僕のテーマの一つが教師と子どもの関係論。
それに関わる面白いことを今日経験した。
(直接はつながらないけど、、、)
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今日、同僚の先生二人と話をした。
その二人の先生は大の音楽好き。
本当に音楽が好きで、この二人と語り出すと止まらない。
ただ、この二人、異様に音楽に詳しい。
もう、僕が全く太刀打ちできないくらいに音楽の知識が豊富。
僕とジャンルが違うからっていうのもあるんだけど、
とにかくオールマイティーに詳しい。
ロック評論家ってこういう人を言うんだろうな、的な。
もちろん大学の先生だけに頭もいい。
本当に音楽についてどこまでもディープに話すお二人なのだ。
僕は、もちろん音楽をべらぼうに聴いているが、
聴くよりも演奏したり、曲を作ったりする方が好き。
バンドはしてなくても、曲作りはずっとやってる。
その道、18年くらいになるのかな。
作詞、作曲、ギター、ベース、ドラム、編曲・・・
だから、あまり音楽論とかには詳しくないし、
どのバンドの誰が何をやってるとかってよく分からない。
音自体はたくさん聴いているけど、
バンドの形態とか、メンバーの名前とかはいちいち覚えてない。
演奏したり、曲を作ったりする上で必要なことは覚えるけど、
人の名前とかバンドの名前とかまでは語れない、、、
なので、上の二人の先生のマニアックな会話についていけない(汗)
多分、音楽好きの人ならすごく簡単なことを言っているんだろうけど、
僕にはちんぷんかんぷんで、よく分からなかった(涙)
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その一方で、僕はラーメンマニアだ。
ひたすらラーメンを食べ歩き、店の名前を覚え、
全国津々浦々を飛び回る。知識もたっぷりだ。
どこのなんていう地域のなんていうラーメン店がどうって語れる。
もちろん有名店主の生い立ちやら、経歴も知っている。
だが、ラーメン作りとなると素人そのもの。
もちろん料理の勉強をしていたから、ある程度はできる。
自宅でラーメンを作ることなら、それなりにしてきた。
が、ずぶの素人料理に過ぎない。語るだけだ。
ラーメン作りはできないけど、ラーメン屋については詳しい。
かなりマニアックな知識も頭の中に入っている。
時折、ラーメン屋さんと話していると、
僕一人で得意げに一方的に話していることも多々ある。
マニアックな知識をもっているので、
マニア同士の議論も尽きない。
初対面の人とでも、延々と語れちゃうところもある。
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この二つのエピソードから、
作り手と食べ手、プレイヤーとリスナーの非対称性が浮かび上がる。
両者は同じ世界にいながらも、全くかみ合わない関係にあるということだ。
僕が同僚先生に、「じゃ、そんなに言うなら、それやってみて!」とは言えないし、
また、ラーメン店主さんに、「だったら、作ってみろ!」と言われても困る。
そこは、触れちゃいけない境界線なのだ。
逆に、同僚先生も、「もっと勉強しろよ」とも言えないし、
また、ラーメン店主にも、「もっとラーメン食べてよ」とも言えない。
お互いにすべきことが違うし、お互いに干渉することもダメなのだ。
お互い、同じ世界を生きていながらも、根本が違うのだ。
食べ手は、食べることで知識を増やし、
作り手は、作ることで技術を向上させる。
食べ手は教養を求め、作り手は技術を求める。
リスナーは、聴きながら知識を増やしていき、
プレイヤーは、演奏する技術を向上させる。
リスナーはやはり教養を求め、プレイヤーは技術を求める。
もちろん、食べ手が作る技術を向上させることもあるし、
リスナーが、より深く聴くために、演奏を学ぶこともある。
どちらか一方のみという人よりも、
どちらに重心をおいているか、という方がポピュラーかも。
でも、両者には触れ合えない深い隔たりがある。
そして、両者は分かり合えない。
いや、分かり合えないわけではないが、それには時間がかかる。
つまり、両者は≪他者関係≫なのである。
(話の通じる他者関係というべきか、、、)
もちろん、リスナーにも善いリスナーがいるし、悪いリスナーもいる。
プレイヤーにも、食べ手にも、作り手にも、善悪それぞれがいるだろう。
(もちろん、その善悪は時間場所的に入れ替わり立ち替わりするが)
ただ、いずれにしても、この両者は簡単には分かり合えない。
それくらい、隔たりがあるし、もっている知識も経験も違うのである。
違っていながらも、同じ世界を共有する仲間(フィリア)なのである。
教育も同じだ。
プレイヤーである教師はやはり技術や方法を求めるし、
リスナーである子どもや親は、色んな教育や教師の情報を求めている。
高校生にもなれば、生徒が教師について延々と語ることができるだろう。
もちろんみんなが授業を受けたくて来てるわけではないだろう。
でも、リスナーであることには変わりない。授業を受けているのだから。
逆に、教師はもっと自分の授業に責任とこだわりをもつべきだ。
ミュージシャンが音に、ラーメン店主が味にこだわるように、
教師ももっと授業や教育にこだわるべきだ。
授業や教育にこだわれば、教育の質は自ずと高くなる。
すべてのリスナー(子ども)が満足することはないだろうけど、
レベルの高いものに触れることは意味のないことではない。
よい授業にははりがあるし、ほどよい緊張感に包まれている。
よいラーメン店にも同様にほどよい緊張感がはしっているし、
よいアーチストのライブや音源もやはり緊張感が漂っている。
それは、プレイヤーとリスナーの間の緊張感だ。
互いに強制し合わず、互いに互いのことを干渉せず、
それでいて、緊張感が生まれている。
この辺、うまく語れたら、論文になるんだけどなぁ。。。
PS
haruさん、ありがとうございます。
ちょっと書き直しました☆