僕は怒っている!
久々に心底頭にきた!
ATKT!
脳内には、この曲が鳴り響いている。
怒りのメガトンパンチだ!
…
で、
何に怒っているか、というと、、、
今、話題の前川喜平さんについての読売新聞の記事について、だ。
ネットを見渡しても、あまり読売新聞のことで怒っている人がいないので、あえて僕が…(汗)
その問題の記事は・・
文部科学省による再就職あっせん問題で引責辞任した同省の前川喜平・前次官(62)が在職中、売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに、頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった。
教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ。
関係者によると、同店では男性客が数千円の料金を払って入店。気に入った女性がいれば、店員を通じて声をかけ、同席する。
女性らは、「割り切り」と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い。報酬が折り合えば店を出て、ホテルやレンタルルームに向かうこともある。店は直接、こうした交渉には関与しないとされる。
これだけを読むと、「ふーん、そうなんだー、こわっ」で終わってしまうだろう。
でも、ちょっと待って!!
この記事が出たのは、5月22日の月曜日。
で、、、
前川喜平さんが表舞台に出てきて、加計学園に関する文書(官房長官が「怪文書」と呼んだもの)を「本物だ!」と言ったのが、その三日後の25日。
まるで、読売新聞が、前川さんの行動を見抜いていたかのようなタイミング。
これを「たまたまの偶然でしょ?」と思う人はいるだろうか??
もし、本当の本当に、たまたまの偶然であるなら、僕の怒りは少しおさまる(が、これを偶然と考えるほど、お花畑な人間ではない)。
では、偶然ではないとしたら、いったい誰が読売新聞にこの出会い系バーの話を伝えたのか?
上の記事で言えば、「関係者への取材」とは何なのか?
読売新聞社が自ら取材をしにいったのか? じゃ、何のために? なんでこの時期に?
そして、その「関係者」とはいったい誰なんだ?
記事では、「教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ」とあるが、この記事そのものへの批判こそ、一番上がらなければならないのではないか??
前川さんも、一人の人間である。一人の国民である。彼にも権利はある。
前川さんにも、ご家族がいて、親族がいて、友人がいる。
(優秀なエリートだったとしても)一人の日本人である。
そんな前川さんに対して、最もデリケートでなければならない「性的な問題」を、何の根拠もないまま、読売新聞(日本で最も発行部数の多い新聞)が掲載したことに、問題はないのか?
その際、彼が「調査」で出会い系バーに行ったのか、それとも嗜好でそこに行ったのかは、問題ではない。
そういう最もデリケートな問題を、何の根拠もないまま、一新聞社が報じていいのだろうか?(法的にどうこうという話と、また法以前の問題とがある)
もし仮に嗜好でそういうバーに行っていたとしても、それを、根拠なく、個人が特定する仕方で、報じることに問題はないのか?
男性は想像してほしい。
自分が風俗やそういうバーに通っていたとして、突然、そのことが(何の根拠もなく)読売新聞に報じられたその瞬間を。
もし根拠があって、写真撮影されていたら、どうする?
完全に自尊心は破壊され、パニックになり、人生の終わりを感じるのではないだろうか。
最近、電車の中で痴漢をした/しないで、パニックになり、線路に飛び降りる人が連続している。
彼らもきっと心底恐ろしく思ったことだろう。「ヤバい、人生が終わる」、と。
そして、実際に、線路に飛び降りて、電車にひかれて亡くなった人もいる。
…
今回の読売新聞の記事は、それくらいに恐ろしいことをしたのではないか?
調査であれ、嗜好であれ、「出会い系バーに通っていた」なんて書かれたら、どう思うだろうか。
もし僕がそんなことをされたら(される価値もないけど…汗)、「人生、終わった」って思うだろう。
すぐに職場にも知れ渡るだろうし、家族や友人にも知られる。
「あいつ、出会い系バーに通っていたんだって…(ヒソヒソ…)」
そんな状況にとても耐えられそうにない…。
自殺だって考えるかもしれない。
もし前川さんが自殺をしたら、読売新聞社は責任を取るのだろうか。
しかも、それが「デマ」だったら、誰がその責任を負うのだろうか。
「関係者への取材」だとして、その関係者の責任は問えるのだろうか。
僕は、赤ちゃんポストの研究から、性的タブーに接触すると人は赤ちゃんでも殺す、ということを学んだ。
性の問題は、まだまだタブーである。(前に、同性愛の大学生が、同性愛者だと周りに知られたゆえに自殺したというニュースがあった)
こういうデリケートな問題を、何の根拠のないまま、日本一の発行部数を誇る新聞社が記事にする、ということに、僕は最大限の怒りを感じるのであった。
前川さんはきっとお強い方だろうから、自殺することはないかもしれない。
でも、読売新聞社がやったことは、人を死に至らしめるほどの「凌辱」であり「侮辱」であり、「プライベートの侵害」ではないのか。
なにも難しいことは言っていない。
高校生でも知っている話だ。
プライバシー権とは、「私生活上の事柄をみだりに公開されない法的保障・権利」のことだ。
読売新聞社が今回報じたのは、(たとえ前川さんが元公人であったとしても)私生活上の事柄に関わることだ。(調査であったとしたら、全く問題はないはずだ)
ほとんど誰も、読売新聞社に対して怒っていないことに、僕は怒りを感じる。
…
しかし、本当に恐ろしいのは、そんな話ではない。
僕が怒りに震えたのは、その先の話だ。
これまで、「読売新聞社」が記事の出先だという前提で、書いてきた。
では、今回の記事は、読売新聞社が単独で取材を行い、独自の判断で書いたものなのか?
読売新聞社が独自に、取材したことであり、読売新聞社の「意志」で書いたものであるなら、怒りもMAXにはならない。
アイロニーの気持ちもこめて、「非常に読売新聞社らしい」。
しかし、、、
誰か別の人間が、
いや、
前川さんが話すと実質的に一番困る人が、
つまりは、
総理が、
あるいは、総理の周囲の人が(アイヒマン的な人が)
ないしは、それを忖度した別の組織・団体が、
この「前川氏の出会い系バー通い」の話を読売新聞社に流して、
かつ、
「これを記事にしろ」と圧力をかけていたとしたら…
これ以上に恐ろしいことはないのではないか?
つまり、
「国家権力の中枢」が自分の権力を保持するために、「反旗を翻した元一エリート」を、(処刑ではなく)最も非難を浴びない仕方で、消そうと考えていたとしたら…
これ以上に恐ろしいことはない。
アドルノ風に敷衍すれば、最も野蛮な理性による暴力、ということになろうか。
森友学園も実は同じ構造だったりするのかもしれない。
結局、森友学園問題においても、消されたのは、森友学園の理事長籠池泰典氏だけだった。
他の人たちは「無傷」だった。
消した人たちは、当然、自分たちが不利にならないようにあらゆる策を立てているはずだ。
きっと、今回も、「加害者」の方は無傷で終わるのだろう(半ば、諦めモード…)
国家権力が、自分に不都合な人間を、最も賢い仕方で(絶対にばれない仕方で)追いつめているとしたら…
国家権力が、最も相手の自尊心を破壊する方法で、特定の個人を黙らせようとしているとしたら…
(大げさだけど)ヒトラー率いるナチスよりも、恐ろしいことが起こっているかもしれないのだ。
この日本の今の状況を、天国にいるアドルノが見たら、どう言うのだろう?
…
今日、総理は「いずれのプロセスも関係法令に基づき適切に実施しており、圧力が働いたということは一切ない」と述べたそうだ。この一文は、「いずれのプロセスも関係法令に基づき冷酷なまでに理性的・合理的に実施しており、圧力が働いたということが絶対に明るみにでることはない」、と理解すべきだろう。
前川さんの講演も是非聴いていただきたい。
僕は今、怒りを通り超えて、恐怖を感じている。
この国はどこに向かおうとしているのか。
いったいどこからどう歯車が狂い始めたのか。
誰か、大真面目に研究してもらいたいなぁと思う。
(しかし、そんな研究をしたら、共謀罪で捜査対象にされる恐れも出てきている)
総理が「読め!」と言った読売新聞とその「関係者」に対して、僕らはもっと怒りをもって警戒した方がよいのではないか?
官僚主導から政治主導になり、
その政治が官僚(エリート)をコントロールできる今、
僕らは、もうただ「従う」しかないのか?
僕らは、牙を抜かれた羊として、沈黙するしかないのか?
…
ドイツのある強制収容所に展示されている「影絵」がある。
そこで、影絵の子どもと大人が会話をしている。
子「ここで何が起こったの?」
大人「俺は悪くない。俺はただ命令に従っただけだ…」
エリートや知識人が委縮し、権力に対し盲従するようになったら、
その国は、間違いなく破壊へと向かっていくだろう。
…そのエリートや知識人・大学教員の「弾圧」が秘密裏に始まっているかもしれない、という話なのだ…。
僕らはもっと「想像力」を発揮しなければいけない…(;;)
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PS
是であれ非であれ、コメントを頂けるのは幸いなことです。
建設的な批判であれば、いくらでも歓迎しています。
が、個人的な批判や本文と関係のない批判については、昔から「非公開」にしています。
ご理解よろしくお願いいたします。
せめて、本文を全部読んで、ひととおりご理解した上でコメントを頂けると幸いです。
あと、公開しているコメントにはお返事するつもりなので、しばらくお待ちください(仕事に忙殺されていて、ブログの更新をするだけで、いっぱいいっぱいになっています…)