Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

0311 - 10 years ago - memento mori

2021年3月11日。

あの大地震から10年。

あの日、僕は麺処まるわの店主さんとラーメンを食べに行っていました。

東日本大震災が起きた時にいたラーメン店のレポはこちら

彼の親戚が東北にいて、地震後、すぐに東北に向かっていったこともよく覚えています。(そして、その後、被災地でラーメンを作り続けたんですよね…)

僕は僕で、当時「実習」の只中で、必死に学生対応をしていました。千葉県内の各地に「実習生」を送り込んでいたので、中には大変な状態に陥った学生や施設が多々ありました。

千葉も、湾岸エリアでは「液状化」が凄くて、市原の千葉製油所では「大爆発」が起こりました。

また、利根川沿いや旭エリアでは、多くの人が亡くなりました。

当時は、「地震」「津波」だけでも酷かったのに、それに加えて「原発事故」も同時に起こりました。

「1000年に一度の大災害」とも言われるほどに、凄まじい「大地震」でした。

この大地震の関連死者数は、2万2200人となっているそうです。

あの時代に既にケータイで動画が撮れたので、かつては見ることのできなかったリアルな動画もいっぱい出てきました。あの「津波」の破壊力には、もう言葉も出ませんでした。

原発問題も、まだまだ解決していません。今も70倍の放射線が出ているとのこと。また、汚染水問題も深刻です。毎日140トンの汚染水が出ているといいます。「トリチウム」を含んだ水を「安全」と捉えるか「危険」と捉えるか。答えは出ていません。5,6兆円ともいわれる「除染マネー」の闇も根深いです。

僕らとしては、「原発がなくてもやっていける国」をどう築いていくか、だと思います。これは僕ら全員の問題であり、国・政治・国家の問題でもあります。54基もこの小さな島国に原発があるんです(詳しくはこちら)。

とはいえ、僕自身としては、ほとんど何も被害を受けていないので、何も語れません。

語る立場にないですし、語る何かも持ち合わせていません。

ただただ、祈るばかりです。

***

日本は、海に囲まれた地震の多い島国です。

地震が多く、海に囲まれているとなれば、いつどこでまた津波に襲われるか分かりません。

10年前は東北エリアですが、今後、首都圏での「首都直下型地震」が起こる可能性は決して低くないと言われています。


首都直下型地震に向けて、今からできること

首都直下型地震が発生すると人的被害はもちろん、生活インフラ全般が寸断されかねません。また、食料や日用品も交通インフラの麻痺によって流通が滞り手に入りづらくなり、さらに生活支援物資の配給を待たなければならない状況も想定されます。

これらに備えて今できることは、大きく2つあります。1つ目は住んでいる地域の避難場所を確認しておくことです。大きな地震が発生したとき、避難場所がわからないようでは安全に逃げることは当然できません。あらかじめしっかりと確認して、家族でも認識をすり合わせておくようにしましょう。

2つ目は防災バッグの準備です。中身は医療用品やラジオなどのほか、水と非常食を数日分用意しておきます。備蓄の目安は3日分です。飲料水は1人1日3リットル必要となりますので、9リットルを人数分用意しておきましょう。非常水と非常食にはそれぞれ賞味期限があるので、使用しない場合は消費して買い替える必要があります。

また、電気が寸断された場合に備えて、家庭内では非常用ライトをすぐ使える場所に置いておきましょう。電池の補充ができるとは限らないので、電池式よりも手回し式のものがおすすめです。

引用元はこちら


10年前のことを、ただ「過去のこと」として考えてはいけないんだな、と思います。

この日本という国に住んでいる以上、どこであっても「大地震」は起こるんです。

油断せずに、これからも「次の大地震」に備えておくこと、常に、地震を甘く見ないこと、それが大事なんだろうな、と思います。

「まぁ、大丈夫だろう」…、という楽観は、時にはいいけれど、災害時には通用しない、ということも忘れないでおきたいですね。

memento mori...


PS1

田原総一朗さんのお言葉👇


東日本大震災、そして、あの福島第一原発の事故から10度目の3月11日を迎える。かつては全世界が、「エネルギーは原発でいく」という時代だった。それが福島の事故によって一変したのだ。今も約3万6000人の方が、故郷福島に帰れずに暮らしている。

僕は原発事故の後、政治家はもちろん、東京電力関係者、学者と数多くの人に取材した。僕が何より驚いたのは、東電が一度も避難訓練をしていなかった、という事実だった。

「なぜ避難訓練をしなかったのか」と私はある東電関係者に問うた。すると彼は驚くべきことを言った。「避難訓練をするということは、事故が起きるかもしれないということ。事故の可能性がある前提では、誘致できなかった」。つまり、「事故は絶対あり得ない」という安全神話のもとで、あの事故が起きたのだ。

だから住民は混乱し、逃げまどった。原発から約4.5キロメートルの場所にあった双葉病院の患者ら44人が、避難中の車内や搬送先の施設などで亡くなるという、いたましい犠牲もあった。いざというときの避難訓練を徹底されていれば、防げた事故だろう。

当時の原発事故の収束及び再発防止担当大臣だった細野豪志氏は、「事前の危機管理が極めて不備だった」と語る。たとえば、事故後の処理をするのに、作業員の被ばく線量の上限は、100ミリシーベルトだった。しかしこれでは到底事故処理ができないと、当時の菅政権は250ミリシーベルトに引き上げた。「アメリカにはすさまじい仕組みがあるんです。事故処理に志願した方の被ばく線量は、上限がなしというものです。原発事故もですが、アメリカは核戦争を想定して、危機管理をしているんです。まさに国家としてやっている

今の日本にその危機管理ができているか、と問うてみたい。あの大震災に真に学んだのならば、地震ではなく、「疫病」という災害をも想定し、徹底した危機管理をしておかなければならなかった。去年から今年、新型コロナウイルスのパンデミックが起き、右往左往する政府の姿は、とてもあの大事故に学んだとは思えない。

政治は、危機から目を背けることなく、東日本大震災、そして新型コロナウイルスから学び、国民を守るべく、徹底した危機管理をしなければならない。

引用元はこちら


この記事を読んで、改めて「あの災害から何を学んだのか」ということは問い直したい。

僕の中では、次の二つが大事だと思う。

①地震や津波などの災害時には、絶対に「大丈夫だ」とは思わず、最後まで油断しないで、逃げ続けること。100%安全な場所はないにしても、可能な限り安全な場所はどこかを問い続けること。

②原発に頼らないために、僕らみんなが使うエネルギーを減らしていく努力をし続けることと、自然エネルギー(風力や水力や太陽光など)の開発に力を注ぐこと。


PS2

神保さんのコメント

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