Nonsection Radical

撮影と本の空間

覚悟が見たい

2012年07月19日 | Weblog
居候先の仕事場に居候先の取引先が来て四方山話をして油を売っていた(こういう事が多いのが大阪圏)のだが、「原発に反対しているヤツのところだけ選んで計画停電にしたらイイのに。そうすれば原発が必要だってわかるだろう」と発言して、思わず笑ってしまった。
というのも、その前に一人考え事で、あまりにも関西圏での、節電をはじめ原発問題について身近に感じての話が大多数の人や報道でなされない事に対して、電気がなくて困るから再稼働に賛成するのだから、それなりに覚悟を決めているのだろうと思ったからだ。
もちろんsatoboは覚悟している。
福井辺りで事故があって放射能漏れがあっても逃げも隠れもしないつもりだ。
同様に件の発言をした人を先頭に覚悟をしているのだろう。
まさか大阪人らしくブツブツ文句を言う事もあるまい。
関西圏外から来た”よそもの”の感じる大阪を中心にした関西圏は、すごく”おおらか”な場所なのだ。
おおらかすぎて、例えば阪神淡路大震災で倒壊した高速道路橋脚に対しても他の波及性を調査するわけでもなく、JR西日本事故に関しても根本的対策が取られたわけでもなく、また再び起こらないとはとても思えない覚悟が必要なのである。
これらの事故に関しては、事故前からその危険性は知られていたわけで、それを「まあ、そんなことはないやろう」で済ませていた事に原発事故との類似性を感じるのである。
再稼働するに際しても「まあ、そんなことは二度とないやろう」という気持ちで、実質何も対策はとられていない。
対策とは、津波が来ても大丈夫かどうかという事ではない。
福島でのあの”醜態ぶり”に対する対策だ。
電気が足りなくなったら大変だという”心配”はするくせに、放射能漏れするような事故が起きた場合に、福島の時と違って迅速な情報提供と避難誘導、原発に対する有効な事故処理対策が出来るようになったのかという”心配”はしない。
そこがおおらかだと言うのだ。
その対策が出来ていない、出来ないだろうから再び事故が起きるだろうと覚悟をしているのだ。
対策を立てなければマズいぞという意識がない元では、キチンとした運用など期待出来ない。
それは橋脚工事、JRにも通じる部分だ。
また事故は得てして手薄な部分に限って起こるのだ。
まあそれで冬場の北風に乗って放射性物質が関西圏に飛んで来るとすると、電気が足りないのは大変だと心配した人達はどのような反応を示すのかな?と考えていたわけだ。
こんな事になるなんて、という言葉は、二度目だから言えないよな。
だから大人しく現実を受け止めるしかないよな。
”おおらか”な気持ちで受け止めようね。
そういう”おおらかな”覚悟を見たいものだ。




大阪市大正区南恩加島2丁目6から
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする