Nonsection Radical

撮影と本の空間

新聞を読む

2011年04月09日 | Weblog
久しぶりに紙の新聞を読んだ。

これまで新聞というものの効能を多少なりとも認めていたのだが、最近の新聞は読むに値せず、暇つぶしにもならないので読む事をやめていた。
ネットで事件、事故、いわゆる一般人が「ニュース」と呼ぶものは読めるようになった。
一般人はこれが読めれば新聞を読む事と同義だと思っていたようで、新聞を購読する事をやめてしまった人も多いのだが、新聞の本義は署名記事にあると思うsatoboは丹念に紙面を探してコラムやルポ、解説を読んでいたのだ。
残念な事に、ここ数年以来のコストカットの影響で、費用と時間のかかるこれらの記事は少なくなり、ネットを見るのと同じ状態になりつつあった。
もちろん異なる意見を掲載する「寛容性」も同時になくなりつつあり、社会に迎合する意見が増えるとともに、意見を統一したがる傾向が見えてきた。

そこに311が起きた。
もちろんタイムリーな情報はネットやテレビにはかなわない。
掘り下げた記事が新聞の持ち味だ。
と、新聞自身が言っていたのだが、どうだろう?
まったく他の媒体の後追いでしかなく、掘り下げた記事など見当たらない。
お涙頂戴記事などお呼びでないのだ。
今何が起きていて、これからどちらへ向かい、われわれはどうすれば良いのか。
その事に答えてくれるものは何も書かれていない。
ただ安全安心だからそのままで居ろ。
まもなく復旧するはずだからそのまま待て。
流言飛語に惑わされるな。
政府のいう事を信じろ。
自分の身は自分で守れ。
これほど政府、東電の不備を追求する事なく「公正中立」な報道をした事は、しばらくなかった事だ。

だから新聞を読む事をやめた。
読む意味がないからだ。
書いてある事は、すでに他の媒体で知っている。
それ以上の事だって、すでに他の媒体で知っている。
新聞の役割りはない。

で、久しぶりに新聞を読んだ。

やはり、新聞の役割りは終わった。
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