Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【keiの思い出の地】千葉県総合教育センター


千葉県総合教育センターは、海浜幕張駅から陸側にずっと真っ直ぐ行ったところにある。この場所は、僕にとって生涯忘れることのできない場所なのだ。

海浜幕張界隈は、今ではすっかり都市っぽい感じになったが、かつてはな~んにもない空白の場所だった。何にもない中、このセンターの建物だけがどーんと聳え立っていた。

今から20年くらい前か・・・ 僕は中学2年の時に、色んな事情から、不登校になり、「お先真っ暗」になってしまった。

一度学校という社会から離れると、自分がどうしていいのか分からなくなる。当時の僕は、「あ~、どうしよう。どうなっちゃうんだろう? これからどうやって生きていくんだろう」という不安を抱き、毎日悶々とする日々を送っていた。ホント、今でも鮮やかに覚えている。どうしようもなく、どうすることもできず・・・

そんな中、当時の中学校の教頭先生か誰かに、(母親が)紹介してもらったのが、ここ「千葉県総合教育センター」のカウンセリング室(?!)とかいう場所だった。当時はまだカウンセラーやスクールカウンセラーなんかない時代(当然、不登校に対する関心も希薄)。不登校もちらりほらりといたが、今ほどにはポピュラーじゃなかった時代。行くあてのない生徒たちが集まる場所がここだった。当然、フリースクールなんかもほとんどなかった。

週に一回、ここに通い、ここのカウンセリング室の先生(?)に会って、話をしたり、遊んだりしていた。遊ぶっていっても、ファミコンをするだけだったんだけど。

ここのT先生(今でも名前、顔、雰囲気をはっきり覚えている!)は、何にもいわない、何にもしない先生だった。ただ一緒にいて、一緒にゲームをするだけだった。僕の記憶する限り、肝心な話や心の底の苦悩の話はしなかったと思う。けれど、自分の居場所の一つにさせてもらったことは今も覚えている。「家の外で唯一安心していられる場所」っていうか。(当時よく行っていた原宿や新宿は安心じゃなくて、刺激かな) 

学校に行かず、平日の昼間はずっと引きこもりだった僕。唯一、(お堅い)社会の接点となったのが、この場所だった(週末は原宿によく行っていたけど♪)。ここに来ることが嬉しいんじゃなくて、ここに来た後、CD屋に行ってCDを買うのが嬉しかった。当時JUSTY-NASTYが出た頃で、彼らのアルバムをこの教育センター帰りに買ったのを覚えている。デランジェのバシリスクもこのセンターの後に買ったような・・・

あと、一応ちゃんと列記とした不登校児だったんだけど、僕には、友だちが結構多くいた(当時としてはとても珍しいタイプだったようだ)。なので、不登校生ながらに、友だちを数人引き連れてこの教育センターに来たこともあり、その時、T先生は目を真ん丸くしていた。「こうやって友だちを連れてくる登校拒否児童は珍しいですよ」、と母に言った一言は我が家の名言となっている。

それでも、当時の状況は厳しかった。だんだん昼夜逆転して、朝の5時くらいに寝て、昼過ぎに起きて、そのまま途方も無い時間をTVを見て、ビデオを見て、本を読んで、ギターを弾いて・・・の繰り返し。それはそれで楽しいんだけど、いつもどこかで「どうなっちゃうんだろう?」という問いが付きまとった。「僕はどこへ向かおうとしているのか」という実存的な問いがグルグルと堂々巡り・・・ 当然学力も落ち、行き先不透明に・・・(不登校前はそれなりにいい成績をとっていた、が、一度不登校になると、再度学校に行っても、全く授業についていけず、何を話しているのかさえ、全く分からなくなっていた。特に数学や理科など・・・)

あの当時、今から20年前、僕はここでT先生と何を語ったんだろう? 二人きりの部屋で僕は何を話したんだろう? 記憶の中ではほとんど何かを話した覚えはない。けれど、きっと何かを語ったんだろうな。T先生のことを信頼できていたし、安心できる他の大人だった。学校からはじかれ、異邦人となった僕にとって、T先生の存在は、無色透明でありながら、大地のような存在でもあった。(カウンセリングと無意識って感覚的によく分かるんだよなぁ~)

そして、あれから20年。僕は大人になり、しかも教育の世界の人間になった。このセンターに仕事で来ることはあるんだろうか。っていうか、いつか仕事でここに戻って来たいなと思う。教育学者として頑張って、ここに戻ってきて、何らかの貢献ができたらいいなぁと心底思う。不登校の子どもを助ける仕事には就けなかったけど、いつかどこかで、まわりまわって、不登校の子どもの助けとなるような研究・仕事がしたいと思っている。その時が来るのを楽しみにして待ちたい。

PS
不登校の経験は、僕に大きな影響を与えた。きっと不登校にならなかったら、もっとマトモな道(そこそこの道)に進んでいたと思う。けれど、この挫折があって、僕は「変身」したと思っている。絶対的な「他」を経験した。排除された経験というか、絶望体験というか。そういうでっかい負の体験を通じて、僕は強くなった。ある意味で無敵。僕は僕であって、他の誰かではない!という強いアイデンティティを得た。大学時代にはまった「実存主義」や「現象学」もこうした原体験から来ているのだろう。「他者の現象学」なんていうのは、まさに不登校時代の自分に重ね合わせて読むしかできなかった。

久々に幕張の道を歩み、教育センターの前を通り過ぎて、色々と思い出した。あの頃の気持ちをこうやって振り返ってみるのも悪くないなぁ~ 触れてほしくはないけど、ずっと心の奥底で生きつづける思い出って感じかな。20年前に暗~い気持ちで不安な気持ちを引きずってここに来ていた自分。でも、今は心底穏やかに生きている自分。20年前の自分に会えたなら、「お前は将来、すっごくいい人生を生きるんだよ。今は辛いだろうけど、なんとか絶望せずに、頑張れ! 大丈夫だ!」って言ってやりたい。

僕は今ちゃんとこうして、こうやって生きている。

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