッパッパ~♪」

ジャンジャンジャーン!で弦が重なるが、声量は全く負けていないどころか、見事なハーモニーになって我々を驚かせる。

そしてノリノリの「ローゼンベルグ伯爵オン・ステージ」に酔いしれる本人wと観客の視界に「出現する」サリエリ閣下。表情は大真面目だが、目つきはやはり(モーツァルトに対してのものとは違う性質のものだが)楽しげだ。

「ぱららっぱっぱっぱ…!!(ハッ!とサリエリの視線に気づく)ぱう…ぅうぅうぅ~~~~」

壊れたサイレンのように妙ちきりんな尻すぼみをして、さらに誤魔化すつもりなのか?小声で「~ババンババンバンバン♪」と歌いだす伯爵…それドリフだよ!全員集合!(会場は爆笑の渦)

↑あのシーン、毎回笑わずに立っているのも…結構大変だったと思う。アッキーなんか指の動きに合わせて「あっち向いてホイ」と生真面目に首振ったりしてて、もうこっちは笑いが止まらない!山本サリエリは超然と(でも目がホントに楽しそうw)立っているのだが、このバージョン違いもまた楽しいw

余談だがこの物真似~アカペラ劇場は回を追うごとに進化し、公演終盤には伯爵の熱演に大きな拍手が送られるまでになったw
特にアッキー・サリエリの独特の歌うような台詞回しとウィスパリングを上手に誇張して「まァー、見ていなサイ、ローゼンベルグ…皇帝陛下のッ宮ッ廷ッ、がァー!」(セリフを噛むオマケが付く日もw)なんてやった日には、もう、もう…www(笑い過ぎて涙目)

それにしても、この二人も言わば「狐と狸の化かし合い」的な関係!サリエリは(赤版も藍版も基本的に)自分が「一番」だと思っている→神聖ローマ帝国の宮廷楽長である→こと音楽に関しては上位の貴族であっても自分は「上」にいる、と信じて疑っていないプライドの持ち主に見える。それだけ純粋と言えば純粋なキャラなのかもしれないが…。

そしてローゼンベルグ伯爵は皇帝側近として「抜け目なく」上位者の機嫌を伺いつつ、自らの政治的な権力維持にも余念がなく、サリエリに対しては常に「裏表のある」表情を見せている。呼び方も「サリエリ!」だったり「サリエリ殿(何とも言えない猫撫で声の時が特に可笑しいw)」だったり…この二人が顔を寄せ合って「モーツァルト排除」を企む図式は「とてもわかりやすい」←素直に楽しめるこういう部分って大事だよなーと笑いながら見てるワタクシw

「ローゼンベルグ伯爵!余程モーツァルトの音楽が気に入られたようですね…?」

決まり悪げに立ち去ろうとするローゼンベルグ伯爵を、山本サリエリは「腹に一物あります」モード全開wで呼び止める。びくぅ!と立ち止まる伯爵が思わず「うん…(ハッ!)ぇえ~~いやいやまさにその正反対ッ!」と答えて慌てるところも「いかにも」な芝居で好きだ。そして伯爵を何気にツメる山本サリエリが大好きだw

ローゼンベルグ「いやいや、ムカムカして気分が悪くなっていたところで…」(逃腰)
サリエリ「…そぉ~う、気分が悪くて?」(冷静)
ローゼンベルグ「そ、そうそう、まさにそう!」(大汗)
サリエリ「ムカムカしている?」(まだ冷静)
ローゼンベルグ「そぉーう!その通りですぞ、サリエリどの♪…そう!自分に言い聞かせていたのですッ!慎重ぉ~に見定めなくてはならないと…。この『後宮からの逃走』は、断じて成功させるわけには…あ、いや、決して成功するはずがーないッ!…いえ実は何人か知り合いがおりましてな…皇帝の面前で、くぉの駄作オペラに正当な評価を、相応しいヤジで下せる人間が」
サリエリ「結構。貴方にお任せしましょう、伯爵…」

ローゼンベルグはすっかりサリエリを味方にし、また誤魔化したつもりで鼻歌交じりで去っていく。しかし…この場面のサリエリもまた…私には不可解な存在なのだ。


*       *       *


≪ひとつ残った「謎解き」――サリエリ≫
サリエリがローゼンベルグを追い払い(赤版サリエリの内面を見せないしたたかさ、藍版サリエリの不本意そうなやるせない表情、どちらも好き♪)その後の展開を観客にストーリーテリングしていく。

「宮廷内の誰もが、あの男の失敗を予想していた。だが結果はまさにその逆…『後宮からの逃走』は大成功をおさめただけでなく、まさに…一大センセーションを巻き起こしたのだ」

淡々と告げると、山本サリエリは上手の舞台端まで歩いて行き、そこで沈黙する。身体こそ客席側に向けているが、首は斜め後ろへ…その視線は後方の舞台セット上(オペラ座)で繰り広げられている、モーツァルト達の「祝勝会」に釘付けだ。ライトオフのポジションに佇む彼の表情は暗く窺い知れない。だが後日1F前方上手寄りで観察した時、何とも形容しがたい…いわば「完璧な無表情」なのが強烈に印象的だった。

まったく感情がない。完璧な無表情…ただ静かである。自分の作品を手掛けるオペラ台本作家のロレンツォ・ダ・ポンテ(演:上山竜司)がパーティー会場にモーツァルトを訪ねて「一緒にオペラを作りませんか?」などと口説いていても、その顔に動きはない。山本サリエリよりも、藍版の中川サリエリの方が神経質に表情を作るのでは…?と期待して比較したが、ここはおそらく共通の演出指示なのだろう、二人とも「完璧な影」と化した芝居だった。

この場面のサリエリが何を考えていたのか…?

モーツァルトの才能に対する評価?
成功に対する嫉妬羨望?
自らの限界を知った懊悩?

――どれもしっくりこない。

あれだけ観ても、未だにこのシーン「赤/藍版、二人のサリエリ」の内面だけは自分の中で確固たる解釈が出来ていない。

意外に「何も感じていなかった」というオチなのかもしれないし「あれは実はモーツァルトの頭の中のサリエリで、モーツァルトにとってサリエリの存在は『個の認識』ですらなく、舞台端の暗がりに紛れるボンヤリした人影程度でしかなかった」という皮肉な結末(!)なのかもしれない。

アッキーが以前話していたが、第二幕に1ヵ所だけ『モーツァルトの頭の中のサリエリという設定での演出』があるのだという。他のシーンを考えてみても、どうしても当てはまらない。では、やはり「ここ」なのではないか?

フィルにぜひ聞いてみたい疑問のひとつである。
永遠の「謎解き」になってしまうかもしれないけれど…。