とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

南相馬市長の叫び

2011年04月30日 | インポート

013  29日地震、津波、原発事故に見舞われた南相馬市に入った。想像を絶する被災地には、自衛隊や警察車両の往来が激しく緊迫度が異常である。白い防護服の警察官が何百人だろうか一列に並んでしらみつぶしの遺体捜索をしていた。遺体はヘドロ30センチ位の所に多くあると言う。視察県議団のバスの中は、無言で重苦しい雰囲気がながれた。何とも言えない惨状である。
 南相馬市役所は福島原発から20キロ圏内と30キロ圏内の中間地点にあり、南相馬市の一部は20キロ圏内に入っている。地震のあった翌日の12日に20キロ圏内の住民は着のみ着のままで避難をした。15日には30キロ圏内は自宅待機となり、21日に20キロ圏内は警戒地域に指定された。22日には20キロ圏内と30キロ圏内の間は
避難解除はされたものの、風評被害で誰も近づかず支援物資が入らない状態が続いた。26日に7万1千人の人口が1万人になり、現在でも5万人は避難していると言う。
 桜井南相馬市長のあいさつは胸に突き刺さるものがあった。桜井市長は誰も近づかない現状と支援物資の届かない様子をネット、ユーチューブを使って世界に発信した。世界からの反響があり、それで国もやっと重い腰をあげて対応が変わったと言う。桜井市長の発言には重みがあった。「地域主権などと言うが、国は現場を知らな過ぎる。ここは福島市の半分以下の放射能でしかないのに、同心円で30キロ圏内でくくられている。地元商店は住民の利便を考えて店を開けるが、大手スーパーは閉店のまま。水産物被害は世界的な規模になる。皆さんに南相馬に来て欲しい。そして、世界中の皆様の支援に感謝する」
 復興への道のりはまだまだ遠く感じた。がんばれ南相馬市

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする