わが家の東、100メートル付近で遺跡の発掘調査が行われている。毎日20人位のスタッフが、調査に汗をかいている。呼称は「北田2遺跡」と命名され、ここら周辺は数多い遺跡がある。わが家の北西2キロメートルくらいに城輪の柵跡があり、これは国府跡ではないかとも言われ、城輪は大きな力で、広大な地域を支配していたのではないかと見られている。城輪を中心に条里制がしかれ、その線上に集落が点在する。1000年前の事だから、その後の集落の栄衰は、遺跡になったり、大きな現集落になったりしたものと思われる。
ところで、「北田2遺跡」は標高10メートルで地目は水田。農業水利事業前川第幹線用水路工事にさきがけて行なわれたもので、平安時代の柱穴や、須恵器片、土師器片が散在して、出土している。この辺は、昭和56年頃ほ場整備事業が行われており、その影響で、完全な形の出土品はない。たまたま私が行ったとき、かなり原型に近い土師器が発見された。古代のロマンは、心に感動を呼ぶ。私たちの祖先はどんな生活をしていたのか。自然の脅威とどう向き合って暮らしたのか。千恵の伝承や、信仰など、思いは尽きない。