Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【MANABI】(1)流派への所属と渡り歩きの禁止

新シリーズ?!

MANABI(1)

日本の学びについて、考え直してみたいと思う。

先日、こんな話を聴いた。

「お琴の世界には、流派があり、その流派を変えることはできないんです。もし転勤か何かで遠方に引っ越しして、そこでお琴を習おうと思っても、流派が異なれば、そこで学ぶことはできません。流派を超えて、お琴を学ぶことはできないんです」

この話がとても印象的だったので、ネットで調べてみると、次のような文章があった。


 

お箏の流派には大きく分けて、生田流と山田流の2つの流派があります。ちなみに私が属しているのは生田流になりますが、この2つの流派は一体何が違うのでしょうか?

室町時代の末期、北九州久留米の善導寺に賢順けんじゅんというお坊さんがおりました。彼は寺院に伝承される雅楽や歌謡、中国の琴楽などを参考に筑紫箏ちくしごとを作り出しました。ただしこの筑紫箏、高尚で雅びだが娯楽性は少なく、礼や精神性を重んじたものであったそうです。賢順には法水という名の弟子がおり、彼に師事したのが三味線や胡弓の名手であった八橋検校やつはしけんぎょうでした。彼は筑紫箏をもとにしつつも、より世俗的、当世風でかつ芸術性の高い組歌十三曲と段物三曲を作曲し、当時大流行したのでした。そして、この八橋検校の流れを汲んだ生田検校いくたけんぎょうが、生田流箏曲の流祖になります。

上方では早くから箏曲が流行っていたのに比べ、江戸ではまだ演奏する人が多くありませんでした。そこで、生田検校の孫弟子にあたる三橋検校みつはしけんぎょうが、江戸で生田流箏曲を広めようとしておりました。そして、三橋検校の兄弟弟子にあたるらしい安村検校やすむらけんぎょう門下の長谷富検校はせとみけんぎょうも、江戸で箏曲を広めようとしておりましたが、成果が上がらず山田松黒しょうこくに後を譲ることにしました。この山田松黒から箏を教わったのが山田検校であり、彼は江戸っ子好みの浄瑠璃を取り入れた新作を作り、山田流箏曲を創始しました。

引用元 https://yasuko-fukuda.com/learning/ikuta-style-and-yamada-style/


日本の伝統的な楽器である「お琴」の世界には、大きく分けて、「生田流」と「山田流」というのがあり、そこからまた細かい流派が枝分かれしているのだそうだ。

おそらく、上の流派を変えることができない、という発言の根っこには、この二つの流派の「区分」がありそうだ。

この話を聴いた時に、色々と思い浮かぶものがあった。日本の伝統芸の多くが、こうした「流派」をもっており、そこに「所属」し、その世界で「承認」されることが、日本の学びにとって、とても重要なのではないか、と。

例えば、相撲にも、「部屋」がある。日本相撲協会によると、現在では、47部屋あるそうだ。(参照先はこちら)。

この「部屋」の移動は、可能なのか、それとも不可能なのか。これについて、調べてみると、こんな記事があった。


プロ野球やサッカーのJリーグをはじめ、一般的にプロスポーツにおいては移籍は頻繁に行われている。だが、大相撲では部屋の吸収・合併や親方の独立のような特殊な事情以外による個人の都合では移籍が不可能。

ちなみに34回という歴代最多優勝の記録をもつ白鵬は、6人のモンゴル人と一緒に来日した当時、今よりもかなり細身だったため、受け入れてくれる部屋がなかった。困り果てていたときに、今の『宮城野部屋』が受け入れてくれることに決まって歓喜したそう。

引用元 http://www.jprime.jp/articles/-/5292


相撲においても、「個人の都合では移籍が不可能」となっている。お琴同様に、「派の移動」は禁止されているようだ。(これについては、もっと調べる必要がある…)

しかも、プロ野球やサッカーのJリーグと具体例が出ているが、いわゆる海外のスポーツでは、「移籍は頻繁に行われている」とまで書いてくれていて、ここに、日本の学びと欧米の学びの違いが浮き彫りにされているのだ。確かに、野球やサッカーの場合、プロのみならず、アマチュアであっても、流派や部屋のようなものはなく、移動もしやすいし、また引っ越しなどによって住まいの場所が変わっても、そこで新しいチームに入るのは、困難ではない。

お琴、相撲だけではない。

400年以上の伝統をもつ「日本舞踊」の世界には、なんと200を超える流派がある、というのだ。その中で代表的な流派が、花柳流、藤間流、若柳流、西川流、坂東流(五大流派)である。この流派については、知っている人も少なくないだろう。

*****

日本の学び(Manabi)を再考する際には、こうした「流派」を無視して考えることはできない。しかも、この流派を超えて、「学び続けること」は、不可能なほどであり、日本でいう「学び」においては、「どこで学ぶか」が極めて重要になってくる。

とすると、大学で、「何を学ぶか」よりも「どこで学ぶか」が常に重視される理由も分かる。日本で売られているドイツ語のテキストの中に、「ドイツでは、まず大学で何を学んでいるかを聴く。だが、日本では、どこの大学で学んでいるのかを聴く」という例文がある。ドイツに限らず、欧州では、何を学ぶかを重視するのに対し、日本では、どこで学ぶかを重視する。

これも、一つの「流派意識」によるものではないだろうか。

しかも、日本の大学は、原則として「移動」「移籍」はできない。海外の大学では、移籍や移動が当たり前であり、数年(数セメスター)学んだら、別の大学に移動する。アメリカでも、大学の移動はわりと多いと聞く。

大学だけではない。

日本の「会社」もまた、長年、「終身雇用」ということで、基本的に「移動」を前提としない雇用システムを貫いてきた。今は、ずいぶんと壊れてきていて、会社の移動(つまり、転職)も可能になってきてはいる。けれど、欧米ほどに広まっているとは思いにくいし、またそれほど簡単でもないし、それが「日常」になっているとも言いにくい。「ヘッドハンティング」というのもなくはないが、まだまだ日常的なものではないだろう。

欧米の人たちは、わりとあっさりと「会社」を辞める。そして、その辞めた会社での仕事が、「キャリア」となって、次の就職に生きている。日本でも、「キャリア」という言葉は使われるが、その意味合いは、かなり欧米とは異なっているように思う。日本では、キャリアというと、同じ場所での勤務経験やそのスキルみたいなニュアンスが強い。一つの流派の「中」で、どれだけ経験や学びを重ねたかが、キャリアの意味合いではないだろうか。海外では、どちらかというと「転職履歴(遍歴)」のことを示している。

特定の集団への帰属と、その集団間での移動の禁止

これが、日本の学び(Manabi)の根っこにあるのではないだろうか。

これに対し、「日本のこうした側面はよくない」と単純に考えるべきではない。この「帰属意識」と「移動の禁止」によって、高度な技の伝承が可能となっている側面はあるだろうし、それゆえに人はその「中」で、安心して学べる、という側面もある。自由には欠けるかもしれないが、庇護性(Geborgenheit)は保障される。それに、「個人」がそれほど明確でなく、宗教的な帰属性があいまいな日本においては、「特定の集団への帰属」は、何よりも重要なファクターとなっていて、そこで、自らのアイデンティティを見い出す、ということも多々起こっているはずである。

蛇足だが、ラーメン界においても、「家系」やら「二郎系」やら「大勝軒系」やら「がんこ系」やら、系統に分かれて、それぞれの集団の中に入り、そこで学び、その味を引き継いでいく、というのがあるし、また、音楽の世界でも、どの「系」に属するかがわりと重要だったりもする。僕の愛する「ヴィジュアル系」は、まさに上の「特定の集団への帰属」と「集団間での移動の禁止」がとても強烈に作用しているジャンルだと思う。いわゆる「バンギャ」「ギャオ」と呼ばれているファンも、その辺についてはとても敏感なようにも思う。

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