昨夜は大飯原発前で行なわれていた抗議集会の様子を午後8時前から観ていた。
参加者と警察側との”不測の事態”を心配してだ。
しかし集会参加者の見事な行動で何度かの”接触”も事なきを得る状態が続いていた。
”接触”最前線では、参加者が警察官バリケードに背を向け、両手を挙げる無抵抗作戦で”つけ入る隙”を与えない。
それでも”壁”が崩れて”もみ合い”になった時には、すぐに「暴力反対」のかけ声を全員が掛けるという”有機性”のある行動をとる。
その間もドラムなど”鳴りもの”が止む事はない。
そして”問題”の午後9時になった時。
何も変わらない。
ただ、これまで通り「再稼働反対」と鳴りものにあわせて声を上げるだけだ。
NHKのラジオニュースでも、簡単に再稼働が始まったと伝えるだけだ。
ここで気になったのは、はたしていつこの抗議行動をやめるのだろう、という事だった。
これまでの同様の活動では、9時になった時に阿鼻叫喚の叫びとともにトーンダウンし、しばらくして中止されるのが常であった。
しかし参加者の動きには何の変化も見られず、これまで通りの時間を過ごしている。
この映像はユーストリームで観ていたのだが、画面の横にコメントが流れるのだけれど、これが大変興味深い。
賛成反対両方ともいわゆる普通の人々のコメントなのだが、とうぜん内容は普通だ。
つまり普通の人の思考でみんな動画を閲覧しているのだ。
再稼働された事で”区切り”がついたと”観客”は常識的に考えている。
しかし、その”ギャラリー”の視点とは裏腹に、現場ではずっと同じ事をし続けている。
一瞬、やめ方を知らないのか?と思ったが、たとえそうであっても終わる瞬間まで見続けるのが渡世の義理だと覚悟を決めた。
10時、11時、12時と過ぎる。
ひょっとしてずっと永遠に続くのかも・・・と思わせた。
こんな時間まで続いた事に誰もが驚いたようだ。
”常識”ハズレであった。
これまでの集会の常識を外れた行動である。
少なくともsatoboには理解出来なかった。
常識的なsatoboを超えているのだ。
それを理解した時に、スゴくうれしくなった。
そういう若い世代がちゃんといるんだ。
彼らは彼らの新しいやり方で活動をしているのだ。
それに苦言を呈する”先輩”もいるようだし、自分はPCの前に陣取って意味のない評論をするだけの自称ワケ知りヤング世代もいるが、それらの声を凌駕するほどの”長い時間”であった。
もうsatoboなんかがとやかくいうものではない事だけは理解出来た。
ただお任せして、年寄りだからずっとはついて歩けないけど、休み休みにお伺いすることが正しい道だと思った。
この抗議活動がどうこうというものではなく、少なくともこれまでの常識とされていた事さえ、たとえそれが”味方”が培ってきた常識であっても彼らは軽々と無視して自分たちのやりたいようにしたという事が、常識や決め事でがんじがらめになっている=成熟した日本に新しい”非常識”を生み出してくれるのではないかと期待するのだ。
そういうことを考えられただけでも、午前1時過ぎの終了まで観たかいはあったというものだ。
吹田市内本町3丁目6から
参加者と警察側との”不測の事態”を心配してだ。
しかし集会参加者の見事な行動で何度かの”接触”も事なきを得る状態が続いていた。
”接触”最前線では、参加者が警察官バリケードに背を向け、両手を挙げる無抵抗作戦で”つけ入る隙”を与えない。
それでも”壁”が崩れて”もみ合い”になった時には、すぐに「暴力反対」のかけ声を全員が掛けるという”有機性”のある行動をとる。
その間もドラムなど”鳴りもの”が止む事はない。
そして”問題”の午後9時になった時。
何も変わらない。
ただ、これまで通り「再稼働反対」と鳴りものにあわせて声を上げるだけだ。
NHKのラジオニュースでも、簡単に再稼働が始まったと伝えるだけだ。
ここで気になったのは、はたしていつこの抗議行動をやめるのだろう、という事だった。
これまでの同様の活動では、9時になった時に阿鼻叫喚の叫びとともにトーンダウンし、しばらくして中止されるのが常であった。
しかし参加者の動きには何の変化も見られず、これまで通りの時間を過ごしている。
この映像はユーストリームで観ていたのだが、画面の横にコメントが流れるのだけれど、これが大変興味深い。
賛成反対両方ともいわゆる普通の人々のコメントなのだが、とうぜん内容は普通だ。
つまり普通の人の思考でみんな動画を閲覧しているのだ。
再稼働された事で”区切り”がついたと”観客”は常識的に考えている。
しかし、その”ギャラリー”の視点とは裏腹に、現場ではずっと同じ事をし続けている。
一瞬、やめ方を知らないのか?と思ったが、たとえそうであっても終わる瞬間まで見続けるのが渡世の義理だと覚悟を決めた。
10時、11時、12時と過ぎる。
ひょっとしてずっと永遠に続くのかも・・・と思わせた。
こんな時間まで続いた事に誰もが驚いたようだ。
”常識”ハズレであった。
これまでの集会の常識を外れた行動である。
少なくともsatoboには理解出来なかった。
常識的なsatoboを超えているのだ。
それを理解した時に、スゴくうれしくなった。
そういう若い世代がちゃんといるんだ。
彼らは彼らの新しいやり方で活動をしているのだ。
それに苦言を呈する”先輩”もいるようだし、自分はPCの前に陣取って意味のない評論をするだけの自称ワケ知りヤング世代もいるが、それらの声を凌駕するほどの”長い時間”であった。
もうsatoboなんかがとやかくいうものではない事だけは理解出来た。
ただお任せして、年寄りだからずっとはついて歩けないけど、休み休みにお伺いすることが正しい道だと思った。
この抗議活動がどうこうというものではなく、少なくともこれまでの常識とされていた事さえ、たとえそれが”味方”が培ってきた常識であっても彼らは軽々と無視して自分たちのやりたいようにしたという事が、常識や決め事でがんじがらめになっている=成熟した日本に新しい”非常識”を生み出してくれるのではないかと期待するのだ。
そういうことを考えられただけでも、午前1時過ぎの終了まで観たかいはあったというものだ。
吹田市内本町3丁目6から