
東北の震災被災地で撮影したドキュメンタリー映画に「演出(やらせ)」があったとして話題になっている。
一般的にはドキュメンタリーとは演出しないものと”定義”されているものらしい。
satoboも以前はそう思っていた。
でも実際には様々な手法があり、「そこであった事がそのまま映し出されている」なんて事はない。
そういう点でドキュメンタリーさえ、常に製作者の意図が含まれた恣意的なものであると言える。
そんな事はプロとして映像に携わっているものには常識だろうし、「真を写す」などとバカな事を言う写真でも同様だし、日曜カメラマンのsatoboでさえ実感する事である。
ドキュメンタリー映画と言っても、作品にするには脚本も必要だし、編集もして、効果音をつけ、いかに製作者の意図を効果的に伝えるかを工夫するものだ。
それを観て、鑑賞者は感動するのですから。
ちょっと考えればわかる事だが、あかたも映像が現場をそのまま等身大に映し出しているかのごとく思い込み、そう願い、何も足さず何も引かずありのままの姿をドキュメンタリーは映し出しているのだと”信じる”のが「間違っている」と言える。
たとえば、現場を複数の人が撮影すれば、それぞれに映し出された”真実”が存在する。
そして時には効果的な演出を考え、引いたりアップにしたり、編集で前後を入れ替えたり、撮り直したり、撮り加えたりするのもドキュメンタリーの手法だ。
これはOKで、やらせはドキュメンタリーの手法ではないと断言出来るのか。
ドキュメンタリー映画であるならば作品であり、作品であるのなら必ず意図的に作られているので、やらせもアリとする人もいるのだ。
普段通りの事を「再現」してもらう事もきっとこれまでもあったと思う。
そういうすべての事を排除しても、”真実”の姿を求めるのは不可能だ。
それでも求めるのなら、定点カメラでずっと撮影し続けて、それを延々と未編集で見せ続けるとかしないとならない。
それはひどくつまらないものであろう。
それでもすべて”真実”を映し出しているかと言えば、それは否だ。
今回の問題点は、出演者にドキュメンタリー映画とはどのようなものかキチンと説明して、演技するのも手法のひとつであって、「嘘」ではない事を納得してもらっていないところであろう。
むしろ一般の人がドキュメンタリーに対して認識をかえる機会になると思う。
だからといって、映画を観て感じた気持ちは間違っていないと思うよ。
”効果的”にそのような気持ちを引き出す事が出来たのだ。
今津漁港からの琵琶湖
滋賀県高島市今津町今津
撮影 2013年12月28日 土曜日 14時20分