Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

2011年6月 第四土曜日の会 トイレ問題と噛みつき

今月もまた第四土曜日の会を行ないました。

いつものメンバーに、新たなメンバーに、超久々メンバーに、そして非常勤先の学生にと、パワーのある卒業生・学生が集まりました。パワーのある人間が集まると、楽しいですね。ホント。

今回の発表は三つでした。(毎回、三つ以上はあるといいですねー、、、)

***

一つ目は、1歳11カ月の子のトイレ問題。

発語能力の少し遅い男の子M君の話でした。M君はまだオムツをしていて、トイレに行くことを(見た感じ)嫌がっているご様子。少なくとも、嫌がっているように見える。けれど、トイレが気になって仕方ない気持ちでもある。お友達のAちゃんがトイレで一人で用を足していると、それをじーっと見つめている。M君は、トイレに強い関心を示すと共に、トイレへの恐れ・恐怖みたいなものももっているようで、それが重なって、われわれには「嫌っている」と見えるようなのだ。

トイレ問題は、実に神秘的な問題で、われわれは、どれだけ記憶を辿っても、乳児期にどうやってオムツからトイレに以降したのかを思い出すことができない。でも、誰もがいつ日かオムツからトイレに以降している。だいたい2歳~3歳でオムツは取れるが、それでも色んな問題でお世話になる可能性はある。また、人生の後半、再びオムツのお世話になる可能性もある。

で、議論になったのは、「母親はおむつをできるだけ早くやめさせたいと思っているが、保育者はどうしたらよいのか」、ということであった。「おむつはずし」は、母親の最大の関心テーマだ(が、たいていの場合、「早さ」が問題になっていて、いつまでもおむつをしていることに耐えられない)。「早く外さなきゃ!」と焦る母親は実に多い(早きゃいいってもんじゃないのに…)。で、保育者であるKさんは、「タイミングがあると思うんですよね。「おむつはずしタイミングがあるんです」、といった。僕らはこれを「排泄レディネス」と名づけた(苦笑)。排泄レディネスは、乳児が身体的・精神的におむつをはずすだけの能力・発達が整っている状態を言う。身体的にというのは、「おしっこの間隔」(通常二時間くらい)、「尿意の表明」(ちっこ出る、ちっこ出た、ちっこ出そう)といったもので、精神的というのは、トイレに対して抵抗感がない、という感覚が子どもにあるか、というものだ。この二つが重なった時が、まさにベストタイミングで、「排泄レディネス」と呼んでしまおう、ということになった(苦笑)。

ま、その真偽はさておき、トイレ問題は、保育、教育、介護の世界では永遠のテーマ、永遠の課題の一つであることは間違いない。教育の世界でも、トイレというのは、極めて重要なメディアである。中学生男子なんかは、大便を学校ですることがなかなかできない。無理に我慢している生徒もまだ多いと聞く。トイレはいじめの温床となっているし、また、重要なコミュニケーションの場にもなっていたりもする。「連れション」という言葉もあった。トイレ問題をあざ笑うことなかれ☆

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二つ目、三つ目は、「噛みつき問題」(偶然の一致)でした。

「噛みつき」は、幼い子どもの最大の武器であり、凶器であり、表現手段であり、本能的なものであり、親・保育者を悩ませる子どもの行為の一つである。原則的には、噛みつきは、人間のみならず、生命に与えられた技であり、どれだけ否定しようとも、なくなることのない行為なのだ、ということを忘れてはならない。噛みつく行為は、生きている限り、なくなることのない精神活動の一つなのである。

それを前提として、報告を聴いた。

二つ目の報告では、母親が入院していて、祖父母の下で暮らす1歳11カ月のAちゃんの噛みつき。Aちゃんは最近、とにかく噛みつきまくっているようだ。母親と暮らせないいらだちがあるのだろうか。とにかく噛みつくのだ。報告者Iさんにも噛みついた。保育者としては、子どもの噛みつきはなんとか阻止しなければならないし、他の子どもに噛みついて、傷でもできたら一大事。身体を張って、Aちゃんの噛みつきを阻止している(他児に噛みつこうとした瞬間に、自分の手を差し出して、自分の手を噛ませようとするほど!)。

噛みついた瞬間は、痛いが、とにかく我慢したようだ。そのとき、Iさんは、Aちゃんが身体全身に力が入っていることに気づいたそうだ。何かをこらえながら、噛んでいる様子がそこにはあったようだ。自分の手が噛まれながらも、Aちゃんのことを気遣うIさん。恐るべきプロ意識…(汗)。で、Iさんは、「我慢していて、それが爆発して、噛みつくのではないか」、と考えたようだ。その後、Aちゃんが口の力を緩めると、Iさんはさっと手を引いて、なんとかその場はおさまった。そして、「そんなことをしちゃだめだよ!」と大きな声で言うと、Aちゃんは大声で泣き出した。とりあえずAちゃんの気持ちを代弁して、「分かっているよ」ということを伝えて、「でも、そういうことをしたら痛いんだよ」と優しく?さとすと、今度は静かに泣きだしたそうだ。そして、その後しばらくしたら、すっきりしたのか、遊び始めたそうだ。

保育者としては、子どもの噛みつきはなんとか阻止しなければならない。Iさんのように、時として、自分の体を犠牲にしながらも。他の子どもを噛んでしまい、跡がついてしまったら、親が騒ぎ出す可能性がでてくる。それは避けたい。(「大人」な大人が親だったら、それくらいのこと、気にしないでください。噛まれるのも人生です、くらいのことがいえるだろう。でも、自分の子どもしか見えていない親は、ピーピー叫び出す。…以下、自制)

本会で議論したのは、Aちゃんの無意識?、心の奥底では、いつも母親の欠如というストレスを感じているのかどうか、ということだった。噛みつくという行為は、ストレスや不安や不快に由来するもので、とくに「母親の欠如」が、子どもの噛みつきを生んでいるのではないか?、と。事実、ある幼稚園では、噛みつく園児はほとんどおらず、一人だけ噛みつく子がいるが、その子は保育園から来た子で、母親との接触に欠けていた子らしいのだ。つまり、親の愛情に欠けていない子は、噛みつかない、というのだ。それは、うちの甥っ子・姪っ子を見ていても分かる。親の愛情に満ちた子は、そもそも噛みつかない、、、(そう言っていいのかどうかはまだよく分からないけど…)

続けて、三つ目の発表も。

三つ目の発表も噛みつきが主題だったが、こちらの噛みつきはちょっと違って、明るい噛みつき(苦笑)。1歳6カ月のげんき君(仮)は、とにかく保育者Mさんを噛む。噛みまくる。こんにちは!と声をかけても噛む。「バイバイ」の時も噛む。噛む、噛む、噛む。食事中も、食物じゃなくて、保育者の手を噛む。噛みフェチともいえるくらいなのだが、そのげんき君は、Mさんにしか噛まない。Mさんが大好きなのだろうか。とにかくMさんを噛みたいんだそうだ。

噛みつきに対しては、保育者は止めなければならない。でも、げんき君の場合はどうだろうか。止めるべきなのだろうか。「あま噛み」という行為もあるらしいが(僕は知らなかった…)、こういう「甘え」に近い「噛み」の場合は、それを止めるべきなのか、黙認するべきなのか、(はたまた喜ぶべきなのか)、よく分からない。止めなければ、噛むことが正当化されて、他の子どもを噛み出すかもしれない。噛むことは、無条件でダメだ!と伝えるべきなのかもしれない。けれど、Mさんは、そこまで割り切れない。葛藤する。

げんき君の噛みつきは、「ネガティブで攻撃的な噛みつき」ではなく、「Mさんとのコミュニケーションとしての噛みつき」になっている。まるでMさんと楽しんでいるかのように、噛んでいるのである。かといって、それは、決して望ましい行為ではない。「やめろ」という言葉を使わないで、別の方向に向けることはできないのか、そんなことが議論された。

僕的には、「噛みつき」は、人間が生きている証だと思う。もちろん、噛む力はとても強く、ヘタしたら、肉を引きちぎるほどだ。だから、端的に容認することはできない。でも、噛まれる経験を含め、噛む/噛まれるというのは、人間の生においては、とても大切な行為だとも思う。一般的な保育学的な会合だったら、「どうやって噛みつきをなくすか」という方向で議論されていくんだけど、この会では、「噛みつきとは一体何なのか?」という方向で議論していった。僕的には、赤ちゃんの噛みつきは、本能と理性の間にあるものだと思っているんだけど、それは理解されなかった(苦笑)。

子どもの噛みつき問題も、また、もっともっと掘り下げて議論すべき問題である、と僕は確信した。

…しかし、こんなにも、噛みつきについてアホみたいに議論するのは、この会くらいだろうなー。そこがいいんですよね。多分、世の保育者たちだったら、そんなこと議論する必要もない、と思うだろう。それくらい、「当たり前のこと」だから。当然、「止める」のも当然のことで、そこで悩んでいる僕らは、極めて滑稽に見えるだろう。

でも、噛む経験も、噛まれる経験も、人間世界で生きていく上では、きわめて重要だと思う。噛むことを止めるということは、攻撃性の否定につながる。攻撃性の否定は、抑圧を生みだす。抑圧は、後の人間形成にとって厄介な弊害となり得る。抑圧させず、他児や保育者の攻撃にもならない噛みつきはあるのだろうか。最後に、この点が議論されて、終わりました。

3時間の熱い議論でした☆

次回も、第四土曜日にやります。

***

終わった後、my誕生日祝い?で、バーデンバーデンに行きました。

何気に、みんな学生時代からこのお店に来ていますねー。
kei先生=バーデンバーデン、定着中、、、ですかね?!
みんなもう保育士、先生だけど、
…でも、僕からしたら、かわいい教え子たち以外の何物でもございませぬ。

貴重なツーショットを
このお二人は、どちらも独自の世界観をもっていて、
正真正銘の変わり者、という点で一致しているんですね(苦笑)
僕も、おっさんになったもんだなー(汗)

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