個人事業主としてジムを立ち上げて8年目になりましたが、事業や各方面での仕事が大きくなるに従い昨年くらいから目に見える形で色々な問題が派生するようになり、最近は法律や労務の専門家と契約を結んだりして勉強をさせてもらっています。
自分が今、取り組んでいるのがコンプライアンスの問題です。コンプライアンスという言葉は一般社会でもかなり浸透してきましたが、コンプライアンスをしっかりと貫くというのはなかなか難しい物です。
コンプライアンスとは法令順守の事ですが、「一般常識を守りましょう」などと言っても「自分の常識は他人の非常識」という以前にそもそもが自分の欲や見栄の方が大事という人に対してコンプライアンス云々という話をするのが結構難しいです。
私は嘘を平気でつく人間というのを最も嫌うのですが、一番嫌いな嘘のつき方というのは他人につく嘘よりも自分に対して嘘をついても平気という人間です。
「お天道様が見ているから」という言葉は昔はよく耳にしましたが、人に評価されない事や利益にならない事には手を抜いたり、陰口ばかりをたたいたり、挙句の果てには悪事を働くなど人間としての裏表が無いようにお天道様が見ているという考えは大事です。
自分の中では仁義を守るという考えがコンプライアンスにも近くて以前ブログに「仁義」についても書いたのですが、あまりに「仁義」について理解されないなと思う事があって記事も消してしまいました。もちろん今でも自分の中で仁義を通す事はとても大切な事ですが、「仁義」とか「道徳」というのはその人間の生き方や経験で決まる物なのだなと今では考えています。
話をコンプライアンスに戻すと何がダメで何が許されるのかという事ははっきりと明示しなければ現代社会においてはダメなのだと痛感します。
それでも人間としてはいつも「お天道様が見ているから」と自分を律する事は誰もがやっていかないといけないと思います。
自分が今、取り組んでいるのがコンプライアンスの問題です。コンプライアンスという言葉は一般社会でもかなり浸透してきましたが、コンプライアンスをしっかりと貫くというのはなかなか難しい物です。
コンプライアンスとは法令順守の事ですが、「一般常識を守りましょう」などと言っても「自分の常識は他人の非常識」という以前にそもそもが自分の欲や見栄の方が大事という人に対してコンプライアンス云々という話をするのが結構難しいです。
私は嘘を平気でつく人間というのを最も嫌うのですが、一番嫌いな嘘のつき方というのは他人につく嘘よりも自分に対して嘘をついても平気という人間です。
「お天道様が見ているから」という言葉は昔はよく耳にしましたが、人に評価されない事や利益にならない事には手を抜いたり、陰口ばかりをたたいたり、挙句の果てには悪事を働くなど人間としての裏表が無いようにお天道様が見ているという考えは大事です。
自分の中では仁義を守るという考えがコンプライアンスにも近くて以前ブログに「仁義」についても書いたのですが、あまりに「仁義」について理解されないなと思う事があって記事も消してしまいました。もちろん今でも自分の中で仁義を通す事はとても大切な事ですが、「仁義」とか「道徳」というのはその人間の生き方や経験で決まる物なのだなと今では考えています。
話をコンプライアンスに戻すと何がダメで何が許されるのかという事ははっきりと明示しなければ現代社会においてはダメなのだと痛感します。
それでも人間としてはいつも「お天道様が見ているから」と自分を律する事は誰もがやっていかないといけないと思います。