ラーメンレポばかりだと、遊んでいると思われるので、、、(汗)。
以下、昨日行った赤ちゃんポストのインタビュー調査の記録です。まだ、殴り書きなので、脈略にとぼしいかもしれませんが、渾身のレポ、どうぞ読んでやってください。昨日、僕は初めて、赤ちゃんポストの真実に触れたような気持になりました。
リューベックは、北ドイツの中で最も美しい街の一つで、北の港の玄関口でもある。中でも、リューベックの教会にあるパイプオルガンは、多くの音楽家を魅了し続けている。また、14世紀頃、ハンザ同盟が興隆を極めていた頃の中心都市として栄えた街でもある。そんなリューベックの街中の一角にあるのが、アガペーの家(Agape-Haus)という母子支援施設(Mutter-Kind-Haus)である。この施設は、まさに街の中心-そして夜になるとあまり人通りのない場所-であるメング通りにある。リューベックはトラヴェ川とトラヴェ運河に囲まれた小さな島が中心地である。その島のメインストリートから150mくらい離れた場所に、この家はある。
このアガペーの家に、ドイツで二番目に設置された赤ちゃんポストがある。通常、医療機関に設置されている赤ちゃんポストだが、母子支援施設であるアガペーの家に、第二の赤ちゃんポストが設置されたのである。このアガペーの家に赤ちゃんポストが設置されたのは、2000年6月末のことだった。第一の赤ちゃんポストが主に幼稚園・保育園を運営するStenriParkによって設置されており、第二の赤ちゃんポストが母子支援施設に開設されている。それがドイツの赤ちゃんポストの真実である。
さて、アガペーの家の代表は、フリーデリケ・クリスティアーネ・ガルベと、その娘のユリア・ポリスの二人である。筆者が家を訪ねると、心から訪問を歓迎してくれた。家は、1500年代に建てられたかなり古い建物であるが、リフォームをしており、清潔感がある。が、それでも、中世っぽさを感じさせるどこか深淵な空気が流れている(室内が暗い、というのもある)。アパートの玄関をくぐると、生後10か月くらいの赤ちゃんを連れた若いお母さんがいた。耳にはピアス、髪の毛も部分的に黒く染めていて、今どきの若者のようだった。このアガペーの家には、現在5人の母親と子ども、そして1人の父親が暮らしている。そのほとんどが20歳前後。18歳~23歳くらいの母がそのほとんどだという。1995年に母子支援施設を開いて以来、実に200組以上の母子を支えてきた、という。
赤ちゃんポスト設置の背景を探る前に、このガルベとポリスについて述べておく必要がある。ガルベは、もともと教育学や社会福祉を学んでいたわけではなかった。普通の一般人である。夫はエンジニアで、彼もまた普通の一般人である。たまたまこの大きな古い建物を譲り受け、その使い方に困っていたという。リフォームするにもお金がかかるし、アパートとして活用するのもどうか、と悩んでいた。ガルベは、クリスチャンで、隣人愛を大切にする篤志家の気質もあった。
そこで、1995年、母子福祉に貢献しようと思い立ち、完全に民間の母子支援施設を開設した。「通常、母子支援施設は、国の補助金をもらって運営します。ですが、補助金をもらうとなると、規制が厳しくなり、私たち実践者の自由が奪われます。自由に支援したい。規制はいらない。そう考えて、完全に個人でこの家を始めました」。そういう施設は、ドイツでもここだけだとガルベは言う。この母子支援施設の運営資金は寄付金と、ここで暮らす母親(ないしは父親)の生活保護費によるアパート代収入のみである。幸い、夫が安定した収入を得ており、また建物も保有しているので、それほど補助金も必要ないそうだ。そんな母を支えるのが、娘のポリスである。ポリスは、4人の子をもつ母親でもある。ポリスもまた、ガルベと共に、このアガペーの家を運営する代表でもある。住居のデザイン、インターネットの管理や更新、あるいは赤ちゃんポストの「母への手紙」の作成など、ガルベにはできないことを若い母親世代として果たしている。この二人の協働によって支えられているのが、このアガペーの家である。「お母さんを救うこと、それが子どもを救うことの最善策です。私たちは、それを目標にして、200組の母子を支えて来ました」。なお、母子がこの施設で暮らす期間はまちまちであるという。「お母さんが望むだけ、この家で暮らすことができます」、とのことだった。このように、普通の一般の篤志家族による小さな実践が、このアガペーの家である。ガルベのような思想の持ち主は、ドイツにおいてもとても珍しい。だが、そうした普通の愛情に満ちた家族が運営する母子支援施設に、ドイツで二番目の赤ちゃんポストがそっと設置されているのである。
さて、こちらの赤ちゃんポストであるが、こちらの赤ちゃんポストは、そのまま「Babyklappe」という名前である。既に述べたように、-klappeは、こちらのハンブルク周辺の言葉であり、この言葉を使うことに抵抗はないという。また、ガルベとポリスは、SterniParkのモイヅィッヒ夫妻とも電話のやり取りをしており、2000年以降、何かあれば連絡を取り合う関係にある、という。なお、こちらのBabyklappeシステムも、SterniParkの赤ちゃんポスト同様、ハンブルクの金属加工職人のヴァルター・ヴィンケルマン(Walter Winkelmann)によって作られたものである。彼と彼の工場については、後に詳しく紹介したい。いずれにせよ、このように、アガペーの家の赤ちゃんポストは、SterniParkの赤ちゃんポストと極めて酷似しており、深い関連性がある。ただし、巨大組織のStenrniParkに比べると、こちらの家は小規模で、家族経営の施設であり、全く異なった様相を呈している。
では、なぜガルベは、このリューベックという場所に赤ちゃんポストを設置したのだろうか。その理由について、彼女はこう語っていた。「StenrniParkの赤ちゃんポストは、2000年開設当初、テレビやラジオで毎日毎晩報道されていました。こんな取り組みもあるんだ、と驚きました。が、この頃、リューベックの郊外で、生まれたばかりの赤ちゃんがごみ箱に捨てられて、遺体となって発見される、という児童遺棄殺害事件があったのです。この事件を受けて、私は、モイヅィッヒ夫妻に電話をしました。そして、赤ちゃんポストの作る方法や手順を教えてもらいました。ヴァルター・ヴィンケルマンも、その時に紹介してもらいました」。当時、この家の赤ちゃんポストは、「SOS命の防波堤(Lebensschluese)」と命名していた。Schleuseとは、水門、堰、排水溝といった意味の女性名詞である。だが、このLebensschueseという言葉は、とても抽象的で、理解されにくいということで、現在では、一般用語となっているBabyklappeをそのまま利用している。他の地域では、Babyfensterという用語が広く通用しているが、ハンブルクからわずか電車で50分という立地であり、Babyklappeという語を使用することに、誰も疑問をもたない、という。
このアガペーの家の赤ちゃんポストに、最初の赤ちゃんが預け入れられたのは、2003年8月2日の21時頃のことだった。女児で、生後およそ3時間の新生児だったという。この赤ちゃんはサラ(Sala)と命名された。彼女は、翌週の月曜日に病院で診察を受け、何の問題もない元気な赤ちゃんだった。そこで、続いてこのサラを短期間(8週間以内)養育してくれる里親を探すことになった。すぐに見つかった。サラは、その短期里親の手で大切に保護された。その後、サラの母親から、手紙が届いた。やはり育てられない、ということで、その後養子縁組の手続きが開始され、無事に養子縁組を実現することができた。
その後同年11月に、二番目となる赤ちゃんがこの家の赤ちゃんポストに預け入れられた。その子も女児だった。この女児も、やはり養子縁組を実施することになり、現在、その養父母の下で、愛情のある生活を送っているという。
この12年間の取り組みで、合計12人の赤ちゃん(うち一人だけ生後14か月の子どもだった)が預け入れられた。男児6人、女児6人だった。この12人のうち、1人の母親が、後に名乗り出て、引き取られていった。
2011年には、ガルベとポリスを驚愕させるような預け入れがあった。それは、なんと小さな赤ちゃんポストの中に、二人の子ども(兄弟)が預け入れられたのだった。生後14か月の子どもと生後4か月程の赤ちゃんだった。4か月の赤ちゃんはまだしも、1歳を超える子どもが預け入れられたことに、ガルベらはためらいを感じたという。
このように、リューベックの赤ちゃんポストは、その役割をしっかりと果たしていると考えてよいだろう。ガルベは、私に一枚の写真を見せてくれた。それは、一見すると何の変哲もないごく普通の4人の家族の写真だった。父、母、長女、長男の四人がそこに映っていた。この二人の子どもは、どちらも養子縁組によって養父母に引き取られた子どもで、その長女が、この赤ちゃんポストに預け入れられた子だという。預け入れられた時の写真も見せてもらった。出産直後であり、完全に生まれたままの姿で保護された。へその緒もまだ付いたままであった。その時の写真を見ると、ガルベが目を閉じ、赤ちゃんを抱いている姿がそこにあった。この赤ちゃんが、今、こうして元気に愛のある家庭で育っていることに、私も心底感動してしまった(学者としては、感動といった感情的な言葉を用いることは許されないことなのかもしれないが、この赤ちゃんポストの意義を肌で初めて感じた瞬間でもあった)。「この子、かわいいでしょう。もしこの赤ちゃんポストがなかったら、この子はどうなっていたんでしょうね。もし仮に生きていたとしても、ここまで愛情のある家庭に育っていたかどうか、分かりません」、とガルベは言う。
また、他の写真を見せてもらった。その写真には二人の兄弟が映っていた。この二人は、どちらも赤ちゃんポストに預け入れられた子どもだという。血のつながりのない兄弟。そして、共に赤ちゃんポストに預け入れられた赤ちゃん。上の子は、もう5歳。下の子は3歳だという。この二人には、今も何度も繰り返し、「あなたは、二人とも赤ちゃんポストに預けられ、救われた子どもなの。お母さんは訳があって、あなたたちを育てられなかったの。でも、お母さんはあなたたちを愛していたわ。ここにそのことが書いた手紙があるの」、と説明しているという。子どもたちはまだそれがどんな意味なのかを分かってはいない。けれど、ずっとこうして説明することで、この子どもたちの特殊な状況が当たり前のように感じてもらえれば、と思っている、という。こうした兄弟で養子縁組を実施するというのも、またアガペーの家の特殊な取り組みと言えるだろう。
なお、こちらの赤ちゃんポストも、また児童相談所(Jugendamt)ととてもよい関係にある、という。ただ、最初はとても皆批判的だったという。赤ちゃんポストを開設した時、2000年冬、突然この州の議員と役人たちがこの家にやってきて、立ち入り調査を行ったという。施設内のすべての箇所を観察し、行政チェックが入ったという。けれど、それ以降、一度も行政の役人がこの家にやってくることはない、という。赤ちゃんが預け入れられるとすぐに、ガルベは、児童相談所に連絡を入れる。警察には決して通報しない。そして、病院に連絡を入れ、医療チェックを受けさせる。この赤ちゃんポストでは、母親からの連絡を待ち、連絡が来なければ、養子縁組の手続きを取る。それが、主な仕事である。もちろん無償の行為であり、完全に自由意思に基づく慈善活動である。
ガルベは言う。「アガペーという言葉を知っていますか。この言葉の意味は、『私たちはあなたを愛します。なぜならば、あなたがそこにいるから』、という意味です。子どもにとって一番欠かせないのは、他者からの愛情です。無償の愛です。実親だからといって、それが保障されるわけではありません。事実、養父母であっても、本当の愛情を日々惜しみなく与えてくれています。緊急下の女性、お母さんたちは、本当に深刻な問題をそれぞれ抱えています。愛されないで育った若いお母さんもいっぱいいます。愛されないで育った母親が、悲惨な状況の中で、自分の子どもを愛せると思いますか。それは、パートナー(相手の男性)との関係だけではありません。その母親の家庭にも、大きな問題があるのです。私たちは、1995年以来、ずっとそういう母親の支援をしてきました。だから、経験的にもそれが分かっているのです。母親も守られ、大切にされる必要があるのです。だから、この家は、アガペーの家というのです。私たちが一番大切にしていることは、不安がなく次の朝が迎えられる、ということです。つまり、庇護されている、ということです。赤ちゃんポストもそういう意味で、私たちには欠かせない大切なものなのです」。
私は、このアガペーの家に2時間半ほど滞在した。ガルベとポラスという二人の実践者と語り合い、この二人の偉大さに気付かずにはいられなかった。ガルベは、「私の手本はマザーテレサです」とはっきりと言っていた。マザーテレサは、ドイツ人に対して、「あなたたちの国は、経済的には豊かですが、家族の愛情という面ではとても悲しい国ですね」、と言ったそうだ。彼女の瞳を見つめていると、彼女にマザーテレサを感じずにはいられなかった。