時間つぶしのために本屋さんに入った。
文庫や地図のコーナーをブラブラして、雑誌へ目をやると官能小説雑誌と共に写真カメラ雑誌が目についた。
新しいジョシ向けカメラ雑誌が出ていた。
躊躇せず(笑)手に取りパラパラとページをめくり、どんな傾向の写真をオススメしているのか確認。
なるほどね。
この手の写真をジョシは撮りたがっていると想定しているのかぁ、と理解。
一方で、特にジョシの中には写真をアートや表現とだけとらえるのではなく、パーフォーマンスの一部としてとらえている動きもある。
そういう”柔軟性”はダンシよりもあるようだ。
固定観念や目指す先人というのはダンシ、オトコ、オヤジ、ジジイの専売特許のようにはびこっていて、好き勝手という蛮行はシロートで無知なジョシにしか出来ない雰囲気がある。
でもそういう蛮行が面白いんだけどねぇ。
そういう点で、先人ジョシの蛮行を取り上げるというのもジョシカメラ雑誌の広がりになるかもしれない。
残念ながら現代アートの予備軍を含めてダンシは劣勢に立たされていて、ジョシのあふれるパワーにはかなわない。
アートなんていうのは数打ちゃ当たるなんだから、参加数が多い方が当たる数も増えるのだ。
だから1000人に1人、10000人に10人、才能を開花させた人が登場するのだ。
もっと目の前の現象にアンテナを敏感にするべきだし、感じて感じて考えるべきだし、新しい事にトライして欲しいね。
そうするために教科書的にジョシ写真雑誌が読まれるのかしれないけれど、実はそこに出ていない事がホントは新しい事だったりするんだ。
だからいろいろ試して欲しいね。
今は視点がシッカリしていれば、あとはカメラが便利になったからね。
あと、何か言う時には自分の作ったモノを名刺代わりに示すべきだね。
評論家じゃないんだから、口先だけでは伝わらないからね。
こういうものをつくっている人が、こういう事を言っている、というのが重要だね。
そこに説得力が生まれるね。
個展なんて頑張らなくても、ジョシだけの(ここが肝心!)グループ展なんてドンドンやって欲しいね。
応援する人はイヤでもわいてくるからね。
その中から新たな人とモノが生まれてくるからね。
箕面市 みのお本通り商店街
文庫や地図のコーナーをブラブラして、雑誌へ目をやると官能小説雑誌と共に写真カメラ雑誌が目についた。
新しいジョシ向けカメラ雑誌が出ていた。
躊躇せず(笑)手に取りパラパラとページをめくり、どんな傾向の写真をオススメしているのか確認。
なるほどね。
この手の写真をジョシは撮りたがっていると想定しているのかぁ、と理解。
一方で、特にジョシの中には写真をアートや表現とだけとらえるのではなく、パーフォーマンスの一部としてとらえている動きもある。
そういう”柔軟性”はダンシよりもあるようだ。
固定観念や目指す先人というのはダンシ、オトコ、オヤジ、ジジイの専売特許のようにはびこっていて、好き勝手という蛮行はシロートで無知なジョシにしか出来ない雰囲気がある。
でもそういう蛮行が面白いんだけどねぇ。
そういう点で、先人ジョシの蛮行を取り上げるというのもジョシカメラ雑誌の広がりになるかもしれない。
残念ながら現代アートの予備軍を含めてダンシは劣勢に立たされていて、ジョシのあふれるパワーにはかなわない。
アートなんていうのは数打ちゃ当たるなんだから、参加数が多い方が当たる数も増えるのだ。
だから1000人に1人、10000人に10人、才能を開花させた人が登場するのだ。
もっと目の前の現象にアンテナを敏感にするべきだし、感じて感じて考えるべきだし、新しい事にトライして欲しいね。
そうするために教科書的にジョシ写真雑誌が読まれるのかしれないけれど、実はそこに出ていない事がホントは新しい事だったりするんだ。
だからいろいろ試して欲しいね。
今は視点がシッカリしていれば、あとはカメラが便利になったからね。
あと、何か言う時には自分の作ったモノを名刺代わりに示すべきだね。
評論家じゃないんだから、口先だけでは伝わらないからね。
こういうものをつくっている人が、こういう事を言っている、というのが重要だね。
そこに説得力が生まれるね。
個展なんて頑張らなくても、ジョシだけの(ここが肝心!)グループ展なんてドンドンやって欲しいね。
応援する人はイヤでもわいてくるからね。
その中から新たな人とモノが生まれてくるからね。
箕面市 みのお本通り商店街